ぬえの能楽通信blog

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『敦盛』~若き世阿弥の姿(その5)

2010-03-01 01:55:37 | 能楽
前シテおよびツレ一同は挟草(はさみぐさ)を持って出ます。挟草とは竹の棒の先に草葉を挟んだもの。この草葉なのですが、能では通例、著莪(しゃが)という草を用います。著莪はアヤメの仲間で、葉も剣状でアヤメに似ています。これを板状にたくさんまとめて竹に挟むわけですが、能では実物の葉よりも むしろ造花のような作り物の葉が好んで使われます。

面白いことですが、能には生の草花はあまり良く映えませんね。『菊慈童』の作物につける菊花も造花ですし、『半蔀』の瓢箪も造花。能では演者の顔も能面という「虚構の顔」で演じるわけですし、装束を見ても、たとえば「女性らしさ」を表現しているわけではない…要するに能はお客さまの中で自由にイメージをふくらませて頂くのを演技の「核」としていますので、舞台に登場するものは「象徴」であり「説明」であればよいのです。むしろ過剰な説明は想像のさまたげになってしまい、それで生のものを舞台に出すのは似合わないのですね。象徴を乗り越えて「そのもの」を見せることになってしまう…たとえば作物として建物を表現するとき、その柱は竹でできているのですが、これは「竹の柱」なのではなくて、この作物の柱が象徴するのはただ、それが「柱」であることだけで、それ以上でもそれ以下でもないのです。ですから同じ竹の柱だけでその建物が「あばら屋」でも「宮殿」にもなり得る。能でそのふたつの建物を区別する場合、宮殿であれば竹の柱に包地(ぼうじ)と呼ばれる包帯状の綿の帯を巻き付けることをしますが、それは竹の表皮がお客さまにとって宮殿をイメージするのに「生」であり過ぎるからでしょう。こういう発想って、日本人に独特だと思います。

さてシテとツレ一同は同じように挟草を肩にかついで登場し、向き合って「次第」の謡を謡い出しますが、その直後の「地取リ」でシテのみが正面に向き直って、挟草も肩から下ろして右手に持ちます。

シテ「かの岡に草刈る男野を分けて。帰るさになる夕まぐれ。
シテ・ツレ「家路もさぞな須磨の海。すこしが程の通路に。山に入り浦に出づる。憂き身の業こそ物憂うけれ。
シテ・ツレ「問はゞこそひとり侘ぶとも答へまし。
シテ・ツレ「須磨の浦。藻汐誰とも知られなば。藻汐誰とも知られなば。我にも友のあるべきに。あまりになれば侘び人の親しきだにも疎くして。住めばとばかり思ふにぞ憂きにまかせて過すなり憂きにまかせて過すなり。


最初の二句だけをシテが正面に向いて一人で謡い、以下連吟になると再びシテはツレと向き合って謡います。ただし「藻汐誰とも知られなば」の「返シ」…繰り返し部分だけはシテは黙って、ツレだけで謡う約束になっています。演出上の意味はさほどあるとは思えませんが、これに限らず、シテであってもワキであっても、複数の登場人物が連吟する場合に「上歌(や道行、待謡など上歌に類する小段)の冒頭にある、囃子の打切をはさんだ繰り返し部分=返シ=」だけは、その登場人物の中の最高位の役者は謡わないことになっています。

ところが能の中には、ときには例外的に、登場人物が複数登場しながら、その役の優劣がない、つまり対等な立場の役者が複数登場する場合もあって、この例には『俊寛』のツレ二人(成経、康頼)などがあります。厳密に言えばこの二人には優劣はあって、僧体の康頼の方を能楽師の中では先輩が勤め、成経を後輩が勤めることにはなっているのですが、それは能楽師の序列の問題であって、『俊寛』という能の中にあっては三人の流人のうち俊寛がシテで別格、そして残る二人はシテに対して見れば同格ということになります。そこでこの場合には上歌の「返シ」は康頼が黙って成経一人が謡うということはなく、この部分も二人が連吟することになっています。(←ぬえの師家の場合。あるいは流儀や家による解釈の違いにより、違う場合もあるかも、ですが)

『敦盛』に戻って、上歌の終わりに一同は歩み出し、ツレ一同は笛座の前に斜に立ち並び、シテは一人常座に立って正面に向きます。


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1 コメント

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Unknown (misia2009)
2010-03-01 13:41:44
こんにちわ~
シテ一人常座に立って正面。目に浮かぶようです~
謡だけ読んで分かったような気になりがちですが、「この詞のとき(その前後)、お役者の肉体は何やってるのか」をわきまえておくと更に余裕をもって見られますよね。うっかりすると「謡本めくって舞台見てない」になっちゃいますから^^;型を連動してリポートして頂けるのはすごく有難いです!
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