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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その17)

2007-03-04 01:43:39 | 能楽
はじめの「千歳之舞」を終えた「千歳」は、左手に提げ持った扇を前へ出した姿で「君の千歳を経ん事も」と謡い、「天つ乙女の羽衣よ」と右袖を巻き上げます。このとき小鼓は打つ手を変えて「ヤ△、○、ハ△、○…」と、はじめの「千歳之舞」よりもさらに粒のこみ入った、そして急調な手を打ち行きます。「千歳」は「鳴るは瀧の水、日は照るとも」と右袖を払い、扇を右手に持ち直しながら右へ小さく廻り、大小前から正先まで出てトメ、地「絶えずとうたりありうとうとうとう」と大小前の方まで下がり、左、右と細かく二つずつ拍子を踏み、二足に飛び上がりながら両袖を巻き上げて、さらに右拍子をひとつ踏み、これより二度目の「千歳之舞」となります。

二度の「千歳之舞」は基本的な型はほとんど同一で、主な違いとしては、はじめの舞は扇を閉じたまま舞い、二度目の舞は扇を広げて舞うことでしょうか。ただし二度目の舞は最初の舞よりも速く舞う事になっていて、小鼓の手もそのように付けられていますね。この「千歳之舞」の型は舞台の四隅に気を掛けるように作られているように見え、舞の本義としては「翁」が舞う前に舞台の邪気を払うためにあるのでしょう。

ところで「千歳」はツレなので、この「千歳之舞」に限らず、「千歳」の動作はことごとく「翁」とは反対の足を使うように決められています。これは意外に知られていない事かもしれませんが、シテ方では「シテ」は左足から運歩を始め、左足でトメるのが原則で、ツレはその逆、右足から動作を始めて右足で終えるように定められています。シテを尊重するためにツレが動作に遠慮をするのでしょうね。ただ、たとえば「サシ」という動作のあとには必ず右足から歩を進める、というように動作そのものが規定を持っている場合もあって、その場合はシテであってもツレであっても、その動作が持つ規定を優先する事になっています。簡単に言えば、型の規定がない、「どちらの足から出てもよい場合」には、シテは左足を使い、ツレは右足を使う、という事になるでしょう。

さて、この二度目の「千歳之舞」の間に、大夫は翁の面を掛けます。静かに面を取り上げ、心をこめて恭しく戴いて、そして顔に当てたところで後見が面紐を縛るのですが、この面紐の縛り方は常の面紐を縛るよりも少し特殊で、「翁」が舞い終えて翁面を面箱に再び納めるときに、大夫が片手ですぐにほどけるように縛るのです。

すなわち、常の能の場合はシテが面を外すのは鏡の間において、なのであり、その時はシテは両手で面を支えて、後見が面紐をほどくのです。ところが『翁』の場合は舞い終えた「翁」は面箱の前に着座して、そこで自分で面紐をほどきます。後見は手を出さない。ですから大夫は左手で面を支え(我々は「支える」と言わずに「控える」と言いますが)、右手だけで面紐をほどく事になるのです。その仕草が見苦しくならないように、『翁』の時だけは、大夫が右手で面紐を引くと、スルリとほどけるように結びます。

いや、これは後見にとっては大変に神経を遣う作業です。短い「千歳之舞」の間に、大夫の面紐を結び、それも「翁」が舞っている間には決して緩んでこないように、かつ、舞のあとで面を外すときは、片手で簡単にほどけるように結ぶのですから。「翁之舞」の間に面紐が緩んだら大夫は舞えなくなるし、ましてや面が落ちるなんて事が起きたならば。。(ノ><)ノ

ぬえもこの後見を一度だけ勤めた事がありますが、もう大変な心労でした。大夫である師匠は「結ぶのが難しかったら、常のように駒結びをしても良いぞ」と仰って頂いたのですが、そこはそれ、後見のコケンというものがありますので。。この時は無事に勤められて本当に良かったと思っています。この大夫が翁面を掛ける場面、お客さまは気づかない事も多いですね。「千歳」が颯爽と舞っているので、その蔭に隠れて、あまり面を掛けるところは目立ちません。しかし、大夫が翁面を掛けるという事は、とりもなおさず大夫が「神」となる瞬間ですし、また、このように後見が最も緊張する瞬間でもあるのです。「神」が降臨するその瞬間を、ぜひ注目して頂きたいと思います。