ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『敦盛』~若き世阿弥の姿(その3)

2010-02-26 01:36:23 | 能楽
「次第」で登場したワキ・直実は舞台に登場するやいなや「夢の世なれば驚きて」と、敦盛を討った事で世の無常を観じたその事を言う…そのときの事件がトラウマとなっているのですね。そうして源平の争乱が収まった後に、彼をして一ノ谷の戦場跡に再び足を向けさせ、敦盛の菩提を弔わせずにはおかなかったのでしょう。この曲であえて前シテの登場と重複することを承知の上でワキも次第で登場するのには、そうした直実の苦しい心情を描く意図があったのだと思います。

とはいえ、シテ方の流儀により「次第」でなく「名宣リ笛」の事もあるわけで、そのどちらが古態をとどめているのかはわかりません。「名宣リ」で登場しても、さて一ノ谷に到着してから感慨を述べる場面で十分に直実の心情は描けるだろうし、どうしても重厚…とまでは言わないにしても、やや仰々しい感じになってしまう「次第」は、若い公達を描く『敦盛』には少し重いような感じも ぬえは受けますが… いずれにせよ、「次第」「名宣リ笛」のどちらの選択も許すような、どこか曖昧で不安定な性格を直実という役は持っていますね。…トラウマ。現代で言えばそういうことになるのかもしれません。

ワキ「九重の。雲井を出でて行く月の。雲井を出でて行く月の。南に廻る小車の淀山崎を打ち過ぎて。昆陽の池水生田川、波こゝもとや須磨の浦 一の谷にも着きにけり 一の谷にも着きにけり。

「道行」と呼ばれる紀行文を謡うワキは、斜に少し出てまた立ち戻り、これにて舞台が都から一ノ谷に移動したことを表します。直実が都から出発したのは鎌倉から都に上り法然のもとで出家したから。山陽道を通って須磨に到着するわけですが、京都市内の「淀」「山崎」からいきなり伊丹の「昆陽」に飛ぶのはびっくりです。

ワキ「我この一ノ谷に来て見れば。その時の有様の今のやうに思はれて。輪廻の妄執に還るぞや。南無阿弥陀仏。や。あら面白やあの上野に当つて。笛の音の聞え候。しばらくこの辺りに休らひ。笛の主をも見ばやと思ひ候。

このところ、観世流の本文では次のような文句で、至極常套な印象の「着きゼリフ」です。

ワキ「急ぎ候ほどに。津の国一ノ谷に着きて候。まことに昔の有様今のやうに思ひ出でられて候。またあれなる上野に当つて笛の音の聞え候。これに相待ち。このあたりのことども詳しく尋ねばやと思ひ候。

これに比べて上掲の下懸リ宝生流のおワキでは少しく節の謡も取り入れられて、とても情緒的で美しいですね。下懸リ宝生流は、ワキ方の流儀としては最も新しく成立したお流儀のようですが、シテ方のどの流儀の文句とも違う独自本文を持つことが大きな特徴です。そのためか、節も文章も非常に洗練された印象を ぬえは感じますね~。ときには意外なことを言い出されて申合でびっくりすることもありますが、『清経』や『柏崎』などでは まさにこのお流儀ならではの美しい旋律を聴くことができます。『敦盛』ではそれよりは やや控え目な表現ながら、直実の心情を表現して 余りある風情のある詞章です。

そうして、下懸リ宝生流の本文では この場面にすでに「南無阿弥陀仏」の文言が出てきますね! 法然の弟子として出家した直実ですから、その浄土思想が自然に身について、この言葉が口をついて出てくるのですね。去年 法華宗の能『現在七面』を勤めた ぬえにとっては、またそれとは違った雰囲気を感じられて面白いですし、このお流儀のおワキの詞章が とってもよく練られているな~、と感心もさせられます。

笛の音の主を待つために、これにてワキは脇座に着座して待ち受けます。


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2 コメント

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勉強になります。 (misia2009)
2010-02-27 11:45:06
突然お邪魔いたします。
田舎住まいでなかなか本当のお舞台を拝見にも参れませんが、ひょっと見に行って謡を聞き流して、なんとなく帰ってきても意味がないのが観能、
こうしておワキのお謡の違いまで丁寧に解説してくださると、いつか見に参ろう聞き比べようというモチベーションも高まって参ります。
ぬえ様の考察はいつもとてもレベルが高くて、襟を正す思いで拝読させて頂いております。
敦盛のお舞台のご成功を僭越ながらお祈り申し上げます。
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ありがとうございますっ (ぬえ)
2010-02-27 22:30:41
misia2009さま

コメントありがとうございます~
いえいえ~、ぬえなんぞの書き散らしはお恥ずかしいかぎりですが…

やはり あらすじだけではなくて、本文を調べてからお舞台をご覧になって頂けると、より理解も深まるし、なんと言っても謡曲の美しさがわかって頂けると思います(*^。^*)

どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます~m(__)m
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