昨日は、一昨日に引き続いて観世能楽堂で催された「納涼能」に出勤して参りました。
「納涼能」は能楽協会東京支部主催の催しで、今年でもう31回を数えるんですね。ずっと以前は日比谷公会堂が会場となっていましたが、現在は東京の能楽堂を持ち回りで巡回して会場としています。
そういえば学生時代も能楽師になってからも、ぬえも時々は日比谷公会堂で行われた「納涼能」を拝見に伺ったことがありますな~。と思ったら、楽屋でもやはり日比谷公会堂時代の思い出話に花が咲きました。現・能楽協会東京支部長の武田宗和さんは「その頃は楽屋のゴザ敷きから舞台設営、撤去までみんなで手伝ってね~。もう汗まみれで大変だったよ~」とおっしゃり、この日「ミニ能楽講座」の講師を勤められた観世喜正さんは「あ、私も中学生の頃は日比谷公会堂の催しにお客さんで行った事もありますよ~」なんておっしゃって。
能楽協会にはいくつもの支部がありますが、シテ方五流の宗家が全員揃って出演されるのは東京支部の「納涼能」だけなのだそうで、楽屋の中はたいへんな賑わいでした。あ、もちろん見所も満員御礼でございました~。
こういう催しは良いですよね。能楽師の友人、わけてもシテ方他流の友人とは、能楽師の結婚式とかお葬式、はたまた能楽協会の新年会ぐらいでしか、なかなか会う機会がありません。この日も、とくに金春流と喜多流の友達と久しぶりに会って談笑することができました。
それだけにとどまらず、他流の方の芸を揃って拝見できるのも、なかなかない機会です。仕舞ひとつを取ってみても、流儀によって作法が全然違っていたり、装束着けの方法も各流に独特の決マリや工夫があったり。今回は能は観世御宗家の『熊野』と、喜多流の『小鍛冶』が上演され、狂言には大がかりな作物が出される『花盗人』、そして宝生・金剛・金春の各御宗家のお仕舞が上演されました。装束着けといえば、喜多流の水衣の着付け方は独特で、この日も『小鍛冶』の前シテの童子役でその着付を見ることができました。
そして何といっても今回上演された能の興味は小書でしたですね。『熊野』には「読次之伝・村雨留・墨次之伝・膝行留」の四つの小書すべてが付けられました。これを楽屋言葉で「一式之習」などと呼んでいますが、たいそう豪華な演出になりました。ことに ぬえが思ったのは、「墨次之伝」の墨のつぎ方が、今回は2度だったことでしょうか。ぬえの師家では3度、とされていて、こんなところにも微妙な違いがあるのだな、と思ってみたり、このちょっとした演出が舞台上には割と大きな効果となって現れることにも驚かされました。それにしてもご宗家の掛けられた「若女」の美しかったこと!
また喜多流の『小鍛冶』には、同流の名物の「白頭」の小書が付けられていました。観世流の『小鍛冶・白頭』では前シテが尉に替わるのですが、喜多流では童子のままだったのが目新しかったですが、前シテは徹頭徹尾ドッシリとした位で勤められるのがまた印象的。そして後シテは有名な「狐足」という足運ビで演じられました。もうずっと以前になりますが、この喜多流の『小鍛冶・白頭』はテレビで放映されたことがあったのです。まだビデオもベータ方式が主流の頃ではなかったかと思いますから、ぬえも探せば録画があるかもしれませんが、もう古い話なので。。今回はそれを初めて実見する貴重な機会となりました。
今日からまた伊豆へ稽古に出かけ、今度はそれとは違う用事で伊豆に宿泊します~。なんだか忙しい夏じゃね。。
「納涼能」は能楽協会東京支部主催の催しで、今年でもう31回を数えるんですね。ずっと以前は日比谷公会堂が会場となっていましたが、現在は東京の能楽堂を持ち回りで巡回して会場としています。
そういえば学生時代も能楽師になってからも、ぬえも時々は日比谷公会堂で行われた「納涼能」を拝見に伺ったことがありますな~。と思ったら、楽屋でもやはり日比谷公会堂時代の思い出話に花が咲きました。現・能楽協会東京支部長の武田宗和さんは「その頃は楽屋のゴザ敷きから舞台設営、撤去までみんなで手伝ってね~。もう汗まみれで大変だったよ~」とおっしゃり、この日「ミニ能楽講座」の講師を勤められた観世喜正さんは「あ、私も中学生の頃は日比谷公会堂の催しにお客さんで行った事もありますよ~」なんておっしゃって。
能楽協会にはいくつもの支部がありますが、シテ方五流の宗家が全員揃って出演されるのは東京支部の「納涼能」だけなのだそうで、楽屋の中はたいへんな賑わいでした。あ、もちろん見所も満員御礼でございました~。
こういう催しは良いですよね。能楽師の友人、わけてもシテ方他流の友人とは、能楽師の結婚式とかお葬式、はたまた能楽協会の新年会ぐらいでしか、なかなか会う機会がありません。この日も、とくに金春流と喜多流の友達と久しぶりに会って談笑することができました。
それだけにとどまらず、他流の方の芸を揃って拝見できるのも、なかなかない機会です。仕舞ひとつを取ってみても、流儀によって作法が全然違っていたり、装束着けの方法も各流に独特の決マリや工夫があったり。今回は能は観世御宗家の『熊野』と、喜多流の『小鍛冶』が上演され、狂言には大がかりな作物が出される『花盗人』、そして宝生・金剛・金春の各御宗家のお仕舞が上演されました。装束着けといえば、喜多流の水衣の着付け方は独特で、この日も『小鍛冶』の前シテの童子役でその着付を見ることができました。
そして何といっても今回上演された能の興味は小書でしたですね。『熊野』には「読次之伝・村雨留・墨次之伝・膝行留」の四つの小書すべてが付けられました。これを楽屋言葉で「一式之習」などと呼んでいますが、たいそう豪華な演出になりました。ことに ぬえが思ったのは、「墨次之伝」の墨のつぎ方が、今回は2度だったことでしょうか。ぬえの師家では3度、とされていて、こんなところにも微妙な違いがあるのだな、と思ってみたり、このちょっとした演出が舞台上には割と大きな効果となって現れることにも驚かされました。それにしてもご宗家の掛けられた「若女」の美しかったこと!
また喜多流の『小鍛冶』には、同流の名物の「白頭」の小書が付けられていました。観世流の『小鍛冶・白頭』では前シテが尉に替わるのですが、喜多流では童子のままだったのが目新しかったですが、前シテは徹頭徹尾ドッシリとした位で勤められるのがまた印象的。そして後シテは有名な「狐足」という足運ビで演じられました。もうずっと以前になりますが、この喜多流の『小鍛冶・白頭』はテレビで放映されたことがあったのです。まだビデオもベータ方式が主流の頃ではなかったかと思いますから、ぬえも探せば録画があるかもしれませんが、もう古い話なので。。今回はそれを初めて実見する貴重な機会となりました。
今日からまた伊豆へ稽古に出かけ、今度はそれとは違う用事で伊豆に宿泊します~。なんだか忙しい夏じゃね。。
本日も江間の小四郎のお稽古、ありがとうございました。兄妹とも、毎回のお稽古を楽しみにしていて、朝からソワソワです。
本日の武士達、途中五人までが、まるで示し合わせたかのようにお揃いの薪能Tシャツ。 リーチ!
あと一人でビンゴと盛り上がっています。
そこへ現れたカーキ色のTシャツのK君。一同ガ~ン
あっという間に着替え、いつもの6員環となったのでした。
先日の能楽教室の後、武士達に変化が・・・
家で大声で練習する子(夜はやめて~)、去年のDVDをチェックする子、本番前には皆で打ち合わせもしているようです。母としてはその姿勢がうれしいな。
ぬえ先生のお傍で能とそれ以上のことも学ばせていただいています。ありがとうございます。
本番まで残りわずかですがよろしくおねがいします。
>>本日の武士達、途中五人までが、まるで示し合わせたかの
>>ようにお揃いの薪能Tシャツ。 リーチ!
そうそう、そうなんです。ぬえもお揃いのTシャツに気がついたんですが。。それを誉め忘れた。
まあ、先日の稽古では武士たちは かなり気合いが入っていましたよね~。やっぱり「古典芸能教室」で初めて人前で演じる機会を得て、彼ら、思うところがあったんでしょう。覚悟が決まった、と言うか、ね。
ところでこの「狩野川薪能Tシャツ」ですが、出演の子どもたちはもとより、薪能当日にはスタッフも全員着ているのですが。。ぬえ、毎年もらえないの。(×_×;)
薪能当日は準備や後片付けに追われて本当に忙しいんだけれど、そのせいか、実行委員会は ぬえのところにTシャツを持ってきてくれない。。
それで、薪能の終演後に「あの~」と実行委員会に申し出て「Tシャツをくださ~い。。」とお願いするのです。
すると。。「あ、ぬえ先生、まだ差し上げていませんでしたか。それは失礼しました」とは言われるんだけれど、
そのうち「あ!。。すみませ~ん。もうほとんどのTシャツはあげてしまったので。。残っているのはこれしか。。」
そう言われて、LLサイズ(かもっと大きい)のTシャツを頂戴します。。毎年これが続いています。
今年は薪能よりもずっと前にTシャツが配られたんですね。やっぱり ぬえには配られなかったけど。。(・_・、)