ぬえの能楽通信blog

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『敦盛』~若き世阿弥の姿(その4)

2010-02-27 23:30:09 | 能楽
ワキが脇座に着くと再び「次第」が演奏されます。以前にも書きました通り、能では「付く」と言って「重複」ということを極端に嫌うのですが、『敦盛』の場合はおそらく前述のようにワキの性格づけのために「次第」が演奏され、またこの前シテの登場も「次第」が演奏されます。そこで「付く」のを避けるためにこの「次第」、ちょっとだけワキの登場の「次第」とは異なる点があるのです。

それは打出シ…すなわち演奏の開始の冒頭だけ、ちょっとした違いがありまして、この前シテの「次第」は小鼓から打ち始めるのです。詳しく言うと、通常「次第」や「一声」といった登場音楽は、冒頭に笛が「ヒーー、ヤーーアーー、ヒーーー!」と鋭い「ヒシギ」という譜を吹いて始まり(←よく響く音なので、楽屋へ登場音楽の開始を告げる「知ラセ」の意味も持っています)ますが、その後「次第」は大鼓から先に打ち出して、ついで小鼓が演奏を始めるのです。また「一声」ではその逆で、まず小鼓から演奏を始めます。

おそらくこの「次第」「一声」の打出シの違いも、同じ「ヒシギ」で始まる登場音楽であるからこそ「付く」のを避ける意味もあるのではないかっと思いますが、そうであるならば『敦盛』の前シテは「次第」でなく「一声」で登場してもよいのではないか? という疑問も生じますね。

「次第」は前述の通り割と端正で儀式的な印象が強い登場音楽で、対して「一声」はもう少し華やかな印象の音楽であろうと思います。『敦盛』の前シテは若い男であり、また身分も卑しい草刈男ですから、溌剌とした「一声」でもよいように思いますが、ところが前シテが謡い出したその内容は卑しい身の境遇を嘆き、孤独をかこつもので、おそらくこの内容から浮きやかな「一声」ではなく「次第」が選ばれたのかな、と ぬえは考えています。

シテ・ツレ「草刈笛の声添へて。草刈笛の声添へて。吹くこそ野風なりけれ。

「次第」の約束事で、登場した役者は七・五文字の初句と それと同文の二句目、さらに同じく七・五文字の三句目を謡い、地謡が「地取リ」を低吟します。先ほどのワキの登場とまったく同じ段取りですね。

ところが『敦盛』の前シテの登場は、ワキの登場とはまた ちょっと違う点もあります。

まずは前シテがツレを伴っていること。通常は前シテのほかに三人のツレ~すべて草刈男が登場し、そのために前シテとツレは舞台の中に歩み入って向き合って謡い出します。

ちなみに装束を見ると、ワキとシテ、それにツレはすべて同じ姿…着流しに水衣ですね。それでも印象はそれぞれにずいぶん違って見えます。

前シテの装束付けは、面は用いず素顔のままで(直面=ひためん、と言います)、襟=浅黄、段熨斗目、水衣、縫紋腰帯、男扇、挟草。
ツレはほぼシテと同じ姿ですが、着付には無地熨斗目を着、またシテやワキが絓水衣を着るのに対してツレは縷水衣という少し裏が透けて見える水衣を着ます。

これは決まり事ではないのですが、『敦盛』の前シテでは好んで萌黄色の系統の水衣が使われますね。またワキも僧であれば多くの場合は茶色の水衣を着ることになります。そのほかにもワキ僧が角帽子をかぶるのに対して市井の者である前シテやツレは素髪のまま。また持ち物もワキが墨絵扇と数珠なのに対して前シテとツレは男扇と挟草。こうしたちょっとした違いを積み重ねて、「付く」印象がだいぶやわらぐ工夫が凝らされています。


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