goo blog サービス終了のお知らせ 

ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~小書「白頭」と「女体」について

2009-05-23 11:48:49 | 能楽
いま久しぶりの休暇で茨城県の鹿嶋市に来ていま~す。うう。。でもここは半年前にマリカ姫がいなくなった場所。。ああ、あれから半年も経ってしまったんか。。なんだか忙しくて、ここに来るのもそれ以来。そして今回は、その後お迎えしたマリモちゃんと一緒に来ています。あ~、まったり~~(*^。^*)

さて今回『殺生石』の「白頭」を勤めるにあたって、この曲について調査をしたご報告を申し上げましたが、また一方、調べている過程で、この曲の上演の実情について気がついた事がいくつかありました。

『殺生石』の小書ですが、「白頭」よりもむしろ有名な小書に「女体」があります。金剛流のそれが つとに有名で、この小書では後シテの野干も女性? の姿になります。お流儀の細かい定めはわかりませんが、ぬえが実見した公演での演出では、作物は常の通りに出されていました。そして前シテでとくに注目されるのが、クセを最初から舞われることでしょう。地謡に緩急もあり、印象的な型付けがなされています。中入はもちろん作物の中で、問題の後シテは白頭に泥眼?のような女面。このときは頭上には九尾の狐の尾だけの建物が載せられていました。装束は鱗箔?・舞衣・長袴という、あくまでも女性の役を意識した扮装。型としては後場のほぼ全体を大小前の一畳台の上で、最初は床几に掛かったまま、ついで立ち上がってで舞い、それから最後の方。。ワキに向かって辞儀をするあたりでようやく舞台に下りられたように記憶しています。

観世流にはこの「女体」の小書はないのですが、近来 演者の工夫として上演されることがあるようです。また「女体」ではなく「白頭」の小書の際に、「女体」のように後シテを女性の姿の野干として上演することもしばしば行われているようで、これは演じ方もだいぶ定着してきたように思います。すなわち作物は舞台に出し、前シテはクセの、主に後半から立ち上がって舞い、後シテは女性の姿で登場する、という、おおまかなには金剛流の「女体」の型を参考に、それと同じ発想で組み立てられた型だと思います。ぬえも、今回の「白頭」では師匠のお勧めがあったため、クセの後半を舞わせて頂きましたが、型については先輩に伺ったところ、やはりすでにクセを舞う型を勤められた先輩があって、そのご指導を受けました。

流儀に本来ない小書、型を演じることについては否定的なご意見もあるかと思います。もちろん正式に他流の小書を演じる場合は流儀として正式に取り決めがなければなりませんが、演者の個人的な工夫として、良いものを取り入れて演じることにはある程度 寛容であってもいいのではないかな、とも思います。

時代、ということもありますね。近世ならばそれぞれの流儀は「座」というまとまりをもって行動していましたから、今ほど流儀間の交流もなかったでしょうしその必要もあまりなかったはずで、流儀の決マリというものも固定化されていたと思います。これと比べると現在の能役者は同じ能楽を演じる、ある種の仲間同士という間柄になりました。交流も自然に生まれるし、他流の役者であっても手本として尊敬される方も多くおられます。流儀が違っても先輩・後輩であり、ときには師匠であり、友だちでもあり、ライバルであり、そして何よりも仲間。そういう関係なのです。ご宗家の追善能や継承能では各流のご宗家が軒並み出演されるのも近代になってからの事ですし、現代では異流共演という試みさえ生まれるようになりました。『殺生石』の「女体」については、もうずいぶん前になりますが、故・梅若恭行先生が日比谷シティ能で この小書をお客さまに見せて差し上げたい、ということで廣田陛一師をお招きして上演して頂いた、ということもありましたね。こうした役者の交流の中からはお互いに自然に触発され、ヒントを頂くことも当然あるわけで、ぬえはそれを工夫に活かす事は演者としては健康的な姿なのではないかな~、とも思います。

やはり必要なのは節度でしょうか。今回の ぬえの『殺生石』でも、じつは朽木倒レの直前の型を少し替えました。本来の師家の型では橋掛りで弓をつがえて幕際まで追い行き、そこですぐに扇を腹に突き立てる型をして、そのまま朽木倒レをすることになっていました。しかし、これではお客さまから見てシテの姿はずっと幕に向かった横向きのままで、それで朽木倒レをしても、ちょっと意味が分かりづらいのではないか、と思い、ちょっと型は忙しかったですが、幕際で正面を向いて矢を射る型をして、扇を腹に突き立て、それから再度幕に向いて朽木倒レをしました。この型は創作ではなく常の『殺生石』の同じ場面の型を取り入れたのです。他の演者の型を取り入れる場合でも、わかりやすさとか、お客さまの立場での視点で考えるべきで、派手な型だからという理由だけでむやみに取り入れたり、独りよがりの演技になってしまってはならないでしょう。

ところで、ぬえが観世流で『殺生石・白頭』を拝見する場合、本来は省略されるはずの石の作物が出されることも多いように思います。お家によって伝承の違いがあるのかもしれませんが、おそらく多くの場合、これは演者の工夫によるものだと ぬえは思っています。前述したように、『殺生石・白頭』で作物が略される理由は、ひとつにはこの曲の前シテが常の『殺生石』とくらべて極端に違った演出ができにくいため、作物を省略することで常の場合との舞台面の変化を持たせようとしたこと、もう一つには「白頭」の型が常の能よりも激しいものであるため、舞台を広く使い、また事故を防ぐためにも作物は省略された、と考えることが可能だと思います。がしかし、やはり石の作物が左右に割れて後シテが登場する、この曲の独特の演出(『一角仙人』にも類例はありますが)、舞台演出として非常に効果的なのは否めないでしょう。そして何より「石の中から野干が現れる」という舞台設定に沿った演出で非常にわかりやすい。。ぬえは今回は「白頭」が初演でしたので師家の決マリ通りに作物を省略しましたが、次にこの曲を演じる機会があれば、そのときはやはり作物は出してやってみたいな、と思います。(^_^)b


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。