『歌占』のツレは若手の能楽師が勤めるお役で、ぬえも一度だけですが勤めた事があります。その時はまだ ぬえも駆け出しですし、夢中で勤めていたのですが、今になって考えると、やはりこの役はワキ方が勤めるのが本来であろうし、前回書いたようなワキ方の様式的な型が、また舞台の導入部としてある種の効果を挙げていて、似つかわしいと思いますね。
様式的、という話からまた話題が脱線するのですが、そもそもこの登場音楽の「次第」というのがとても様式的に作られているものだと思います。笛のヒシギ(ヒー、ヤーアー、ヒー)に始まる「次第」は大小鼓によって囃されるわけですが、この時大小鼓はわざとリズムを崩して打ちます。そこに笛が彩りを添えるわけですが、これもまた「アシライ吹き」と言ってリズムにはこだわらない吹き方をします。
ここまで書くと、なんだかリズムに拘泥しない自由な演奏が行われているわけで、「様式的」という言葉とは矛盾しているようにも思えるのですが、いざ役者が舞台に登場してからが、じつに様式的な演出になっているのです。すなわち役者が一人で登場する場合には舞台常座に入って(または橋掛り一之松で)後ろを向いて謡い出します。役者が観客席に背を向けて謡う例は、後見座で後ろ向きに座って物着をするシテやツレなどに向かって間狂言が「支度が出来たならばすぐにまかり出よ」と声を掛けるような、演出上仕方のない場合を除いては、この「次第」ぐらいのものでしょう。その演出の意図はよくわかっていませんが、こういう「儀式性」が「次第」には散りばめられています。なお役者が複数登場する場合は舞台で、あるいは橋掛りで向き合って謡い出します。この演出は「次第」のほかにも例があるとはいえ、これまた様式の一種でありましょう。
「次第」で登場した役者は、必ず 同じく「次第」と呼ばれる定型の文字数の詞章を謡います。この詞章が、登場した役者によって拍子に合わせて謡われる点が特徴的で、登場する囃子はリズムを崩して打つのに、「次第」謡はリズムに合う。そしてその謡われる内容がしばしばメタファーを感じさせる、など「次第」には儀式性。。というか呪術的な要素まで感じさせるものがありますね。
その「呪術性」の極致とも言えるのが、役者が「次第」謡を謡い終えたあとに地謡が同じ文句を低吟する「地取」です。言の葉が持つ力をかみしめるかのような、言霊を呼び寄せているかのような。。「地取」には不思議な存在感があります。
こんなわけで、「次第」には独特の様式性、儀式性、呪術性があります。だから、この登場音楽で登場した役にはある種の重み、のようなものがあるのだと思います。これはとっても微妙なものですけれどもね。たとえば新作能を作る場合、役者の登場シーンを考えるとき、割とカッチリとした感じで登場させたい場合には「次第」の登場音楽で登場させるのが似合うのです。それとは逆に、軽快に、あるいは昂揚した感じで、または霊性を登場する役に持たせたい場合には「一声」の方が似合うのではないかと思います。ちょっと説明が難しいので新作能を作る場合なんて例を出してしまいましたが。。お分かりになったでしょうか。。
さて『歌占』。(;^_^A
名宣リを謡い終えたツレは子方の方へ向きながら言葉を掛け、子方もツレへ向いてその言葉を聞きます。
ツレ「いかに渡り候か。歌占の御所望にて候はゞ御供申さうずるにて候。
ツレと子方とがどういう関係なのか、まったく説明されないままに舞台は進行します。まあ、ツレは「男神子の歌占がよく当たるそうだから占ってもらおうと思う」というような事を言っていましたので、なんとなく、子方はツレの男が住む村に住んでいて、ツレとは顔見知りなんだな、という程度の事はわかりますが、どうも親子でもないらしい。ツレは子方を尊重した言い回しで語りかけています。ツレが子方の育て親となっているのかな? そして、ツレが子方を占いに誘ったのは、この子方はなにか、自分自身でも、ツレの手によっても解決できない、生来的な悩みを持っているのかもしれない。ツレはそれが分かっているから占いに誘ったのでしょう。そして想像を逞しくすれば、この年齢の子方が抱えていて、誰にも解決できない悩みとは、どうも彼の出生に関する事なのではないか、とも予想することはできるかもしれません。
やや説明不足な感じのツレと子方の人間像ですが、案外 あとでシテと子方が親子であると分かるストーリーの伏線としてうまく機能しているのかもしれませんですね。
様式的、という話からまた話題が脱線するのですが、そもそもこの登場音楽の「次第」というのがとても様式的に作られているものだと思います。笛のヒシギ(ヒー、ヤーアー、ヒー)に始まる「次第」は大小鼓によって囃されるわけですが、この時大小鼓はわざとリズムを崩して打ちます。そこに笛が彩りを添えるわけですが、これもまた「アシライ吹き」と言ってリズムにはこだわらない吹き方をします。
ここまで書くと、なんだかリズムに拘泥しない自由な演奏が行われているわけで、「様式的」という言葉とは矛盾しているようにも思えるのですが、いざ役者が舞台に登場してからが、じつに様式的な演出になっているのです。すなわち役者が一人で登場する場合には舞台常座に入って(または橋掛り一之松で)後ろを向いて謡い出します。役者が観客席に背を向けて謡う例は、後見座で後ろ向きに座って物着をするシテやツレなどに向かって間狂言が「支度が出来たならばすぐにまかり出よ」と声を掛けるような、演出上仕方のない場合を除いては、この「次第」ぐらいのものでしょう。その演出の意図はよくわかっていませんが、こういう「儀式性」が「次第」には散りばめられています。なお役者が複数登場する場合は舞台で、あるいは橋掛りで向き合って謡い出します。この演出は「次第」のほかにも例があるとはいえ、これまた様式の一種でありましょう。
「次第」で登場した役者は、必ず 同じく「次第」と呼ばれる定型の文字数の詞章を謡います。この詞章が、登場した役者によって拍子に合わせて謡われる点が特徴的で、登場する囃子はリズムを崩して打つのに、「次第」謡はリズムに合う。そしてその謡われる内容がしばしばメタファーを感じさせる、など「次第」には儀式性。。というか呪術的な要素まで感じさせるものがありますね。
その「呪術性」の極致とも言えるのが、役者が「次第」謡を謡い終えたあとに地謡が同じ文句を低吟する「地取」です。言の葉が持つ力をかみしめるかのような、言霊を呼び寄せているかのような。。「地取」には不思議な存在感があります。
こんなわけで、「次第」には独特の様式性、儀式性、呪術性があります。だから、この登場音楽で登場した役にはある種の重み、のようなものがあるのだと思います。これはとっても微妙なものですけれどもね。たとえば新作能を作る場合、役者の登場シーンを考えるとき、割とカッチリとした感じで登場させたい場合には「次第」の登場音楽で登場させるのが似合うのです。それとは逆に、軽快に、あるいは昂揚した感じで、または霊性を登場する役に持たせたい場合には「一声」の方が似合うのではないかと思います。ちょっと説明が難しいので新作能を作る場合なんて例を出してしまいましたが。。お分かりになったでしょうか。。
さて『歌占』。(;^_^A
名宣リを謡い終えたツレは子方の方へ向きながら言葉を掛け、子方もツレへ向いてその言葉を聞きます。
ツレ「いかに渡り候か。歌占の御所望にて候はゞ御供申さうずるにて候。
ツレと子方とがどういう関係なのか、まったく説明されないままに舞台は進行します。まあ、ツレは「男神子の歌占がよく当たるそうだから占ってもらおうと思う」というような事を言っていましたので、なんとなく、子方はツレの男が住む村に住んでいて、ツレとは顔見知りなんだな、という程度の事はわかりますが、どうも親子でもないらしい。ツレは子方を尊重した言い回しで語りかけています。ツレが子方の育て親となっているのかな? そして、ツレが子方を占いに誘ったのは、この子方はなにか、自分自身でも、ツレの手によっても解決できない、生来的な悩みを持っているのかもしれない。ツレはそれが分かっているから占いに誘ったのでしょう。そして想像を逞しくすれば、この年齢の子方が抱えていて、誰にも解決できない悩みとは、どうも彼の出生に関する事なのではないか、とも予想することはできるかもしれません。
やや説明不足な感じのツレと子方の人間像ですが、案外 あとでシテと子方が親子であると分かるストーリーの伏線としてうまく機能しているのかもしれませんですね。
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