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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第18次支援活動<石巻市>(その1)~仙台空港で金田さんと再会!

2013-12-28 03:42:37 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう明後日には気仙沼に向けて出発する身なのですけれども、まだご報告していない活動が。去る12月上旬に石巻にお邪魔し、仮設商店街での上演と神社での奉納をさせて頂きました。

最近はどうも東京でのスケジュールの合間に東北に行き、2日間程度の活動をして帰るような活動が多いですね。震災の年の暮れには9日間で14公演をこなしたこともありましたが。。自分の周囲も含めていろいろ事情が変わってきたのかなあ、と思います。ぬえの東北を思う気持ちはほとんど揺らいでいないですけれどもね。

さて今回の活動は、笛のTさんからの情報で、すでに何度も出演させて頂いている石巻の仮設商店街「石巻立町復興ふれあい商店街」が この12月に開設2周年を迎え、記念イベントが開かれる、と聞いて、これは是非出演させて頂かねば、と考えて、それこそ出発の2週間前あたりから計画を立て始めました。ぬえはその時学校公演があって東北地方にいたのですが、そこから何度も電話をかけて、2日間だけの活動が決まり、まずは商工会経由で 立町商店街さんでの活動を決め、それからもう1日の活動を。。これは東京に帰る移動時間も含んでの活動になるので仮設住宅での活動は断念、地元の神様への奉納をさせて頂くことに致しました。それが羽黒山鳥屋(とや)神社です。宮司さまは石巻鎮守で北上川沿いに鎮座する住吉大島神社の宮司との兼任で、そちらでは何度もお邪魔させて頂いておりましたが、宮司さまのお住まいでもある鳥屋神社への参拝はこの日が初めてでした。いろいろと思うところのあった奉納でしたが、まずは活動全体のご報告からー。

【12月9日(月)】

未明に笛のTさんをピックアップして一路石巻へ。明け方に仙台に近づいた頃、「チーム神戸」代表の金田真須美さんがこの日神戸から早朝便にて空路石巻に向かう、とfacebookに書き込みをしていたことを思い出して連絡をとってみると、ぬえたちが仙台を通るちょうど同じ頃に仙台空港に到着することがわかり、急遽お迎えに上がることに。

今回の活動では金田さんもちょうど石巻に滞在中と知って「チーム神戸」の事務所に泊めて頂くことになっていたのですが、金田さんが仙台に到着するのは ぬえたちと同じ日だという事に気づいていないほど、今回の活動は急に決まったのです。

仙台空港。。震災の3ヶ月後に訪れて以来久しぶりにここにやって来ました。いや、もう1度くらい通りかかった事くらいはあったかも、ですが、意識して様子を見ながら訪れたのはじつに2年半ぶりかも。当時は空港の1階のガラスはベニヤ板で塞がれ、周囲には瓦礫の山や積み上げられた車がありましたが。。

金田さんと出会って車で石巻へ。かつては片道12時間かけて神戸から石巻に通っておられた金田さんも、最近は石巻に足となる車を置いておいて、神戸から仙台までは空路を使うことが多くなっているようです。ずいぶん移動は楽になったのかと思いきや、神戸から関空~仙台空港から石巻。。それも湊にある事務所まで行くのはずいぶん大変みたいです。この日も早朝便、とは聞いていましたが、伺えば6時のフライトだったそうで。。神戸のご自宅から、まずその時間に関空に行くための交通があって、さて宮城県までひとっ飛びとは言っても仙台空港からアクセス鉄道で市内に入り、次にJR仙石線に乗り換えて石巻に向かうのですが、松島から先。。東松島市の区間は津波被害によって今でも運休しています。代行バスに乗り換えて矢本まで行き、そこからまた鉄路で石巻駅まで。石巻駅からも湊までは交通の便が悪く、結局事務所に至るにはタクシーを利用される事が多いのだとか。

ちょうど仙台空港に到着される時間と同じくして到着した ぬえも偶然でしたが、金田さんにとっては車でのお迎えはずいぶん時間が節約できたみたいで良かったです。車内でそんな事や拡幅されつつある三陸自動車道のこと、町の復興とはどこを以て言うのか、という難しい話から、気仙沼で見た白鳥のこと、石巻にカモシカがいるらしい、という話まで、談笑しながら石巻に到着、もう朝の始業時刻になっていたので、まずはいつもお世話になっている観光協会にご挨拶させて頂きました。


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ありがとうございました (いぬかい)
2014-01-03 08:42:16
ぬえ様、あけましておめでとうございます。

元旦、気仙沼の五十鈴神社で「高砂」を拝見させていただきました。
梅若研能会の翁は何度か見せていただいたことがありますが、まさか元旦に故郷のお神明さんで、ぬえ様に新しい年を寿いでいただけるとは!
両親も、震災以来ようやくちゃんとしたお正月が迎えられたと喜んでいます。本当にありがとうございました。
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おめでとうございます~ (ぬえ)
2014-01-04 13:12:31
いぬかいさま あけましておめでとうございます~~

ありゃ、気仙沼の五十鈴神社にいらした。。しかも研能会にも何度も足を運んで頂いているとは。。世間は狭いです~

あのあと大島神社にも参詣させて頂きました(このときは能のあとフルートの演奏もありました!)。

大島神社さまとはもう2年越しのお付き合いをさせて頂いておりますが、本土の神様に奉納させて頂いたのは五十鈴神社が初めてでしたので感慨深かったです~

気仙沼は文化程度が非常に高い街なので、行くたびごとに、会う人ごとに得るものがありますね。今後も息長く活動ができれば良いな、と考えております。

でも。。ご存じの通り東京では震災の記憶ははほぼ完全に風化してしまいましたね。我々を取り巻く状況も刻々と変化していきます。

仮設住宅から復興住宅に移行し、仮設商店街が解消されたとき、我々の活動の場もぐっと狭くなってしまうでしょう。そのとき、我々も活動の方法を見直さなければならないでしょう。せめて震災から5年は活動を継続するつもりなのですが、それにしてもすでに折り返し地点を過ぎました。私たちにとっては あっという間でしたが。。

それでも、内湾のイルミネーションを見て、ここまで みなさん前進してきたんだ、と強く印象を持ちました。
できるだけ長く、この街のみなさんとご一緒させて頂いて、その歩みを見守り続けたいと思っております。

どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます~~(^^)V
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再び、ありがとうございます! (いぬかい)
2014-01-16 21:43:26
ぬえ様、

丁寧なご返事をいただいていたこと、遅ればせで
本日、知りました。大変失礼いたしました!

私は昨年、30年振りで東京から気仙沼市民に
出戻り、被災した両親と一緒に住んでいます。
震災なんてなかったように一見思える東京で、
毎日こちらのことを憂うより、気仙沼に住んで震災以外のことも思う方が、精神衛生上ずっと良いなと
思ったからです。

やはり人間、非常時の心は長続きしないのが当然で、
恐らく今年の3月で、震災以来の色々な事が区切りを
むかえるのでしょうね。

昨年暮れのフィリピンの台風被害への募金が、気仙沼で予想を超えて集まったということです。
やはり、人間、貰うばかりは、有り難いのですが、
辛い部分もあります。行きつ戻りつしながら、進んで
いくのだと思います。

ぬえ様が、被災地の私達を大切に思って下さることはとても尊いことと思います。ありがとうございます。
旅の僧には、生きている者も亡くなった者も、色々
話しかけたくなるのかなと想像したりしています。

桜が散る塩竈神社で舞われたら、本当に素晴らしい
でしょうね!

東京も一番の寒さと聞きます。どうぞお身体を
大切にお過ごし下さいませ。

返信する
風化、ということ (ぬえ)
2014-01-16 22:01:26
いぬかいさん

ちょうど気仙沼の協力者さんのコメントに返信書いていたら いぬかいさんからも!

風化、深刻ですよね。
毎回東北に行って思うことですが、非常時の心は長続きしない。。それでも毎日みなさんが「あの日」の話をしています。
そして三陸新報や河北新報の1面には必ず「震災」「復興」のどちらかの大見出しがついている。

東京ではあり得ない。。というか、震災があった事さえ忘れたがっているようにさえ思えます。

これ、いろいろ考えてみたんですが、一番大きい原因は、あのとき東京の人々は無力感を感じたのではないかと思うのです。
募金はしました。でもそれが被災地に届けられていない、というのは震災数ヶ月後には露わになってきました。
でもそれ以上に出来ることがなかったんですよね。

東京では震災1年目の3.11を境に、原発のニュースは賑やかだったけれど、津波の話題はテレビからすっかり姿を消しました。。ここを「区切り」にしたのか、それから段々と震災の話題は内輪でも出ることはなくなり、最近は下手をすれば「そんな暗い話題はやめようよ」というような空気も感じます。だから ぬえも自分から進んで震災の話題を会話に出すのをはばかるようにもなっています。。

ぬえはまだ、時間を見つけて被災地に行けただけ、じつは幸せだったのかもしれません。多くの人は仕事の都合もあって、実際には足を運ぶことは難しいのが現実だったでしょう。せめての募金が、もっと早く活用されて、みんなに達成感を与えられていれば、また今とは違った状況になったのかもしれませんね。

第十八共徳丸が撤去されて、すでにこれから気仙沼を訪れる人にとっても震災の実感は伝えにくくなっていますね。これから先は言葉だけで伝えてゆくしかないかもしれません。

併せて仮設商店街の店舗が売り上げ不振で休業、という話題が聞こえてきたのもこの秋から冬頃にかけてのことだと思います。

一方復興住宅。。それも戸建ての家が支給され始めている現状もこの年末に見ることができました。

これから、これから、ですね。
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