シテが幕に中入すると、まずは後見によって舟の作物が幕に片づけられます。次いで、この少し前に目立たぬように橋掛リに登場して狂言座(一之松の裏欄干のあたり)に着座していた鳴門の浦人(間狂言)が おもむろに立ち上がり、この夏の間逗留している僧が経文を読誦するのを拝聴しよう、と言って舞台に入り、僧と問答を交わします。
僧は小宰相について知っている事を聞かせてくれるよう浦人に頼み、浦人はそれに応じて物語をします。このあたり、現行の詞章も持っていたのですが資料が見つからず、古い文献から詞章をご紹介させて頂きます。明らかな誤写などは訂正し、また読みやすいように適宜漢字表記や送りがな、句読点等も改めてあります。
さる程にこの浦にて御身を投げ給ひし小宰相と申したる御方は。頭の行部卿と申す人の御息女にてましましたると申す。通盛の卿と夫婦にならせられたる様躰は。小宰相の局十五六の春の頃。通盛御覧じて思し召惑われ。文玉づさを贈られ侯へども取り入れ給ふ事もなく。御返事も御座なく候間。通盛はなを悶へ焦がれ給ひ。また細々と書き遣わされ侯処に。御ゑんも通じけるか。小宰相の局 女院の御前へ参られしに。道にて彼の使ひ参り会ひ。通盛の御文を。小宰相の召したる御車の内へ投げ入れ侯へば。何者ぞと思し召し開ひて御覧じければ通盛の御文なり。さすが捨て給ふにもあらざれば御袂に押し入れ。女院の御前に参られしに。所こそ多けれどもその文を女院の御前にて落し給ふ。女院御覧じて。女房達に何方の文ばし得給ひたる。人々や有ると御尋ね侯へば。何も知らざる由を申すその内に。小宰相の御顔あかく成り侯間、是こそと思し召し開ひて御覧じければ。案の如く通盛の御文なり。細々と書き、奥に一首の歌御座有りたると申すその御歌は、
我が恋は。細谷川の丸木橋。踏み返されて濡るゝ袖かな。
と。御座候を御覧じて。是は如何様にも御返事有るべしとて。かたじけなくもみづから御返事を遊ばし其の時の御返歌に、
たゞ頼め。細谷川の丸木橋。文返しては落ざらめや
と。か様に御返歌を遊ばし。それより夫婦の語らひを成されたると申す。又小宰相の御身を投げ給ひたる様躰は。平家は一ノ谷の合戦に打負け給ひ。散り散りに御成りあつて御一門なお舟に召し。四国へ落ち給ふ処に。小宰相の召したる御舟は。折節なん風荒くしてこの阿波の鳴門へ吹き寄せよせ候処に。是にて小宰相は。通盛の御事をいかゞと案じ思し召すところに。通盛の郎党この鳴門へ落ち来り小宰相に申す様は。「道盛は討ち死に成され侯 御供申すべきを。通盛かねてより御申し有りたるは。小宰相の御行方を尋ね申せとの御事により はかなき命を生き延びこれ迄参りて侯」と申せば。小宰相は驚き給ひ この上は命有りてもせんなしとて其のまゝ御身を投げ空しく成り給ひたると申す。なんばう傷わしき事にて侯ぞ。まづ我等の聞き及びたるはかくの如くにて侯。
ほぼ『平家物語』に出てくる小宰相と通盛のなれそめをそのまま紹介している形ですが、一ノ谷の合戦の前夜に通盛が陣屋に小宰相を呼び寄せて語り合ったことや、通盛が討ち死にしたことを知った小宰相が入水を決意したときにそれを制止しようとした乳母との鬼気迫る会話は、少なくともこの古い資料には登場していないようです。
いずれにせよ僧はこれで、先ほど出会った漁翁と若い女が通盛と小宰相の霊であったことを確信し、浦人に勧められるままに夜もすがら法華経を読誦し、二人の霊を弔うことになります。
僧は小宰相について知っている事を聞かせてくれるよう浦人に頼み、浦人はそれに応じて物語をします。このあたり、現行の詞章も持っていたのですが資料が見つからず、古い文献から詞章をご紹介させて頂きます。明らかな誤写などは訂正し、また読みやすいように適宜漢字表記や送りがな、句読点等も改めてあります。
さる程にこの浦にて御身を投げ給ひし小宰相と申したる御方は。頭の行部卿と申す人の御息女にてましましたると申す。通盛の卿と夫婦にならせられたる様躰は。小宰相の局十五六の春の頃。通盛御覧じて思し召惑われ。文玉づさを贈られ侯へども取り入れ給ふ事もなく。御返事も御座なく候間。通盛はなを悶へ焦がれ給ひ。また細々と書き遣わされ侯処に。御ゑんも通じけるか。小宰相の局 女院の御前へ参られしに。道にて彼の使ひ参り会ひ。通盛の御文を。小宰相の召したる御車の内へ投げ入れ侯へば。何者ぞと思し召し開ひて御覧じければ通盛の御文なり。さすが捨て給ふにもあらざれば御袂に押し入れ。女院の御前に参られしに。所こそ多けれどもその文を女院の御前にて落し給ふ。女院御覧じて。女房達に何方の文ばし得給ひたる。人々や有ると御尋ね侯へば。何も知らざる由を申すその内に。小宰相の御顔あかく成り侯間、是こそと思し召し開ひて御覧じければ。案の如く通盛の御文なり。細々と書き、奥に一首の歌御座有りたると申すその御歌は、
我が恋は。細谷川の丸木橋。踏み返されて濡るゝ袖かな。
と。御座候を御覧じて。是は如何様にも御返事有るべしとて。かたじけなくもみづから御返事を遊ばし其の時の御返歌に、
たゞ頼め。細谷川の丸木橋。文返しては落ざらめや
と。か様に御返歌を遊ばし。それより夫婦の語らひを成されたると申す。又小宰相の御身を投げ給ひたる様躰は。平家は一ノ谷の合戦に打負け給ひ。散り散りに御成りあつて御一門なお舟に召し。四国へ落ち給ふ処に。小宰相の召したる御舟は。折節なん風荒くしてこの阿波の鳴門へ吹き寄せよせ候処に。是にて小宰相は。通盛の御事をいかゞと案じ思し召すところに。通盛の郎党この鳴門へ落ち来り小宰相に申す様は。「道盛は討ち死に成され侯 御供申すべきを。通盛かねてより御申し有りたるは。小宰相の御行方を尋ね申せとの御事により はかなき命を生き延びこれ迄参りて侯」と申せば。小宰相は驚き給ひ この上は命有りてもせんなしとて其のまゝ御身を投げ空しく成り給ひたると申す。なんばう傷わしき事にて侯ぞ。まづ我等の聞き及びたるはかくの如くにて侯。
ほぼ『平家物語』に出てくる小宰相と通盛のなれそめをそのまま紹介している形ですが、一ノ谷の合戦の前夜に通盛が陣屋に小宰相を呼び寄せて語り合ったことや、通盛が討ち死にしたことを知った小宰相が入水を決意したときにそれを制止しようとした乳母との鬼気迫る会話は、少なくともこの古い資料には登場していないようです。
いずれにせよ僧はこれで、先ほど出会った漁翁と若い女が通盛と小宰相の霊であったことを確信し、浦人に勧められるままに夜もすがら法華経を読誦し、二人の霊を弔うことになります。