稲部遺跡 大規模な鉄器工房 Ⅱ

2016年10月30日 | 定期・定線清掃運動

● 稲部遺跡の現地説明会に千人来場

彦根市稲部町と彦富町にかけての稲部遺跡で22日、現
地説明会が行われ、市民や県外の考古学ファンら計約千
人が訪れた。市教委文化財課の発掘調査により、稲部遺
跡が弥生時代から古墳時代にかけての大規模集落跡で、
国内最大級の鍛冶工房や巨大倉庫、首長の居館跡などと
みられる遺構が確認された。

現地説明会で文化財課の職員は昨年6月から今年3月ま
での第6次と、昨年11月から継続中の第7次の調査区
の遺構のほか、鉄の片や朝鮮半島の土器などの出土品に
ついて解説。来場者も興味深そうに見学した。

 
● 保存か市道整備か
 
彦根市稲部町と彦富町にかけての稲部遺跡が「極めて重
要な遺構」と確認された。ただ、稲部遺跡の発掘調査は
市道芹橋・彦富線の道路改良工事に伴って実施されたた
め、今後は保存
か市道整備かの調整協議に入る。

稲部遺跡周辺での市道の整備範囲は約800㍍で、市は
2010年から用地買収を始めており、市道路河川課に
よると、これまでに63%の買収を終え、事業費としてす
でに約1億5500万円(2015
年度末)使っており
整備完成時期は平成31年度内を目指す。




一方で文化財課は稲部遺跡の第7次調査をしていた今年
から、道路河川課に対して「相談していた」といい、遺
跡周辺の道路計画の見直しを暗に求めていた。文化財課
の担当者は、稲部遺跡の保存と市道の整備、どちらも実
現できる着地点の模索にはいる。


稲部遺跡が重要な遺構だった報道を受けて、今後は「保
存」に向けた動きがあるとみられるが、道路河川課の担
当者は「まだ協議を始めるかどうかもわからないため、
こちらとしては計画を着々と進めるしかない」としてい
る。
専門家からは「邪馬台国時代の国家形成の有り様を
考える重要な遺跡なため、抜本的な保護対策を早急に講
ずるべきで、保存と活用の要望がある(奈良県立橿原考
古学研究所共同研究員森岡秀人談)。今後は保存に向け
た議論が広がるのは必至、最終的には市長判断が必要と
される。

 

【エピソード】 
 
   
       
 

● 稲部遺跡発掘調査現地説明会>が開催されました

10月22日(土)、彦根市稲部町・彦富町にまたがる
稲部遺跡で、発掘調査現地説明会が開催され、県内外か
ら約千人が参加しました。
稲部遺跡は、平成25年度から
実施された調査で発見された、2世紀~4世紀(弥生時
代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。
中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国と同時
期に栄えた国とされています。

                    彦根市

 

調査地は標高約 90.00m 前後の旧愛知川の微高地上に
あたり ます。 微高地の北には旧愛知川である 文緑川
が、やや南には同様に旧愛知川である 来迎川が流れて
いますの 周辺では弥生時代後期から 古墳時代前期の
遺構が密集て分布しています。

 

稲部遺跡と 稲部西遺跡を含む稲部遺跡群は 昭和56年
(1981) の宅地造成工事に伴ってはじめて調査されま
した。その後、平成25年 (2013)から開始された市
道改良工事に関わる 調査において独立棟持柱建物 大
型建物、方形区画、 金属器工房などが発見され 、現
在までに 180棟を超える 竪穴建物が検出さ れていま
すが、第6次調査で大型建物棟が、第7次調査で大型
建物棟、超大型建物2棟、大規模な鍛冶工房群が確認
されたことにより、稲部遺跡群の全体的な遺構の変遷
が明らかとなりました。また、稲部遺跡群調査指導検
討会(平成28年9月7日開催)における調査成果の審議
を差て 、稲部遺跡群が 弥生時代から 古墳時代 にか
けての日本の国家形成期を 考える 上で極めて重要な
遺跡である  評価されています。

        ―― 中略 ――

4  ま と め

北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地
域をつなぐ 、地理的に重要な位置にある 3 世紀の近
畿北部の中心的な遺跡です。これは、大村 (奈良県) 、
伯香(鳥取県) 、越前(福井県) 湖南地域(滋賀県
南部)、美濃 (岐阜県)、尾張(愛知県)、伊勢 (
三重県)、東遠江から駿河(静岡県東部)の各地域の
土器の出土からも各地からの交渉があり 、交流の要
物流の中心地となっていることが裏付けられます。

鮮半島の渡来人と の関係を 示す韓式系土器も 出土して
います。

直径数百メートル、面積約20万平方メートル、弥
生時代後期中葉(2世紀)から古墳時代中期(5世紀)
にかけて継続 する 巨大な集落です。

0青銅器の鋳造、朝鮮半島から運ばれた鉄素材をも
とに鉄器の大規模な生産を行っており、大型建物・超
大型建物や独立棟持柱建物という首長層が居住したり 、
儀礼に使用したと考えられる建物と 区画が時代を経る
ごとに出現し、王権と の関わりによっ て政治色を強
めていく過程を示しています。

③祭杷都市・政治都市としての面を強く持ち、工業都
市としての面もあわせ持つ近江の巨大勢力・クニの中
枢部であり、3世紀の園内屈指の遺跡です。

④3世紀前半を中 心とする ヤマト政権が成立しつつ
ある時代、日本の歴史上でも非常に重要な時期の大集
落です。日本列島における倭国の成り立ちを考える上
で、今までにない極めて重要な遺跡です。

⑤3世紀の時代にとどまらず、4世紀から5世紀には 、
巨大倉庫の出現によっ て物流拠点として発展・ 継続
し、韓式系土器(三国時代・3~7世紀の朝鮮半島南
部地域から 渡来人が持ち運んだり、すでに日本に住ん
でいた人々が朝鮮半島の土器を まねて作った土器)の
出土から朝鮮半島と交流し、当時の最先端技術を渡来
人から 導入していた可能性があります。

⑥ヤマト政権との関係を前提として、荒神山古墳の築
造に関わる巨大勢力の本拠地である可能性を含め、荒
神山古墳との深いつながりをもっ遺跡です。

⑦稲部遺跡では、縄文時代後期(今から 4,500年前)
から 中世(今から 500 年ほど前)までの遺構と 遺
物が 見つかっています。 中でも、弥生時代後期中葉
(紀元2世紀)から、古墳時代前期(4世紀)にかけ
ての非常におおきな集落がみつかりました。 これは、
「ムラ」というよりも、むしろ「クニ」の中枢部のよ
うな集落で、非常に学術的価値の高いものです。

教科書にも載っている「魏志倭人伝」(中国の歴史書)
が伝える「
邪馬台国J  とほぼ同じ 時代の遺跡です。
「魏志倭人伝」に警かれる「倭(日本のこと)」には、
「邪馬台国」という大きな国があり、「卑弥呼」とい
う 女王がいたと書かれていることがよく知ら れます
が、 その続き
には日本の中に邪馬台国の他に魏と 外
交関係をもっ三十か国があるとあります。その三十か
国のうちの一つが、稲部遺跡である 可能性が出てき
ました。ただし、まだ遺跡全体の2割程度しか明らか
になっておらず、周辺にはさらに重要な遺構が存在し
ている可能性が高いものと考えられます。大型建物や
超大型建物の上部 構造、方形区画内の遺構の解明 、
鍛冶工房群の実態とその広がり、集落の構造などにつ
いてもさらに検討し
ていく必要があります。荒神山古
墳の築造背景や被葬者との関係についても大きな課題
です。

                 (説明会資料) 


【脚注及びリンク】
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  1. 御稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構 「邪馬台国」
    時代 毎日新聞 2016.10.17 
  2. 鉄器工房群発見に「邪馬台国時代とは…」毎日新
    聞 2016.10.17
  3. 稲部遺跡で鍛冶工房跡 邪馬台国期の拠点集落か
    朝日新聞デジタル 2016.10.18
     
  4. 稲部遺跡から巨大建物跡を発掘 NHKオンライ
    ンニュース 2016.10.18
  5. 彦根市埋蔵文化財調査報告 稲部遺跡 発掘調査
    概要報告書 2011.01.30 
  6. 邪馬台国時代、彦根に一大勢力存在か 稲部遺跡
    で国内最大級の建物跡、鍛冶工房跡出土 産経ウエ
    スト 2016.10.17 
  7. 稲部西遺跡で現地説明会 しが彦根新聞 2013.11.23
  8. 稲部遺跡の現地説明会に1000人来場 しが彦根
    新聞 2016.10.26
  9. 稲部遺跡発掘調査現地説明会の当日配布資料 2016.
    10.25.23

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