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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第23次支援活動<気仙沼市>(その9)…旅の終わり~向洋高校

2014-10-27 02:19:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
地福寺さまの『送り火の集い』を終えて、片づけのあと本堂にてご住職さまほかと打ち上げがありました。

わあ、いつもながらご馳走を振る舞って頂いて、本当に申し訳ありません。片山住職さまは「こういう神妙な催しも良いですね。ほら、うちってワーッと賑やかなイベントばっかりだから」と笑っておっしゃってくださり、この催しは恒例にしたい、とお言葉を頂きました。ぬえも同感です。そして来年のお盆が晴天で、またあの枯山水の中で舞いたいと思うのでした。





このとき、片山住職さまより杉ノ下地区の命をつないだケヤキのお話を伺い、ぬえはそれを知らなかったのですがこのときの話を扱ったドキュメンタリー番組が作られたそうで、その録画を見せて頂きました。

。。いわく、杉ノ下地区では津波によって100名近い犠牲者を出したが、そんな中で1本のケヤキの木にしがみついた10名にのぼる住民が生き残ることができた。それは明治三陸津波などの際に同じように樹木にしがみついて一命を取り留めた住民がいた その教訓から、この地区ではそれぞれの家にケヤキの木を植える習慣が根付いたもので、それが100年近い年月を経て今回の震災で見事に役割を果たしたのでした。

なんと壮大な計画。。しかし明治時代の被害の教訓から立ち上がったプロジェクトは立派に役割を果たしました。そこで今回の震災後にも、倒壊したり流された樹木を再びこの地区に植えるプロジェクトが立ち上がり、地福寺さんも応援しているし、また全国各地からボランティアさんが駆けつけて植林の事業は進んでいるそうでした。

やがて地福寺さんを辞して、すぐ目の前のお宿に戻り、今度は出演者だけで乾杯。このとき いつの間にやら緑さんがホタテを買ってきていて、刺身と貝焼きにしてくれたのですが。。これが衝撃的な美味でした。

書き忘れましたがこの日 五右衛門ヶ原運動場仮設の活動のあと、東新城のネットワーク・オレンジさんにご挨拶して、おとなりの料理屋さん「浜の家」さんで昼食を頂いたのですけれども、この夜のホタテ焼きはそれ以上に美味しかったかも。。普通にスーパーで買ってきたもの、とのことでしたが、食材を見る主婦の眼、もあるでしょうが、何より新鮮さ、なのでしょうね~。いくら最高級の食材は東京に集まる、と言われていても水揚げされた産地のスーパーに並ぶ食材にさえ勝てるはずもない。これは東北の支援活動を続けていて実感していることです。

【8月15日(日)】

早朝、笛の寺井さんは次のスケジュールのため宿を後にBRT駅に向かいました。

少し遅れて起き出した ぬえ。朝のNHKニュースで昨夜の地福寺さんでの『送り火の集い』の模様が放送されているのを見てびっくり。これはビデオに収めなくては。

次のニュースを待ち、また出演者が起床するのを待つ間に ぬえはひとり、向洋高校に向かいました。

水産高校である向洋高校は海に近いこの階上地区にありますが、周囲の地域を含めて津波による甚大な被害を受けました。ぬえは震災3ヶ月後にここを訪れていますが、それはそれは。。言語に絶する、というのはこういう事か、と思わせるひどい状況でした。

その後も地福寺さんとのご縁があって当地には何度も足を運んでいますが、当然のことながらずっと校門は施錠されていて内部には入れない状況でした。さらに昨年からはこの高校の校庭であった広い敷地に瓦礫の焼却施設が建設されて昼夜を問わず焼却作業が行われていました。

今年になってから。。だと思いますが、なんでもこの向洋高校の校舎を「震災遺構」として保存することになった、と聞きました。そうなのか。。と思いながら今回 当地を訪れたわけですが、瓦礫の処理を終えた焼却施設は跡形もなく撤去されていて、そうして校門が開けられているのを見たのでした。

はじめて当地を訪れてから早くも3年が経ちますが、ついに向洋高校の被害状況を間近に見る機会が ぬえに訪れたのでした。校門から敷地に入って、予想外に広い校庭の跡地を突っ切って校舎に近づくと。。

校舎のまわりには杭が打たれ、鉄条網が張られて、さすがに校舎の内部に入ることはできませんでしたが、生々しい津波の傷跡はあの時のまま残されていました。4階建ての校舎の、その4階部分が壊されている驚き。









ちなみに震災時 生徒は無事だったようで、そのときの記録は向洋高校のサイトに載せられていました。避難には地福寺さんが深く関係していたことも、今回はじめて知った ぬえでした。

→宮城県気仙沼向洋高等学校 東日本大震災に係る本校の記録http://kkouyo-h.myswan.ne.jp/gakkou/sinsaigenkou(kesennnumakouyou).pdf

やがて みんなも起床したところで緑さんが朝食を作ってくれ、これを頂いてから出発。この日は緑さんは仙台に用事があるとのことで、浩乃ちゃんもいれて3人で仙台に向かいました。

仙台で緑さんが車から降りた際に浩乃ちゃんも休憩をとって ぬえ一人車内に。このときちょうど正午のNHKニュースの時間になったので車載のカーナビをワンセグTV受信にしてビデオカメラを構えて待機。。ををっ、やっぱりお昼のニュースで昨夜の地福寺『送り火の集い』の模様が放送されました。なんとも無理な姿勢でようやく録画することができました。

やがて浩乃ちゃんも戻ってきたので、運転を交代しながら一路 東京に戻りました。夕食時を過ぎた頃には到着できて、今回も無事にミッション・コンプリート。関係各位に深く御礼申しあげて、この活動報告を終わりたいと思います。