
どもです~
昨日、師家の月例公演 梅若研能会5月公演 にて無事『殺生石・白頭』を勤めてまいりました~
ん~、まずまず、考えていた通りには動けたと思いますし、大きな瑕瑾もなく、ともあれ無事でよかった、よかった。
お出まし頂きました皆々様には、改めまして深謝申し上げます~ m(__)m
さて当日の報告をいくつかさせて頂きますと。。
前シテの面は師家所蔵の品を拝借した「増」でして、「泣増」にちょっと近いけれど、かなり厳しい表情の面です。こういう曲にはピッタリ、と、師匠が選んで下さいましたが、なるほど、手に取るよりも顔に掛けた方がグッと厳しさが出る面で、『殺生石』の前シテは女性の役としては強く謡うし、ぬえはそれを しばしばやり過ぎるからちょうど良かったかも。。
唐織はやはり師家から拝借の紺浅黄段の秋草文様の唐織でしたが、前回『殺生石』を勤めた際に拝借した火焔太鼓文様の唐織と違って、風情もあり、そして強さもあり。これまた師匠のお見立てで選んで頂いたのですが、ああ、これは良い唐織を使わせて頂きました。これに合わせて、中啓も槍霞の入った、ちょっとキツイ感じの中啓を使わせて頂きました。
で、前シテですが、橋掛りでのワキとの問答では見計らいがうまくいって、ちょうど予想していた文句で一之松に着くことができ、これで一つ安心。
ところで初同の地謡で舞台に入り、そのあとクリの打掛を聞きながら舞台の中央に下居するのですが、じつは稽古でここが気になって気になって。。小書によりクリの冒頭に囃子方が打掛を打つ間 地謡は黙っていて、その手のあとに謡い出すのが定めなのですが、常の『殺生石』の場合。。つまり打掛に構わずに地謡が謡い出すのを聞きながら舞台の中央に座すのはよろしいのですが、小書の場合のこの地謡の無言の中で座るのはどうも違和感がぬぐえませんでした。
それは、初同、とくにその後半はは那須野の景色の描写に終始する文章でして、その後に続くクリは玉藻の前という人物の説明になるのです。この無関係に近い二つの文言が、常の『殺生石』では続けざまに地謡によって謡われるために、その間にシテが舞台中央に座るのにも、なんというか、この女が誰であるのか不審を抱きはじめているワキの心には無頓着に、ズカズカとその側に近寄って一方的に玉藻の前の話題を始めるシテの姿が浮き彫りになるのであって、それでこそ実は野干の化身としての傍若無人さも舞台上に表されると思うのです。ところが、ここで地謡が黙ってしまうと。。なぜシテがワキの傍らに座るのか、意味がもう一つ判然としないように感じられて仕方がない。。稽古で ぬえはずっとそこが気になっていました。
ところが稽古能でこの曲を勤めた先週に、当日も大鼓を勤めてくれた佃良太郎くんが「あ、そこはおシテの頼みがあればおワキが一句謡ってくださる、と聞いています」と、ぬえが知らない事を教えてくれました。いわく、下掛り宝生流のおワキの場合、初同のあと、クリの前に「なおなお玉藻の前の御事詳しく御物語り候へ」という文句が本来あるのだそうで、観世流のシテ方相手の場合には、シテ方流儀の台本にその文句がないため、そこは省略して謡わないのだそうです。
これには驚きました。この文句があれば、地謡は無言であっても、ワキに乞われて話をするために、シテはワキのそばに近寄って座ることができる。早速 お相手のおワキ、およびそのお師匠さまにお願いしたところ、快く引き受けてくださって、その文句を謡ってくださることになりました。いやはや、勉強のタネは尽きないです。この情報を ぬえにもたらせてくれた佃くんには何度もお礼を申しました~
さて、私は逆に「~御物語り候へ」と観世では入らない事に気がついていませんでした。。成程、シテの流儀で変わるのですね…。
そういえば、後シテの登場直後のワキ「野干の形~仁体なり」の部分も、「野干の姿は現れたり」のバージョンも聞いた記憶が有ります…下宝だと思いますが、…これもシテの流儀に合わせてだったのでしょうね。
好きな曲ですが、今まで何も考えないで見ていたので、上記の様なワキのセリフとか、昔は錫杖を使ったらしい事が調べたら出てきたり、中々面白い!
しばらくぶりの『殺生石』でしたが、もっと見たくなってしまいました。
すみません、このところ公演のあとでメールを頂いておきながら返信しない不義理を複数回やってしまいました。。
御掲示板「花の鏡」拝見させて頂きました。概ねお誉め頂けたようでよかった~。相変わらずの鋭い批評眼には敬服します~
おワキの言葉ですが、ご自分のお流儀のお言葉で謡われても、必ず最後の句はシテ方の流儀の本文に合わせて替えて謡って、渡してくださいます。
クリの前のおワキの言葉も、シテ方観世流の台本にその言葉がないから、おワキにそれがある事を地謡が知らなければ、おワキを待たずに謡ってしまうわけで、これはおワキの方が観世流相手の時にはその文句を割愛して譲ってくださるのですね。
もっと困るのはシテとワキの問答のところで、幽玄堂さんがおっしゃったように後のワキが「野干の姿は現れたり」という文句で渡されてしまったら。。観世流のシテは必ず絶句するでしょう。「~さも不思議なる仁体なり」とおワキに渡されるから、自然の流れとして「今は何をか包むべき~」と次の自分の文句も出てくるのです。
まあ。。今はかつてのようにシテ方の「座」に専属のおワキがいるわけではなくて、いろいろなお流儀のおワキとお付き合いさせて頂くわけですから、シテ方もお相手のおワキの流儀のお言葉を勉強するべきなのではないかな。。とも思いますけれども。
ところで『殺生石』に錫杖を持ち出した、ということが御掲示板にありました。よくご調査されていますですね~
しかし。。錫杖はにわかには信じがたいように ぬえは感じました。
『能弁惑大全』の「シユシヤウ」は、おそらく「柱杖」ではあるまいか、と思います。『放下僧』に『殺生石』とほぼ同じ杖が登場して、それを見たワキが「また見申せば柱杖に団扇を添へて持たれたり」と言うのが出てきます。
また『能の見方、謡いの聞き方』には「錫杖」とハッキリと書いてあるようですが、この本が刊行されたのが大正6年である事を考えると、演出は現在とは大きな変化はないと思います。
すると「急々に去れ去れ」とおワキが言ってから払子を捨てる型があるので、ここで錫杖を捨てるのは。。作物の錫杖が当時あったのかもしれませんが、金属製の本物であれば大きな音を立ててしまうことになり、どうも、やはり「柱杖」の誤記なのではないかなあ、と感じました。
自分で調査しないで反対意見を言うような失礼を重ね重ね申し訳なく思います。。
私も「シユシヤウ」は「柱杖」だろうと思ったのですが、「黒缶付テ」と有ったので、杖に環を付けた作り物の錫杖かと。
錫杖の方が、型としても良いかなぁと思ったのですが、捨てた時の音まで気が付きませんでした…確かに音がしてしまう。。
実はたまたま、所持していた2冊の本で、符合してしまったので、疑いつつも、私が知らなかっただけで、常識だったんじゃないかという方にも考えたり…。
たいした調査もしないで書いてしまい、お忙しいのにご意見を頂いて申し訳ないです。。
折角なので、調査続行!してみます。
こちらこそ勝手な意見を申し上げて失礼しました~
「黒缶付テ」は「黒垂(くろたれ)」の略字かなあ、とも思いますが、実際に払子につけるのは「白垂」ですから、ナゾは残りますね。
ちなみに払子の小道具は長い竹の杖の上部に同じくS字に曲げた竹を組み合わせてあります。ここに白垂を結びつけることで「浮雲」と「流水」を表しているんですね。『殺生石』と『放下僧』にしか用いない小道具だと思いますが、『放下僧』ではさらに唐団扇を逆さまに取り付けます。
そんでさらに、白垂がつけられた側が杖の表面となるのですが、このとき表面から見て杖の上部の竹が「逆S字形」に見えるように取り付けるように、ぬえは書生時代に習いました。こういう細かい決マリは、きちんとメモを取っておかないと、なんとなく曖昧になってしまいがちです。
『鉄輪』の三重棚の四本の柱の上につける四色の幣の並び順とか、『翁』で楽屋に設える「翁飾り」に並べる品物の置き位置とか。。楽屋に着いてから「どうやるんだっけ??」とならないように、公演の前から気を付けておくのも大切な準備なんですよね~
それにしても幽玄堂さんは蔵書持ちですね。今度蔵書を見せてくださ~い (^_^)b
なるほど。。垂と缶…似てますし、誤記の様な気がしてきました。
でも黒垂だったとも考えがたいですが…。
逆Sの竹が流水!なるほど、行雲流水かぁ…いかにも禅僧らしい持ち物ですね。
蔵書はたいした事はないですが、お役に立つものが有ればいつでもお見せします…と言っても何が有るかリストがなければリクエスト出来ないか。。