
昨日は「狩野川薪能」に出演する子どもたちの稽古のために伊豆の国市へ行ってまいりました。
この催しについて、前回のご案内では少し説明不足でしたので再度ご案内をば。。(;_:)
「狩野川薪能」は、大鼓方の大倉正之助氏が「総合プロデュース」として始められたもので、今年で第七回を数えるようになりました。ぬえはその第一回目から関わっておりまして、その当時は旧・大仁町の催しでした。この薪能の最大の特長は、「地元の民話を題材にした新作能<子ども創作能>を、地元の子どもたちで演じる」という事なのです。おそらく七年前の当時は日本初の試みではなかったかと思います。
第一回目の薪能のとき、ぬえはその準備段階から関わりましたが、それでも ぬえが参加したときにはすでに大倉氏とワキ方の安田登氏の二人によって<子ども創作能>の台本は出来上がっていまして、ぬえは大倉氏から「節付け」と薪能までの間の子どもたちの指導の依頼を頂戴したところから薪能への関わりが始まりました。まだまだ重要なお役で舞台に立つ機会も少なかった ぬえにとってこの頃は、はじめて海外にひとりで赴いて学生の指導をしたり、またこの薪能のように、通常の舞台とは違った面で自分を試すような大きなチャンスが次々に訪れた時期でした。
この第一回「狩野川薪能」の当時は、<子ども創作能>は台本は出来上がっていても、まだ曲名も付けられておらず、そのうち『城山の大蛇』(じょうやまのだいじゃ)という曲名は決まったのですが、結局<創作能>とは名ばかりで、第一回は子どもたちは舞台に居並んで台本を謡い、囃子方(玄人)がそれを囃す、という「居囃子」の形式でした。まあ、それでもせっかく出来上がった『城山の大蛇』は能の上演にも耐える台本でもあったし、ぬえも強く推して、翌年からすぐに能の形式で上演する事となりました。
『城山の大蛇』はその後「第五改作」まで進化を遂げ、一昨年まで毎年の「狩野川薪能」でバージョンアップを続けながら上演を繰り返しました。じつは ぬえはこの<創作能>以外にも師家の新作能・復曲能の台本の作成にはかなり深く関わってきたのですが、『城山の大蛇』は ぬえの名前ではじめて作った曲でもありますから、多少の自負やいろいろな思いがあります。これについてはまた機会を見てお話ししてみたいと思いますが。。
さて昨年、全国規模で「市町村合併」が行われ、伊豆の大仁町も伊豆長岡町、韮山町と一緒に「伊豆の国市」として新生を果たしました。その機会に「狩野川薪能」も大仁町の催しから伊豆の国市全体の催しへと変わることになり、また新市誕生のよき機会に<子ども創作能>も新たな作品を作ることになりました。

こうして昨年出来上がったのが、今回も上演する<子ども創作能>『江間の小四郎』です。この作品は台本の作詞・節付けは安田登氏、ぬえ、同じく観世流の能楽師のKくんの三人の分担、囃子作調は大倉氏と太鼓の三島卓氏の手になります。
曲名でもある「江間の小四郎」とは平安末期~鎌倉初期の武士・北条義時のこと。義時は鎌倉幕府の初代執権・北条時政の次男であり北条政子の弟にもあたり、第二代執権となってのちは、後鳥羽上皇の倒幕軍を破った承久の乱で上皇らを流罪にし、京都に六波羅探題を置いて鎌倉幕府を不動の地位に導いた功績を持つ、おっかない人でもありますね。。
伊豆長岡の「江間」には義時が「小四郎」と名乗ってこの土地に住んでいた頃の伝承が数多く民話として語り継がれています。ぬえが拠った原拠は「伊豆の民話」というような一般的な児童向けの書籍に載っていた「江間の大蛇」というお話で、あらすじは「小四郎の子、安千代丸は江間にあった北条の邸から毎日山を越えて千葉寺へ学問を修めに通っていた。あるとき寺からの帰り道に江間の大池を通りかかると、突然大蛇が現れて安千代丸を襲い、そのまま水底へ消えてしまった。急の報を聞いた小四郎は馬に乗り郎等を引き連れて大池に駆けつけたが大蛇の姿はすでにない。数日そこで我が子の敵を狙った小四郎は、ある日ついに水中に光るものを認め、それを矢で射るとはたして大蛇の左目を射止め、大蛇は退治された」というもの。
。。なんとも勧善懲悪というか因果応報というか、単純とも言えるお話ですが、子どもたちが舞台で暴れ回るには都合がよい題材で、ぬえはこの民話を典拠にする事に決めました。

ぬえは、この<子ども創作能>というのは、「子どもが演じる能」という解釈をしていませんで、ぬえのスタンスは、誤解を恐れずに言えば、むしろ「子どもたちが学芸会で発表するような舞台に、日本の文化のエッセンスとして能の方法論を取り入れている」と考えています。短期間の稽古で無理に大人の、能楽師のマネをして形ばかりの能を演じるのではなくて、むしろ彼らが発散できて楽しい舞台を作ることを心がけていて、その中に能の形式を取り入れているのです。ですから稽古の始まりと終わりには必ず端座して挨拶をする事は厳しく要求するけれども、稽古自体は楽しめなくちゃいけない。能面などは子どもたちには絶対に使わせないけれど、保護者の方が縫ってくださった装束(と赤頭など少数の道具)を使う程度は許し、むしろ構エ・運ビ・居ずまい・挙動や舞台態度といった事を徹底して教えています。それでも彼らにとっては「私、能を舞ったことがあるのよ!」となるし、それで良いのです。そうして自分の努力によって勝ち得た舞台はいつか彼らの自信になるし、ここで学んだことは彼らにとって、多少なりとも日本文化を身近なものにする事でしょう。
いま「マナーの低下」「自分勝手」「キレる」。。など、我々を取り巻く社会は、なんだか殺伐としてしまって。。一方 ぬえは、能の世界に飛び込んで20年を経たいま、日本人に生まれてきて本当に良かった。。と心から思っています。日本文化を再発見することが、この子どもたちの将来にどのような力になるのか、それはわかりませんが、少なくとも ぬえは能を知って、というか、それを通して日本の文化のすごさを知って、本当に幸せに思っています。ぬえごときには、その一端でも、子どもたちに感じてもらう事しかできないが、何というか、彼らにとってアイデンティティの源になる事もあるのではないか、彼らが育ってゆく自信になるんじゃないか、なんて、ちょっと大それた希望を持って稽古に通っています。
→ PR/第七回 狩野川薪能
狩野川薪能→ 次の記事
この催しについて、前回のご案内では少し説明不足でしたので再度ご案内をば。。(;_:)
「狩野川薪能」は、大鼓方の大倉正之助氏が「総合プロデュース」として始められたもので、今年で第七回を数えるようになりました。ぬえはその第一回目から関わっておりまして、その当時は旧・大仁町の催しでした。この薪能の最大の特長は、「地元の民話を題材にした新作能<子ども創作能>を、地元の子どもたちで演じる」という事なのです。おそらく七年前の当時は日本初の試みではなかったかと思います。
第一回目の薪能のとき、ぬえはその準備段階から関わりましたが、それでも ぬえが参加したときにはすでに大倉氏とワキ方の安田登氏の二人によって<子ども創作能>の台本は出来上がっていまして、ぬえは大倉氏から「節付け」と薪能までの間の子どもたちの指導の依頼を頂戴したところから薪能への関わりが始まりました。まだまだ重要なお役で舞台に立つ機会も少なかった ぬえにとってこの頃は、はじめて海外にひとりで赴いて学生の指導をしたり、またこの薪能のように、通常の舞台とは違った面で自分を試すような大きなチャンスが次々に訪れた時期でした。
この第一回「狩野川薪能」の当時は、<子ども創作能>は台本は出来上がっていても、まだ曲名も付けられておらず、そのうち『城山の大蛇』(じょうやまのだいじゃ)という曲名は決まったのですが、結局<創作能>とは名ばかりで、第一回は子どもたちは舞台に居並んで台本を謡い、囃子方(玄人)がそれを囃す、という「居囃子」の形式でした。まあ、それでもせっかく出来上がった『城山の大蛇』は能の上演にも耐える台本でもあったし、ぬえも強く推して、翌年からすぐに能の形式で上演する事となりました。
『城山の大蛇』はその後「第五改作」まで進化を遂げ、一昨年まで毎年の「狩野川薪能」でバージョンアップを続けながら上演を繰り返しました。じつは ぬえはこの<創作能>以外にも師家の新作能・復曲能の台本の作成にはかなり深く関わってきたのですが、『城山の大蛇』は ぬえの名前ではじめて作った曲でもありますから、多少の自負やいろいろな思いがあります。これについてはまた機会を見てお話ししてみたいと思いますが。。
さて昨年、全国規模で「市町村合併」が行われ、伊豆の大仁町も伊豆長岡町、韮山町と一緒に「伊豆の国市」として新生を果たしました。その機会に「狩野川薪能」も大仁町の催しから伊豆の国市全体の催しへと変わることになり、また新市誕生のよき機会に<子ども創作能>も新たな作品を作ることになりました。

こうして昨年出来上がったのが、今回も上演する<子ども創作能>『江間の小四郎』です。この作品は台本の作詞・節付けは安田登氏、ぬえ、同じく観世流の能楽師のKくんの三人の分担、囃子作調は大倉氏と太鼓の三島卓氏の手になります。
曲名でもある「江間の小四郎」とは平安末期~鎌倉初期の武士・北条義時のこと。義時は鎌倉幕府の初代執権・北条時政の次男であり北条政子の弟にもあたり、第二代執権となってのちは、後鳥羽上皇の倒幕軍を破った承久の乱で上皇らを流罪にし、京都に六波羅探題を置いて鎌倉幕府を不動の地位に導いた功績を持つ、おっかない人でもありますね。。
伊豆長岡の「江間」には義時が「小四郎」と名乗ってこの土地に住んでいた頃の伝承が数多く民話として語り継がれています。ぬえが拠った原拠は「伊豆の民話」というような一般的な児童向けの書籍に載っていた「江間の大蛇」というお話で、あらすじは「小四郎の子、安千代丸は江間にあった北条の邸から毎日山を越えて千葉寺へ学問を修めに通っていた。あるとき寺からの帰り道に江間の大池を通りかかると、突然大蛇が現れて安千代丸を襲い、そのまま水底へ消えてしまった。急の報を聞いた小四郎は馬に乗り郎等を引き連れて大池に駆けつけたが大蛇の姿はすでにない。数日そこで我が子の敵を狙った小四郎は、ある日ついに水中に光るものを認め、それを矢で射るとはたして大蛇の左目を射止め、大蛇は退治された」というもの。
。。なんとも勧善懲悪というか因果応報というか、単純とも言えるお話ですが、子どもたちが舞台で暴れ回るには都合がよい題材で、ぬえはこの民話を典拠にする事に決めました。

ぬえは、この<子ども創作能>というのは、「子どもが演じる能」という解釈をしていませんで、ぬえのスタンスは、誤解を恐れずに言えば、むしろ「子どもたちが学芸会で発表するような舞台に、日本の文化のエッセンスとして能の方法論を取り入れている」と考えています。短期間の稽古で無理に大人の、能楽師のマネをして形ばかりの能を演じるのではなくて、むしろ彼らが発散できて楽しい舞台を作ることを心がけていて、その中に能の形式を取り入れているのです。ですから稽古の始まりと終わりには必ず端座して挨拶をする事は厳しく要求するけれども、稽古自体は楽しめなくちゃいけない。能面などは子どもたちには絶対に使わせないけれど、保護者の方が縫ってくださった装束(と赤頭など少数の道具)を使う程度は許し、むしろ構エ・運ビ・居ずまい・挙動や舞台態度といった事を徹底して教えています。それでも彼らにとっては「私、能を舞ったことがあるのよ!」となるし、それで良いのです。そうして自分の努力によって勝ち得た舞台はいつか彼らの自信になるし、ここで学んだことは彼らにとって、多少なりとも日本文化を身近なものにする事でしょう。
いま「マナーの低下」「自分勝手」「キレる」。。など、我々を取り巻く社会は、なんだか殺伐としてしまって。。一方 ぬえは、能の世界に飛び込んで20年を経たいま、日本人に生まれてきて本当に良かった。。と心から思っています。日本文化を再発見することが、この子どもたちの将来にどのような力になるのか、それはわかりませんが、少なくとも ぬえは能を知って、というか、それを通して日本の文化のすごさを知って、本当に幸せに思っています。ぬえごときには、その一端でも、子どもたちに感じてもらう事しかできないが、何というか、彼らにとってアイデンティティの源になる事もあるのではないか、彼らが育ってゆく自信になるんじゃないか、なんて、ちょっと大それた希望を持って稽古に通っています。
→ PR/第七回 狩野川薪能
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子ども能に長らく応援頂きましてまことにありがとうございます。
子どもたち本当にかわいそうで、2月の梅まつりは2年、4月にお呼ばれする鎌倉まつり公演は3年続けての中止が決定されました。。
子どもたちのモチベーションを保つために(宣伝はせず)装束を着けての「公開稽古」という形で細々と上演を行っております。観客はママさんたちだけ。。
さて大河に便乗して「江間の小四郎」を復活させる計画は、遅まきながら発進しまして、今日のお稽古ではじめて台本を子どもたちに配り、過去の「狩野川能」の映像も見せました。
映像はアクシスで行った2007年と2008年のもの。。いつの間にか15年も昔なんですね。。登場する子供たちは総勢20名以上。。いまはその半数にも満たない有様です。。
このまま上演することは人数的に不可能ですし、これからセリフを覚える大変さを考えて、久しぶりの「江間の小四郎」は「江間の義時」と改題して、後半の部分だけを上演するつもりです。
現在7月の「あやめ祭り」へのエントリーを目標にしていますが、すでに初期の打合せでは賛同を得られなかったとのこと。。でもオファーをまわしてくださった関係者は再度の提案を試みてみる、と言ってくださっております。
伊豆からは「よそ者」の ぬえではありますが、もう20年以上を当地の子どもたちに能を伝えることに費やしており、このように協力してくだささる方もおられます。
打てば響く年代の子どもたち。稽古の年数を重ねてその上演レベルはプロの囃子方の能楽師の演奏に合わせて謡えるまでに成長して、これは日本全国でここだけの最高水準で、国に出しても恥ずかしくないレベルです。
しかしながら宣伝がへたなのか子ども能の認知度もあまり高いとは言えず、参加者減が悩みの種です。それでもコロナが明けたその日には最高の状態でみなさまの前で上演できることを楽しみに致しております。
現在も「伊豆の頼朝」をお祭りなどで見させていただいてます。(コロナで少なくなっていますが…)今、大河ドラマで北条義時をやっています。また、「江間の小四郎」を
復活させていただけないでしょうか。演者の子どもたちも少なくなっていますがよろしくお願いします。
今年の狩野川薪能の記事を始めたからそっちにも書き込んでね~
いや~、それにしても昨日は久しぶりにみんなに会えて楽しかった~。また、中学生の中にはもう顔を見せない子もあって、ああ、薪能を卒業しちゃったんだなあ。。と思ったら淋しくなりました。
次回の記事に書こうと思っていましたが、今回はアリサ&アスカはプロの能『一角仙人』の龍神役をみごと射止めましたね。
昨日は帰るときに実行委員会の会長さんも「あの子たちは元気で面白いね」と二人の事をほめていましたよ。一緒にがんばりましょう!
コメントの内容は、タイトルの通り!
プロ能の子方になったからには、稽古は当然休まないし、当日は這ってでも舞台に出ます!!
これから頑張るので、よろしくお願いします!! m(__)mm(__)m
ををっ! とうとう薪能に参加するお友だちが出ましたね!
アリサちゃんたちが頑張ってくれたから、その気持ちが通じたんだね~
しかも4年生。。ということはアリサちゃんたちの同級生ではないのね?
ほかの学年の子にまで薪能を広めてくれて感謝しています。
17日にはとうとう伊豆の国市へ行って、みなさんと再会できる事が決まりました。
また一緒にがんばりましょう!
この前言ってた子じゃないんだけど、友達が薪能の参加の紙を出しました~! ウレシ~(^-^)
その子は新4年生で、名前は『マッケイ 仁紀 アーリーン(かな?)』。ハーフです☆★
話変わりますが、私達も一応参加の紙を出しました。
実行委員さんからの連絡を、まだかまだか、と待っています。
早く薪能やりたーーーい!!(^0^)(^0^)
こちらこそよろしくお願いしま~~す。m(__)m
いやいや、もうじき、2月になるとお稽古が始まりますね~。そろそろ実行委員会のみなさんとお稽古日の相談が始まると思います。
あ、そうだ! この正月休みに『江間の小四郎』の台本を書き上げなければならないのだった。。(;_:)
1月中に台本を仕上げて、2月からお稽古。。
。。よかった1月からお稽古が始まらなくて。正月に始めたらあの大人数にお年玉をあげなくちゃならない。。
σ(--#)アタマイターッ
今年もアリサ&アスカは、元気に薪能を頑張ります!ので、よろしくお願い致します!!
\(^-^)/\(^-^)/
『上演時間も少し長くなるし、登場人物も二人だけ多くします。』とあったので、アリサ&アスカはす~~~~っごく楽しみになりました!! はやく薪能がやりたいです!!
あ~~、はやく二月にならないかなぁ、、、。
ではでは、さよ~なら~~☆★
お友だちに薪能の紹介をしてくれてどうもありがとう!
狩野川薪能は7年前に始まったのですが、その時は30人以上の子どもたちが参加してくれました。だんだんと人数が減ってしまったんだけど、最近はかなり多くのお友だちが参加してくれて、またにぎやかになってきました。
薪能に興味を持ってくれたお友だちが一人であっても、アリサちゃんとアスカちゃんがお友だちに薪能のお話をしてくれている事が先生もとっても嬉しいです。そのお友だちが参加してくれると良いですねっ(^^)V
こちらでも、薪能の指導をする先生が集まって、来年の薪能で上演する『江間の小四郎』の台本の打合せをしました。
来年の『江間の小四郎』は台本に手直しをして、上演時間も少し長くなるし、登場人物も二人だけ多くします。遠藤先生も喜んでくださっていて、また来年の2月頃からお稽古も始める予定で準備をしてくださっていますよ。今年薪能に出演したみなさんには、新年すぐに連絡がいくと思います。
子ども能だけでなくて、中学生のお仕舞や、そしてプロの能に子方として出演してもらう子どもも大募集します。こういった薪能でのお役は、最初のお稽古(たぶん2月)の時に全部決めてしまうので、最初のお稽古だけはお休みしないようにしてください。
いや~、この間終わったばかりだと思っていた薪能なのに、来年のお話がどんどん進んできましたね~。楽しみっ
私達、しっかりしてるでしょ?ま、それは置いといて、(・_・)//→☆私達の友達に、薪能に興味を示している子がいます!!(1名。寂し~ぃ)
ま、一人でもいてくれて、嬉しい!!、、、かな?
ということで、さよ~~なら~~~↑↑
「お能は、(大)好きですか??」この質問は、まあ、いい。「もちろんさ!」とサワヤカに答えてみせよう。
。。だが。
「家は、広いですか??」
。。アナタ、しっかりしてるわねえ。(;_:)
つかぬ事をお聞きしますが、何歳ですか??&誕生日、いつですか??&何人家族ですか??&家は、広いですか??&お能は、(大)好きですか??などなど、お聞きしたい事がいっぱいあります!が、ここではお答えできない質問があると思うので、今度会った時教えて下さい!!!
次に会う時を、よりいっそう楽しみにしている、アリサ&アスカでした~~☆★
お・わ・り~~~~~~~~!!
。。と言っても、今年の伊豆の国市での稽古のときにキミたちが生まれた年を聞いて ぬえ先生はガックリきましたよ。。その頃には ぬえはもう能楽師としての修行を終えて、今のように舞台に立っていました。。ああ、若いってスバラシ~。。
また来年、よろしくね~ (^^)/
、、、、、、でわ、さようなら、、、、スミマセンでした~~。
でわでわ、さよ~なら~~☆★
でわでわ、さよ~なら~~☆★
。。最近は小学生でもパソコン使って書き込みができるのかあ。。すごいなあ。。
アリサちゃんとアスカちゃんはともに来年は6年生だっけ?来年の「狩野川薪能」の子ども創作能『江間の小四郎』は少し改作します。Y先生とK先生とはそのための準備の話し合いをする約束をしてあって、曲も少し長くなるし、大蛇や小四郎以外にも登場人物を増やしますからお楽しみにね~~。
それから『江間の小四郎』のあとに上演する ぬえ先生たちの能の曲目もだいたい決まりました。こちらも子方の出演者を募集しますから、お友だちにも宣伝して、みんなで応募してくださいっ
また来年。。そうだなあ、やっぱり2月頃からお稽古も始まると思います。それまで元気で、風邪をひかないようにね~~。(^^)V
はやく薪能がやりたいで~~す!!&薪能大好きで~~す!!&すっごく楽しいで~~す!!またH/Kアリサ&アスカは、来年は、大蛇or小四郎(主役orじゅん主役)がやりたいでーーーーーーす!!!、、、ので、よろしくお願い致しま~す☆★では、また会える日まで、、、、、。さいなら~~~~~☆★