ぬえの能楽通信blog

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『敦盛』~若き世阿弥の姿(その2)

2010-02-25 00:42:08 | 能楽
…と言っておきながら、じつは能『敦盛』のワキの登場の場面はシテ方の流儀によって違うんですよね~。

いわく、上懸リの観世・宝生流では上記の通りワキは「次第」の囃子に乗って登場するのですが、下懸リの金春・金剛・喜多流では ワキは「次第」ではなく「名宣リ笛」で登場するのです。「名宣リ笛」は笛が一管で(ソロで)演奏する中で登場する登場の形式で、非常にしんみりとした、何というか寂寞感があふれる情緒的な登場の仕方です。

なぜワキの登場にこれほどの違いがあるかというと、それはおそらくワキの人物像の捉え方がシテ方の流儀によって歴史的に微妙に異なってきたのかもしれません。儀式的でカッチリとした「次第」で登場する場合と、情緒的な「名宣リ笛」で登場する場合と。この曲のワキは、その振幅を許す ちょっと常の能のワキとは異なった性格を持っています。

ワキ「これは熊谷の次郎直実出家し。蓮生法師にて候。さても一ノ谷の合戦に。平家の公達敦盛を手に懸け申し。余りに痛はしく存じ。元結切りかやうの姿とまかりなりて候。この度思ひ立ち一ノ谷に下り。敦盛の御跡を弔ひ申さばやと思ひ候。 ※以下、ワキの詞章は下懸リ宝生流によります。

一ノ谷の合戦で公達・平敦盛を組み敷いた熊谷次郎直実は、我が子・小次郎直家が合戦で手傷を負ったのを見ても親として心苦しく思ったのに、同じ年頃の少年を手に掛ける事に躊躇してしまいます。ところが味方の源氏勢が背後に集まるのを見て泣く泣く敦盛の首を討ち、その後この事件が契機となって直実は出家することになりました…高校の古典の教科書にも登場する(←今はどうか知りませんが)、あまりにも人口に膾炙した『平家物語』の「敦盛最期」の段。能の『敦盛』のワキは、そんな出家した姿の熊谷直実であるのです。

名前もない諸国一見の僧とは違い、素性も旅の目的も持ったワキであり、しかもそれが自分が殺した相手を供養するために舞台に現れるのは、能の中でも相当に特殊な登場人物と言わなければなりません。おそらくこの設定は『敦盛』に独自のものでしょう。『藤戸』が似た例ではありますが、自分が殺した漁師を供養するために登場するわけではありませんし…

このようにシテとの関係が非常に深いワキであればこそ、彼がこの能の舞台…一ノ谷に登場する「意志」を表現するために、上懸リでは「次第」が登場音楽に選ばれたのかもしれませんですね。

がしかし、『敦盛』でワキが「次第」で登場することには少々困った問題もあります。それは、この直後に登場する前シテとツレが、やはり「次第」で登場するのです。「次第」が重複してしまうことになり、重複を避ける傾向が顕著な能の中では異例な演出と言えるでしょう。この重複を避けるために、下懸リではワキの登場を「名宣リ笛」にしているのかもしれません。

ともあれ、登場したワキの装束はとくに熊谷直実を意識したものではありませんで、こちらはごく一般的な「着流し僧」の姿です。

【装束付】
ワキ 角帽子、襟=浅黄、無地熨斗目、水衣、緞子腰帯、墨絵扇、数珠