
毎々 当ブログをご愛顧頂きましてありがとうございます。
またブログ投稿が滞り、大変申し訳なく思っております。
一昨日になりますが、伊豆でお月見の美しい催しをしておりました。国宝の運慶仏を蔵する伊豆きっての名刹の、枯山水庭園での能とフルート演奏の催しで、かなり ぬえも力を入れておりましたので、思った以上の成果は出せたのではないかと思います。共演者や会場、それから地域の方々にも大変献身的な協力を頂きましたことも催しが成功した大きな要因です。関係の方々に厚く御礼申し上げます。
。。が、終演後に後片づけをしている最中に、父の訃報が飛び込んできました。。
すでに八十九歳。入院中でもあり、脳梗塞を起こして会話は不可能になっていたので、いずれ近いときに訪れるであろうとは予想していましたが、まさかこの日とは。
たまたま数日前にお見舞いに行って父の手を握ったのが せめてもの思い出か。その前は多忙にかまけて2週間もお見舞いに行っていなかったものなあ。
伊豆から急いで東京の病院にたどり着いて事情を聞いたところ、父が亡くなったのが確認されたのは伊豆での催しで ぬえが能『羽衣』の上演を終えた直後のことでした。ということは父が最期の戦いをしているときに ぬえは舞っていたのね。
思えば昨年1月に母が急逝し、残された父の介護を兼ねて実家に戻った ぬえでしたが。その年は車椅子に父を乗せて花見に行ったり 名月を眺めに出たりしたものでした。今年に入って、母の一周忌で寒い1月に父を外出させたところから歯車がかみ合わなくなって来たように思います。父は肺炎を起こして入退院を繰り返し。。結局、母の亡きあと1年8ヶ月で、父は母の待つところへ旅立ってしまいました。
親の死に目には会えない仕事、なので そこは仕方ないとして、せめて その時、人々に幸福を与える天女の役を演じていたのが ぬえの救いかな、とも思います。
伊豆から深夜に帰京した ぬえは、そのまま病院で父と対面、その後葬儀社さんと打合せもあって、それから就寝。そして昨日はまた名古屋近郊の舞台のために5時半に起き出して慌ただしく家を後にしました。道中、あちこちに連絡を取りながら。
とうとう ぬえは両親とも失ってしまいました。
本日の予定はキャンセルし、葬儀の準備に入ります。まだ実感ないですが。。
またブログ投稿が滞り、大変申し訳なく思っております。
一昨日になりますが、伊豆でお月見の美しい催しをしておりました。国宝の運慶仏を蔵する伊豆きっての名刹の、枯山水庭園での能とフルート演奏の催しで、かなり ぬえも力を入れておりましたので、思った以上の成果は出せたのではないかと思います。共演者や会場、それから地域の方々にも大変献身的な協力を頂きましたことも催しが成功した大きな要因です。関係の方々に厚く御礼申し上げます。
。。が、終演後に後片づけをしている最中に、父の訃報が飛び込んできました。。
すでに八十九歳。入院中でもあり、脳梗塞を起こして会話は不可能になっていたので、いずれ近いときに訪れるであろうとは予想していましたが、まさかこの日とは。
たまたま数日前にお見舞いに行って父の手を握ったのが せめてもの思い出か。その前は多忙にかまけて2週間もお見舞いに行っていなかったものなあ。
伊豆から急いで東京の病院にたどり着いて事情を聞いたところ、父が亡くなったのが確認されたのは伊豆での催しで ぬえが能『羽衣』の上演を終えた直後のことでした。ということは父が最期の戦いをしているときに ぬえは舞っていたのね。
思えば昨年1月に母が急逝し、残された父の介護を兼ねて実家に戻った ぬえでしたが。その年は車椅子に父を乗せて花見に行ったり 名月を眺めに出たりしたものでした。今年に入って、母の一周忌で寒い1月に父を外出させたところから歯車がかみ合わなくなって来たように思います。父は肺炎を起こして入退院を繰り返し。。結局、母の亡きあと1年8ヶ月で、父は母の待つところへ旅立ってしまいました。
親の死に目には会えない仕事、なので そこは仕方ないとして、せめて その時、人々に幸福を与える天女の役を演じていたのが ぬえの救いかな、とも思います。
伊豆から深夜に帰京した ぬえは、そのまま病院で父と対面、その後葬儀社さんと打合せもあって、それから就寝。そして昨日はまた名古屋近郊の舞台のために5時半に起き出して慌ただしく家を後にしました。道中、あちこちに連絡を取りながら。
とうとう ぬえは両親とも失ってしまいました。
本日の予定はキャンセルし、葬儀の準備に入ります。まだ実感ないですが。。
ご尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。
11月のセルリアンでの公演のお申込みをしようと、
先生のブログを久しぶりに開き、この度のお父様のご逝去を知りました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
天女を舞われていたときのこととか・・・。何か、非常に八田先生のお父様らしいと感じてしまいました。
遠く昔、お稽古で伺っていた時のこと。
記憶違いであったら、申し訳ないのですが、
飼い猫が帰って来ず、懸命に探している先生に、お父様が「猫は最期の時は姿を隠すもの。あばくようなことはしてはいけない」と諭された・・・というようなお話を伺ったことがございます。
美しいまま、ということを思ったように、思います。
先生の羽衣は、さぞ美しく、お父様もご覧になっていたことでしょう。
私も両親を見送りました。お気持ち、お察し申し上げます。
落ち着かれましたら、11月17日のチケット(自由席)のお申込みをお願い申し上げます。
それとも、研能会に直接の方がよろしいでしょうか?
ご指示いただけましたらありがたく存じます。
米原拝