城郭都市設計史Ⅶ

2015年12月21日 | 湖と城郭都市

 

 

  【佐和山城郭都市考 3】 

 ● 城郭周辺の近江百人一首

百人一首は、歌仙秀歌撰の一つの形態で、優れた歌人(
歌仙) 百人をあげて、一人
につき一首ずつ、あわせ百
首の優れた歌(秀歌)を選び出したもので、通常は『小

倉百人一首』を指す。この『小倉百人一首』は、三十六
歌仙を選んで藤原公任の
『三十六人撰』や、百人の歌人
の秀歌を歌合せ形式で並べた後鳥羽院の『時代不同
歌合
』などを継承しながら、藤原定家が百人の歌人の秀歌を
一首ずつ選びだしたも
の。

近江は古えより風光る詩情豊かな地であるとともに交通
の要所でもあり、
多くの歌人が歌ごころを誘われ数多く
の名歌が残されている。滋賀県教育委員会(近藤芳美氏
編集)の
近江百人一首を選定している――「万葉集」か
ら「
新後拾遺和歌集」までの四十集の中から百首が選ば
れ、県民の貴重な心の遺産となる

・不知哉川

  淡海路の鳥龍の山なる 

         不知哉川 日のこのごろは 恋ひつつもあらむ

                              岡本天皇

近江路の、鳥龍の山の辺にある不知哉の名のように、あ
なたのことは知り
得ないが、今日このごろは、ただ恋い
こがれておりましょう(出典 万葉集)。

不知哉川はかって桧原内湖に潅いでいた善利川(芹川)
の別名。
岡本天皇は、斉明天皇のことだろうといわれて
いる。高市岡本宮に都し
た舒明天皇の後をうけて皇后は
皇位に
つき、皇極天皇と称し飛鳥板蓋宮を皇居とした。
後皇弟孝徳が天皇と
なったが、天皇崩御の後、女帝皇
はあとをうけ再び天皇となり斉明と称し、飛鳥岡本の地に岡
本宮を営んでいる。この女帝をもって万葉の時代が始まった
とみている。  

・ 高敏の山
                

 あだに散る露の枕に 伏しわびて 勃鳴くなり 高敏の山風

                                俊成女


もろく散る、露に濡れた草の枕に伏して、心詫び、鴉
鳴いているなあ、高敏の山風(出典 新古今和歌集)。
高故山は、佐和山・里根山を総称としているとか、正法
寺山か定かでない。俊成の女は鎌倉時代、て12~13
世紀の歌人藤原悛成の孫で後鳥羽院に仕え、後鳥羽歌壇
を代表する女流歌人。


・磯 崎

 風さゆる八十の湊の明くる夜に礒崎かけて千鳥鳴くなり


                   藤原 信実


風の冴える、多くの湊、湊の明ける夜に、礒崎にかけて、
千鳥が鳴いていくよ(出典 万代和歌集)。米原町磯の南
の磯山は海抜160メートル。これが琵琶湖に突出した
崎が礒崎
で、崎を包むように現在は湖周道路が走り、日本
武尊を祀る礒
崎神社の森閑とした佇まいがある。干拓され
る昭和19年(19
44)前までは、磯山の北は入江内湖
で、礒崎にかけて鳴いて
いく千鳥は内湖に点々と浮かんで
いた。


・筑 摩 江


 筑摩川入江に鴛鴛のさわがぬは蘆の末葉に氷しぬらし

                               患 慶


筑摩川の入江におしどりの騒がないのは、蘆の末葉に、水が張
ったからだろうか(出典 恵慶集)。


・朝 妻
                                    
 おぼつかな伊吹おろしの風先に朝妻舟は会ひやしぬらむ

                               西  行

覚束無ことよ、伊吹臓の風のまともに、朝妻舟は、もしも会っ
たのではなかろうか(出典 山家集)。



①藤原定家:鎌倉の前期の歌人。京極中納言などと呼
 ばれ、俊成の子。新古今集(共撰)・新勅撰集を撰。
 歌風は絢爛・巧緻で新占今調の代表。

②万葉集: 現在最古の歌集。二〇巻。仁徳天皇皇后の歌と
 いわれるものから淳仁天皇時代の歌、天平宝字八年(七五
 九)まで約三五〇年間の長歌。短歌・旋 頌歌・仏足石歌体
 歌・連歌合せ四千五百首、漢文の詩・書翰などを収録。

 

 

序説 ヘルダリーンと現代(3)

● 純粋で雄々しい精神を抱いて

たしかに両巨星のあの指摘は、一部で彼の詩の冗漫を見
抜いてはいた。ドイツの詩人には押しなべてこの傾向が
あり、万人は実作者としてこの欠陥が身に沁みていたか
らこそ、ヘルダリーンも当初には免れることのできなか
った詩行量の多さによる思想表現の希薄化に陥る危険を
特に注意したのであったろう。ただ、シラーによってす
ら、この詩人が詩行量を増やしてもどうしても言い表そ
うと試みるのは.体何故なのか、たとえ表現過多が認め
られはしても、もし他の詩人と賢なる点があるとしたら
それは何からくるのかの一点がヘルダリーンに即して考
慮されることはなかったと言ってよい。しかしここから
こそ、もはや表現ほやその冗長などの諸点からだけでは
とうてい推しほれないほどの詩人力で両者から分離し独
立していく、両者とはやはり異ならざるを得ないヘルダ
ーリンが我々に顕かになってくるのである。

そしてこの.点をこそ同時代から直射するように、目を
みはって見つめる者達がいた。ドイツ・ロマン派の一部
の人々である。例えば、まず前間ロマン派の代λ的評論
家アウグスト・ヴィルヘルム フォンクンュレーゲル(
1767~1845)は、ノイファー編べ、1799年
版・知的女性のためのポケット年鑑」に発表のヘルダー
ンの短い頌歌.四篇のうち、特に「ドイツ人に寄せる」
(An die Deutschen)(1798)と-「運命の女神た
ちに寄せる」(An die Parzen .1798 102頁
参照)を、同年3月2日付のイェーナの非常に声望ある。

  ラウフェン市役所


全国レベルの「文学評論新聞,「一般文学新報」紙上で
高く評価、わけても後者に宿る詩才の将来性を指摘し、
短評ながらヘルダリーンの詩力が開花する必然にまで.
言及した。次にクレーメンス・ブレンターノ(1778
~1842)は、ヘルダリーンの悲歌「パンと葡萄酒」
の第一節が独立して「夜」(Die Nachi)の詩題で発表
されたとき激賞し、「夜」を12年間に数百回も読むこ
とになった,八頁参照)。またアウグスト・ヴィルヘル
ムの弟でロマン派の理論的指導者フリードリヒ・フォン・
シュレーゲル(1773~1829)、ロマン派を代表
する小説家ルートヴィヒ・ティーク(1773~185
3)など高名な文学者らも、「夜にだけにとどまらず、
発表誌、ゼッケン」ドルフ編、1807年版「詩神年鑑
」に同時収載の悲歌「シュトォットガルト」(Stutgard、
1800)、」「放浪」(161頁参照)などにも高い
評価をりえたドイツ民謡・歌謡集「少年の魔法の角笛」(
1806~08)をブレンターノと共に編んだアヒム・
フォン・アルニム(17881~1831)もそうなの
だが、ことにブレンターノの妹で後にアルニムと結婚し
た。

ベッティーナー・フォン・(1785~1859)は自
分の著作「ギュンデローデ」(1840)のなかで「あ
ああ、迷路のように入り絹んだ探究の道に茫って激しく
心をつき勣かされている人、わたしたちも、もし彼のよ
うに純粋で雄々しい精神を抱いて神的なものを追い求め
ようとするならば、このような人になんとしてち出会わ
なければいけないのです。――私には彼の発する言葉が
彼自身が神の祭司となって狂気のただなかで叫び上げて
いる信託のように恵われます。そして、間違いなく、す
べてこの世の生活は彼と.正視し合うなら狂気というこ
とになるのです。なぜなら、それは彼を理解しないので
から それにしても、自分は狂気ではないと思い込ん
でいる
人々の頭の状態は、一体どうなっているのでしょ
う?―――いかなる神に関わっていないような狂気もそ
もまた狂気ではないでしょうか?」のように述べたヘ
ルダリーン詩のリズムまで身抜いていた彼女
の理解か、
一時的なものでなかったことは、やはり、同書でヘルダ
リーン訳のソフォクレスの悲劇「
オイディブスナ」の以
後の絶望の叫びをめぐるヘルダリーンの解釈への賞讃か
らもわかる。
彼女のこの賞讃は、詩入訳のソフォクレス
非劇の上演への道を拓く役割を果たした意味を持つだろ。

詩作の間を縫うようにして進められ、約10年を費し、20歳代
ぎりぎりで公刊された小説「ヒュペーリオン」の主人公は、ヘル
ダリーンの文学精呻の分身と言ってよく、、1770年来オスマ
ン帝国の支配にあえぐギリシアの誇りと祖国に組成させようと
するげ主人公の苦闘に多くの同時代人が深い共感を寄せた。
恋人ディオーティマとの出会いと独立戦争参加による別
れ、彼女の死と復員後の孤独ではあるが自然への全的参
入で魂が癒されてく主題は、全ての階層のよ読者をたし
かにとらえていったのである。その一端は本編で示され
よう。ゲーテやシラーの令名にとても及ばないとしても、
そして徹底して無保証の詩人侍人の道を歩み始めてしま
っていたにしても、何よりも依然としてそう多くはない
読者自身が、ゲーテやシラーろも異なる
ヘルダリーンの
詩魂に裏づけられた、自然や恋人、時代変革への純粋意
志のほとばしりを、あまりに美しい詩的言語ののリズム
の純粋な輝きによって目を見はるように驚嘆したのであ
った。

           小磯 仁 著『ヘルダーリン』 清水書院


※ 生い立ち(1)

ヘルダーリンは1770年3月20日、ネッカー河畔の町ラウフ
ェン生まれ。父ハインリヒ・フリードリヒ・ヘルダーリン
(1736年-1772年)は尼僧院の説教師、母ヨハンナ・クリ
スティアーナ・ヘルダーリン(旧姓ハイン、1748年-1828
年)は牧師の娘であった。ヘルダーリンは長男であり、父
母はその後2子をもうけたが、ヘルダーリンがまだ2歳3
ヵ月のときに父が卒中で死去した。この2年後、母は官吏
ヨハン・クリストフ・ゴック(1748年-1779年)と再婚し
、一家はゴックの勤め先であるニュルティンゲンに移住し
た。母とゴックとの間には4人の子が生まれたが、この義
父も結婚から7年後に高熱がもとで死去した。なお母ヨハ
ンナがもうけた7人の子供のうち長じたのはヘルダーリン
と2歳下のハインリーケ、異父弟のカールのみで、残りの
4人はまだ幼いうちに死去している。

 

 

 【エピソード】      

      

  

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

 

 

   

 

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
  

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  15. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  16. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  17. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  18. 滋賀文化のススメ
  19. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  20. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  21. 彦根巡礼街道
  22. 朝鮮人街道 Wikipedia
  23. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  24. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  25. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  26. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  27. ボーデン湖 Wikopedia
  28. コモ湖 Wikipedia
  29. ネッカー川 Wikipedia
  30. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  31. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  32. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  33. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
  34. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  35. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  36. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  37.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  38. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  39. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千夜千冊
  40. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思索
    頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.09.06
  41. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  42. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  43. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光局公
    式日本語
  44. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ出版
  45. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  46. 城郭都市 Wipipedia
  47. ハイデルベルグ Wikipedia
  48. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  49. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  50. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』詩文楽
  51. リンダウ - Wikipedia
  52. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  53. 城郭都市 Wikipedia
  54. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  55. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  56. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  57. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  58. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  59. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  60. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  61. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  62. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  63. 万里の長城 世界史の窓  
  64. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  65. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  66. 佐和山城 Wikopedia
  67. 石田三成 Wikipedia
  68. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  69. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  70. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  71. 石田 正継 Wikipedia
  72. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  73. 彦根藩並近郷往古聞書
  74. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  75. 井伊家年譜
  76. 佐和山藩 Wikipedia  
  77. 丹羽長秀 Wikipedia  
  78. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  79. 彦根古図略図 彦根市
  80. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  81. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  82. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  83. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  84. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  85. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     

 ---------------------;-------- -----------------   

   

 

 

Comment    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 城郭都市設計史Ⅵ | TOP | 城郭都市設計史Ⅷ »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 湖と城郭都市