昨日、『山姥』の申合がおわり、あとは当日を迎えるだけとなりました。ところが。。この申合の ぬえの出来は。。あまりよくなかったんですよね~。。自分としては今月初旬の稽古能の方がよくできた。稽古能より申合の方がレベルが下がったのでは本末転倒ではありますが、今日はいろんな悪条件が重なった、という事もあります。稽古で出来ていたことが今日に限って出来なかったところもあったし、いろいろと考えるところはありました。
今日は申合が終わってから研能会の理事会・評議員会があって、うう~~力を出し切ったところでの会議は眠くてしかたがなかったけれど、それが終わって帰る電車の中で爆睡して、夕方から再び『山姥』の稽古に取りかかりました。そしたら、さっき出来なかったところが。。出来た。う~~ん、そんな「水物」のような芸では困るんだけど。。まあ。。それが ぬえの実力なのでしょう。当日は万全の体調で幕を揚げられるように、その時間に自分のクライマックスを持っていく事に専念したいと思います。
しかし今日面白かったのは、申合の不出来を見かねてか、終わったところで先輩が わらわらと寄ってきて、あれやこれやとコツを教えてくださった事でした。面白い、というのは不謹慎かも知れませんが、もちろんアドバイスはありがたかったのです。でもそれと同時に、『山姥』という曲に思い入れがある能楽師が多いのだな~、と思ったからなんです。教えてくださった中には「小ワザ」みたいなものもあって、これはお客さまにはほとんど気づいて頂けないような小さな演技ですから、これはその先輩の「思い入れ」の結晶です。あ~、山姥さんって、愛されているのねえ。。能楽師に。(^◇^;)
さてクセが終わると、シテは扇を再び鹿背杖に持ち替えて山姥の山廻りのさまを見せます。ぬえはこれは懺悔なのだと捉えています。自分の妄執、自尊心、つまるところ煩悩。「まことの山姥」の姿を知らせて、「山に住む鬼女」という誤解を解き、善行を積んでいることをツレに知ってもらい、そのうえで回向を受けて「輪廻を免れ、帰性の善所に至らざらん」、と考えた山姥。しかしその「年月の望み」が叶えられたとき、それは山姥自身が持つ矛盾や煩悩を露呈することにもなったのでは? 山姥の本質たる山廻りそのものが輪廻の象徴とも受け取れるのです。。ここで山廻りを見せる山姥の懺悔は。。ツレではなく仏に向けられているんですね。。
シテ「あしびきの
地謡「山廻り。
〔立廻リ〕
能で、舞ではないけれども地謡をともなわない音楽舞踊のひとつに「立廻リ」があります。ほんの舞台を一巡する程度のものから具象的な型を伴うものまでいろいろあって、また「立廻リ」によく似た舞踊に「イロエ」(彩色とも)があります。じつは「立廻リ」と「イロエ」は区別が曖昧で、よく「太鼓が入るのが立廻リで、大小鼓だけで伴奏するのがイロエ」などと言われますが、例外はあるし、シテ方と囃子方、またその それぞれの中でもお流儀によって、同じ曲の同じ部分を「立廻リ」と称したり「イロエ」と呼んだりしているので、結局 統一された定義はない、と言うべきでしょう。敢えて言わせて頂ければ、男性の役が舞うのが「立廻リ」、女性のそれが「イロエ」と呼ばれる傾向はあると思いますが。んじゃ、山姥さんは女性とは認めてもらっていないのね。。
『山姥』の立廻リは型が独特で、大きく、ドッシリと舞うことになっています。
まず「序」というべき部分があって、ここでは太鼓が付頭を4つ打つ中で、5拍目の大鼓に合わせて音を立てて鹿背杖を突き、あとは7拍の小鼓、つぎのクサリの1拍の太鼓に合わせて左右の足で拍子を踏みます。これが3回あって、4度目は大きく1足踏み出して杖を突き、また足拍子を踏みます。これを知ラセとして太鼓は刻を打ち、シテは鹿背杖をつきながら角へ出、左へ大きく廻って大小前に到り、鹿背杖を両手に持って左に小さく廻り、正先へノリ込、拍子を二つ踏んで下居ながら鹿背杖を右の肩にかつぎ、ここで太鼓が段を取ります。つづいてシテは正へグワッシ仕、膝を立て替えて立ち上がり、常座に到ってトメ。
ここからは山姥は再びツレに語りかけます。
シテ「一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生の縁ぞかし、ましてや我が名を夕月の(ツレへ向き)、憂き世を廻る一節も、狂言綺語の道直に(ツレの方へ出)、讃仏乗の因ぞかし、あら御名残惜しや(鹿背杖を右肩にもたせかけて下居)。
ぬえ、この言葉が好きです。いったんはツレから気持ちが離れた山姥も、冷静に考えれば「袖触れあうも多生の縁」と言われるようにツレとの深い因縁を思う。「狂言綺語の道直に讃仏乗の因ぞかし」山姥が「狂言綺語」を言っているのではないけれども、ツレ百万山姥さえ「狂言綺語の道直に讃仏乗の因」となるのであれば、自分もツレに導かれて成仏できるのではないか。。やっぱりここに ぬえは世阿弥がツレ百万山姥に父・観阿弥を仮託してオマージュを捧げたと感じるのです。
シテ暇申して、帰る山の(立ち上がり常座にクツロギ鹿背杖を扇に持ち替え)、
地謡「春は梢に、咲くかと待ちし(角へ出)、
シテ「花を尋ねて、山廻り(見上げ、左へ廻り大小前へ行き)、
地謡「秋はさやけき、影を尋ねて(正へ出)、
シテ「月見るかたにと、山廻り(雲の扇にて正面の上を見上げ)、
地謡「冬は冴え行く、時雨の雲の(サシて角へ行き扇を上げ右上を見上げ)、
シテ「雪を誘ひて、山廻り(左へ廻り大小前に行き)、
地謡「廻り廻りて、輪廻を離れぬ(小廻りヒラキ)、妄執の雲の、塵積もつて(サシて正へ出ヒラキ)、山姥となれる(両手を大きく拡げ)、鬼女が有様、見るや見るやと(大左右正先へノリ込)、峰に翔り(飛返り雲の扇にて見上げ)、谷に響きて(扇を返して下を見回し)、今までここに、あるよと見えしが(立ち上がり角へ行き)、山また山に(脇座へ行きサシ)山廻り、山また山に、山廻りして(角より常座に到り小廻)、行方も知らず(ヒラキ)、なりにけり(右ウケトメ拍子)。
結局、山姥は自身による成仏の道を見つけられずに、ツレとの因縁に一縷の望みを抱きつつ四季折々の山廻り~輪廻の世界に戻って行きます。「廻り廻りて、輪廻を離れぬ」は「今ぞ輪廻を離れる」とも読めないでもないですが、やはりここは「離れ得ない、その妄執の雲が塵となって積もって山姥となった」と読むべきでしょう。すなわち山姥は自分がそこから離れたいと願った煩悩そのものが凝り固まって形をなした姿。。あまりにも悲しい結末です。
ここに到って、中入で間狂言が「山姥には何がなる」と言って、その組成を言い立てた事にも意味が出てくるようにも思えます。山姥はドングリやら木戸などという物質から出来上がったのではなくて、心。。煩悩から生まれ出た存在なのです。しかし「衆生あれば山姥もあり」。煩悩とはまさに人間が持つものなのであって、そう考えれば人間と山姥は表裏一体のもの、あるいは人間が生み出し、その負の側面を一身に背負った存在なのかも知れません。
山のかなたに飛び去るように姿を消す山姥。終盤の激しい舞の爽快感とは裏腹に、なんだか彼女の嗚咽が聞こえるような。。
【了】
今日は申合が終わってから研能会の理事会・評議員会があって、うう~~力を出し切ったところでの会議は眠くてしかたがなかったけれど、それが終わって帰る電車の中で爆睡して、夕方から再び『山姥』の稽古に取りかかりました。そしたら、さっき出来なかったところが。。出来た。う~~ん、そんな「水物」のような芸では困るんだけど。。まあ。。それが ぬえの実力なのでしょう。当日は万全の体調で幕を揚げられるように、その時間に自分のクライマックスを持っていく事に専念したいと思います。
しかし今日面白かったのは、申合の不出来を見かねてか、終わったところで先輩が わらわらと寄ってきて、あれやこれやとコツを教えてくださった事でした。面白い、というのは不謹慎かも知れませんが、もちろんアドバイスはありがたかったのです。でもそれと同時に、『山姥』という曲に思い入れがある能楽師が多いのだな~、と思ったからなんです。教えてくださった中には「小ワザ」みたいなものもあって、これはお客さまにはほとんど気づいて頂けないような小さな演技ですから、これはその先輩の「思い入れ」の結晶です。あ~、山姥さんって、愛されているのねえ。。能楽師に。(^◇^;)
さてクセが終わると、シテは扇を再び鹿背杖に持ち替えて山姥の山廻りのさまを見せます。ぬえはこれは懺悔なのだと捉えています。自分の妄執、自尊心、つまるところ煩悩。「まことの山姥」の姿を知らせて、「山に住む鬼女」という誤解を解き、善行を積んでいることをツレに知ってもらい、そのうえで回向を受けて「輪廻を免れ、帰性の善所に至らざらん」、と考えた山姥。しかしその「年月の望み」が叶えられたとき、それは山姥自身が持つ矛盾や煩悩を露呈することにもなったのでは? 山姥の本質たる山廻りそのものが輪廻の象徴とも受け取れるのです。。ここで山廻りを見せる山姥の懺悔は。。ツレではなく仏に向けられているんですね。。
シテ「あしびきの
地謡「山廻り。
〔立廻リ〕
能で、舞ではないけれども地謡をともなわない音楽舞踊のひとつに「立廻リ」があります。ほんの舞台を一巡する程度のものから具象的な型を伴うものまでいろいろあって、また「立廻リ」によく似た舞踊に「イロエ」(彩色とも)があります。じつは「立廻リ」と「イロエ」は区別が曖昧で、よく「太鼓が入るのが立廻リで、大小鼓だけで伴奏するのがイロエ」などと言われますが、例外はあるし、シテ方と囃子方、またその それぞれの中でもお流儀によって、同じ曲の同じ部分を「立廻リ」と称したり「イロエ」と呼んだりしているので、結局 統一された定義はない、と言うべきでしょう。敢えて言わせて頂ければ、男性の役が舞うのが「立廻リ」、女性のそれが「イロエ」と呼ばれる傾向はあると思いますが。んじゃ、山姥さんは女性とは認めてもらっていないのね。。
『山姥』の立廻リは型が独特で、大きく、ドッシリと舞うことになっています。
まず「序」というべき部分があって、ここでは太鼓が付頭を4つ打つ中で、5拍目の大鼓に合わせて音を立てて鹿背杖を突き、あとは7拍の小鼓、つぎのクサリの1拍の太鼓に合わせて左右の足で拍子を踏みます。これが3回あって、4度目は大きく1足踏み出して杖を突き、また足拍子を踏みます。これを知ラセとして太鼓は刻を打ち、シテは鹿背杖をつきながら角へ出、左へ大きく廻って大小前に到り、鹿背杖を両手に持って左に小さく廻り、正先へノリ込、拍子を二つ踏んで下居ながら鹿背杖を右の肩にかつぎ、ここで太鼓が段を取ります。つづいてシテは正へグワッシ仕、膝を立て替えて立ち上がり、常座に到ってトメ。
ここからは山姥は再びツレに語りかけます。
シテ「一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生の縁ぞかし、ましてや我が名を夕月の(ツレへ向き)、憂き世を廻る一節も、狂言綺語の道直に(ツレの方へ出)、讃仏乗の因ぞかし、あら御名残惜しや(鹿背杖を右肩にもたせかけて下居)。
ぬえ、この言葉が好きです。いったんはツレから気持ちが離れた山姥も、冷静に考えれば「袖触れあうも多生の縁」と言われるようにツレとの深い因縁を思う。「狂言綺語の道直に讃仏乗の因ぞかし」山姥が「狂言綺語」を言っているのではないけれども、ツレ百万山姥さえ「狂言綺語の道直に讃仏乗の因」となるのであれば、自分もツレに導かれて成仏できるのではないか。。やっぱりここに ぬえは世阿弥がツレ百万山姥に父・観阿弥を仮託してオマージュを捧げたと感じるのです。
シテ暇申して、帰る山の(立ち上がり常座にクツロギ鹿背杖を扇に持ち替え)、
地謡「春は梢に、咲くかと待ちし(角へ出)、
シテ「花を尋ねて、山廻り(見上げ、左へ廻り大小前へ行き)、
地謡「秋はさやけき、影を尋ねて(正へ出)、
シテ「月見るかたにと、山廻り(雲の扇にて正面の上を見上げ)、
地謡「冬は冴え行く、時雨の雲の(サシて角へ行き扇を上げ右上を見上げ)、
シテ「雪を誘ひて、山廻り(左へ廻り大小前に行き)、
地謡「廻り廻りて、輪廻を離れぬ(小廻りヒラキ)、妄執の雲の、塵積もつて(サシて正へ出ヒラキ)、山姥となれる(両手を大きく拡げ)、鬼女が有様、見るや見るやと(大左右正先へノリ込)、峰に翔り(飛返り雲の扇にて見上げ)、谷に響きて(扇を返して下を見回し)、今までここに、あるよと見えしが(立ち上がり角へ行き)、山また山に(脇座へ行きサシ)山廻り、山また山に、山廻りして(角より常座に到り小廻)、行方も知らず(ヒラキ)、なりにけり(右ウケトメ拍子)。
結局、山姥は自身による成仏の道を見つけられずに、ツレとの因縁に一縷の望みを抱きつつ四季折々の山廻り~輪廻の世界に戻って行きます。「廻り廻りて、輪廻を離れぬ」は「今ぞ輪廻を離れる」とも読めないでもないですが、やはりここは「離れ得ない、その妄執の雲が塵となって積もって山姥となった」と読むべきでしょう。すなわち山姥は自分がそこから離れたいと願った煩悩そのものが凝り固まって形をなした姿。。あまりにも悲しい結末です。
ここに到って、中入で間狂言が「山姥には何がなる」と言って、その組成を言い立てた事にも意味が出てくるようにも思えます。山姥はドングリやら木戸などという物質から出来上がったのではなくて、心。。煩悩から生まれ出た存在なのです。しかし「衆生あれば山姥もあり」。煩悩とはまさに人間が持つものなのであって、そう考えれば人間と山姥は表裏一体のもの、あるいは人間が生み出し、その負の側面を一身に背負った存在なのかも知れません。
山のかなたに飛び去るように姿を消す山姥。終盤の激しい舞の爽快感とは裏腹に、なんだか彼女の嗚咽が聞こえるような。。
【了】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます