ぬえの能楽通信blog

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廬生が得たもの…『邯鄲』(その5)

2012-11-06 09:49:41 | 能楽
『邯鄲』は特徴の多い曲ではありますが、ひとつの大きな特徴がここで演奏される「真之来序」でしょう。

四拍子が揃って演奏するこの囃子は、もっぱら帝王の登場の場面で演奏されるもので、『鶴亀』や『咸陽宮』などで演奏される機会も多いのですが、それらはすべて能の冒頭で演奏されるのです。能の途中で演奏されるのは『邯鄲』だけだと思いますが、これはシテ廬生が一介の市民の立場から夢の中で楚国の帝王の位に変わる、ということで演奏されるものです。

本来であれば幕から帝王役のシテが臣下一同を引き連れて登場し、『邯鄲』と同じように宮殿に擬せられた一畳台の上に乗って着座するまでを演奏する「真之来序」はかなり長い演奏ですが、『邯鄲』ではシテはこのとき舞台の中央に着座していて、ほんのすぐそば…先ほどまで着座していた一畳台に立ち戻るだけです。

しかしながら、シテが静かに立ち上がって一畳台に乗り、これを見てワキツレが幕を上げて子方を先立てて登場し、さて常の「真之来序」と同じように舞台に居並ぶので、結果的には「真之来序」はある程度の長さになります。「真之来序」は非常に荘重な囃子なので、分量としてもある程度の長さがあった方が効果的ですね。

この場面、ワキツレ輿舁はすでに退場してしまっていますが、ワキはシテの後ろに着座しています。そしてシテが立ち上がるのに合わせて一緒に立ち上がり、シテが一畳台に向かって歩み出すと、それに合わせて目立たぬように切戸に退場します。

このあたり、演出としてよく考えられていると思いますね。ワキ勅使に促されて一畳台…邯鄲の宿屋から出たシテ廬生は輿舁に輿を掲げられて舞台中央に立ち、ほんの3足ばかり正へ出ます。これが邯鄲の里から遙かの楚国の宮殿への道のりであり、シテが一度座って区切りを示すと、すぐに輿舁は退場、いよいよシテが宮殿の玉座に座るために一畳台に上るときに「真之来序」が演奏される。。これは即位の記号なのでしょう。ワキは輿舁が退場してもなお シテのお供をして居残っていますが、これも即位を見届けると退場。それぞれの役の移動は短い距離ですが、邯鄲の里~道中~帝都~玉座と、すべての場面が略されることなく、しかし凝縮して描かれるのです。

ところで「真之来序」の演奏には、その冒頭にシテに大小太鼓の粒に合わせた足遣いがあって、それは現在『邯鄲』にしか残されていない、という説明がされることがあります。これ、たしかに観世流の上演でも足遣いをしておられるシテを ぬえも実見したことがあるのですが、ぬえの師家の型では現在、この部分に足遣いは致しません。ぬえの実見ではシテに足遣いがある場合、その後ろに立つワキも同じように足遣いをしていました。そうしないとワキばかりが先に進んでしまうのですからこの処理は当然でしょうが、ワキ方にここで足遣いをする習いがあるのでしょうか。たしか能『皇帝』はワキ方が「真之来序」で登場すると記憶していますが。。これは機会を見てワキ方に聞いてみようと思っています。

「真之来序」でシテは一畳台に上ると、後ろ向きに座って首に掛けていた掛絡を取り去ります。求道者から、あくまで俗人である帝王への変化です。じつは左手に持っていた数珠は、すでに一畳台から下りる際に目立たぬように捨てていまして、これは後見が引いてくださいます。掛絡はこの場面では取り去りにくいので、再び一畳台に上ってから取り去るのでしょう。同じく後見は、シテが輿に乗って王宮をめざして歩みを進める間に一畳台の上から枕を取り去ります。

ところでシテは帝王役であっても『鶴亀』『咸陽宮』のように床几に腰掛けることはありません。これも能『皇帝』に例があると思いますが、後の動作のためでありましょうがと、ここはやはり作者の工夫による夢の中の仮の帝位の表現、と考えたいところです。帝位についてもシテは冠をかぶるわけではなく黒頭、または唐帽子のまま。不思議と違和感がありませんが、これも「仮の帝位」の表現なのでしょう。

シテが一畳台に上ると、幕から子方の舞童とワキツレ臣下(3人)が登場、舞台に入り角から常座の方へかけてシテに向いて居並びます。これにて「真之来序」が打ち止められ、豪華な宮殿の描写へと場面は移ります。

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