ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その3=「法会之式」の詞章)

2007-01-14 00:23:50 | 能楽
前回「法会之式」の詞章と常の『翁』とそれとでは小異がある、という事をお話したのですが、じつはその小異のある詞章というのは「法会之式」に独特のものではありませんで、それどころか、むしろ“常の『翁』の詞章の方が独特”という不思議な言いかたの方が実態には合っているかもしれません。

観世流では『翁』にはたくさんの小書があります。いわく「初日之式」「二日之式」「三日之式」「四日之式」「十二月往来(じゅうにつきおうらい)」「法会之式」「父尉延命冠者」「弓矢之立合」「船之立合」…と、まあなんと9種類の『翁』があるのです。

現在、普通に『翁』を上演するときは、観世流ではこのうち「四日之式」で演じることになっていますが、これには理由があります。かつて江戸時代には勧進能や将軍宣下能など大規模な催しが行われて、その興業は数日~十数日も続くことがありました。それぞれの日には冒頭に必ず『翁』が演じられるワケですが、そのとき興業の初日には「初日之式」、二日目には「二日之式」というように毎日『翁』の演式を変えて演じたのです。そして「四日之式」を演じた翌日以降も催しが続く場合は、以後「四日之式」を繰り返して演じました。そうなると演者としては「四日之式」の演式で演じる機会が最も多くなる事になります。現在普通に演じられるのが「四日之式」で、それ以外は小書のような扱いになっているワケですが、言ってみれば「四日之式」は「初日之式」のバリエーションとも考えられるわけで、もともとは異式であったはずの演式が、演者に最も身近であったために、長い歴史の中でスタンダードの座を占めるようになったのかもしれません。

そして、前述した「法会之式」の場合の「翁」の文句「松や先、翁や先に生れけん」は「初日」「二日」「三日」の何れの演式の場合でも「翁」が謡う文句で、むしろ“常の”「四日之式」だけが例外となっています(「千歳」の文句「所千代までおはしませ…」の前後は、「初日」~「四日」まで少しずつそれぞれ変化を持たせた詞章となっています)。だから、「法会之式」に独特の詞章、という点を厳密に考えれば、それは「翁之舞」のあとに翁が謡う文句「萬歳の亀これにあり…」だけ、ということになってしまいます。そして、その“独特の詞章”と言うべきものが、仏教とはまったく関係がない詞章だ、という点にも注意するべきでしょう。

つまり「法会之式」とは“仏式に則った演式による『翁』”とは言えないのです。そして「法会之式」は現在では追善能の性格を持つ催しで稀に演じられるのですが、その詞章を見る限り、「法会之式」を含めた『翁』のすべての演式の場合が共通して「祝福」をテーマに持っているのは疑いようがなく、どうやら現代の演者が『翁・法会之式』に抱く“仏式に則った追善の『翁』”というイメージは正しいとは言いにくいようです。

タネを明かせば、じつはこの「法会之式」という演式は、主に奈良の多武峰(とうのみね)で行われた独特の演式が今日にまで伝えられて来たもの、と考えられているのです。多武峰といえば談山神社(たんざんじんじゃ)が有名で、ここが藤原鎌足を祀る神社であることはこのブログの『海士』の考察でも触れましたが、明治時代の廃仏毀釈までは妙楽寺という古い歴史を持つ寺と一体で、ここで行われた「八講猿楽」は興福寺・春日神社での祭礼能と同じく古くから猿楽(大和猿楽四座)の庇護者でもありました(『申楽談儀』は、結崎座(観世流の古名)に、近畿近辺に居ながら多武峰での催しに欠勤した者は座を追放する、という規定があったことを伝えていて、現在も「法会之式」を伝える観世流と多武峰との深い関係が想像できます)。

また多武峰は能の独特の演出が古くから発展した場所でもありました。それは本物の馬や実物の甲冑を舞台に登場させる、という驚くべきもので、その独特の演出は「多武峰様(よう)」と呼ばれていました(「多武峰様」での演能は京都の御所や、なんと宮中でも催され、元雅や音阿弥が舞った可能性が高いうえ、足利義教、義政のほか105代目の後奈良天皇も見物した公算が大きく、さらに上演曲の中には現行曲である『夜討曽我』も含まれています)。

このような特殊な環境の中で生まれた『翁』の異式「法会之式」が、関係の深かった観世流の中に今でも生き残っている事は、それがどこまで古式を伝えているかわからないにしても感慨深いものがありますね。多武峰に限らず神仏混淆の歴史が長い日本の文化の中で『翁』は、興福寺をはじめ寺での催しでもごく自然に上演されてきました。『翁』を“神道式”と括ってしまう事こそ、案外、現代人である我々の誤解なのかもしれませんね。

>みみこさん
研能会にご来場頂きましたうえにコメント頂きましてありがとうございます。
すみません、今回はちょっと難解なお話になってしまったかも。。m(__)m

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2 コメント

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三番叟 (幽玄堂)
2007-01-14 05:46:14
研能会、拝見しました。
不覚にも三番叟の「錫杖」気が付きませんでした。
千歳・翁の出番が終わって、通常とほとんど変わらないなぁ…と思って三番叟は正直気を抜いて見ていました…なにせ今回、座席が後ろの上に前の人の頭でかなり見にくかった。

調べてみた所、法会之式のキマリのようです。(ちょっと調べただけなので、違うかもしれませんが)
錫杖を使うというのは鷺流に有ったらしく、観世の法会之式に取り込まれたのは、さほど古くない可能性が有ります。

ところで、『翁』は仏教のイメージがあまり無いのは事実ですが、現在登場しない「父尉」が釈迦を「翁」が文殊を「三番叟」が弥勒をかたどったもの、という記述が『法華五部九巻書』という本に有る、と私が持っている謡本の最初の部分に書いて有ります。
もっとも、世阿弥の時代には既に「父尉」は特殊な場合しか登場しなかったようですが…。
この説を真に受けないにしても、係りは有ると言える気がします。

『翁』は謎が多すぎて、調べる気にもならなかったのですが、小書や仏教との接点など、少し掘り下げたら面白そうですね。
Unknown (ぬえ)
2007-01-16 11:57:31
>幽玄堂さんコメントありがとうございます。

ふむう。やはり錫杖を持って舞うのは「法会之式」の際の「三番叟」のキマリですか。。

>>錫杖を使うというのは鷺流に有ったらしく、観世の法会之式に取り込まれたのは、
>>さほど古くない可能性が有ります。

これほど詞章や演出に仏教色がない「法会之式」だけに、ぬえもあの錫杖には意外な、というか、とってつけたような印象を受けました。そして、小書のテーマ性に関係なく、「法会」という名称に沿ったような小道具だけが持ち出されてくるのは。。これは直感にしか過ぎませんが、ぬえもこれは後世に作られた演出なのではないか、と考えました。もちろんお狂言方には何らかの伝承があるのかも知れませんが。

『翁』の役に仏教の諸尊をあてはめる考え方は ぬえも聞いたことがありますが、『法華五部九巻書』に記されてある説だとすると、これは。。

ぬえもこんな宗教書までは本文にはあたっていないのですが、同書は今回の ぬえの調査では「偽書の疑いがあって現在では、参照されていない」とのことなんです。。

『翁』が演出上や楽屋での決まり事に多分に神道の儀式が意識されている事、それに対してシテが謡う祝祷の詞章が祝詞の形式ではなくて俗歌、すなわち『梁塵秘抄』の今様の世界を彷彿とさせるような大らかな内容であること、登場する諸役には歴史的に大きな変化がある事、そもそも能役者とは別系統の翁猿楽として発生していること。。

『翁』に関してさえこれほど不明な点があるのに、これらを神仏混淆という、日本の文化の伝統的で本質的な部分でありながら、これまた現代の日本人からはまたちょっと位相がズレた世界の中で捉えていかなければ『翁』の理解には近づかないのでしょうね。

でもそれを始めてしまったら、たちまち能を論じる事から離れていってしまいそうだし、辿り求めて行く先には深~~~~い泥沼が待っているのは必定。。ぬえにはこの解明は無理だな。くわばら、くわばら。。

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