上野城

2013年12月06日 | 滋賀百城

 

県道四号を三重県に向かって車を走らせていくと、J
R油日駅を過ぎて、山崎橋を渡るとすぐに左手に丘陵
が見える上野城跡。県道からの登城ルートは細いがし
っかりとした道で、入り口には城跡の説明板が立てら
れている。登城ルートを登ることわずか数分で、尾根
の稜線に到着する。丘陵頂には祠が建立されており、
そこを右に向かうと、尾根に巨大な横堀が現れるのが
上野城跡。上野城は甲賀では発達した城郭構造を示し
その歴史についてはほとんど不明といわれる。わずか
に上野氏の居城であると伝えるのみ。この上野氏につ
いても詳細は不明で、甲賀五十三家のうちの南山六家
に属していたと言う。その構造は他の甲賀型の館城タ
イプと異なる。中心の曲輪は登ってきた尾根の南端に
選地。周囲に土塁と空堀を巡らせる単郭方形館タイプ。
平面形態は円形に近い。周囲の土塁は厚く、高さ五メ
ートルの巨大だ。周囲に巡る空堀も巨大で、北西部、
つまり尾根稜線部については一部で二重に巡らされて
いる,こうした形態はいわゆる甲賀型の典型例である
が上野城ではこの主郭の北側の山麓に広大な屋敷地と
平畑地が配置され違いを見せる。

山麓部には南北方向に谷筋が貫通、屋敷地はこの谷筋
の東西に分かれて設けられている。西側の屋敷地では
中央に西方の尾根筋より購えられた土塁がさらにこの
屋敷地を二分している。東側の屋敷地はその周囲に土
塁を巡らせており、防御を固めている。なお、東側屋
敷地の東端部は現在道路が通っており、旧状をとどめ
ていない。出土した遺物によって上野城がおおよそ十
六世紀後半から十七世紀前半の遺跡と判明している。
検出された遺構は柱穴とみられるピットで、この土塁
囲いの平坦地が居城空間であったことを示している。
このように上野城は基本的な甲賀型の城館ではなく、
より発達した構造を示し、甲賀では土山城などで基本
的な甲賀型の城館を改修し、馬出しを増設した事例が
認められる。土山城の改修は天正十二年(一五八四)
の小牧長久手合戦に伴うものであることが確認されて
いる。

          

        

『日本城郭体系 11』では、所在地は「甲賀郡甲賀
町油日小字山崎」、創築年代は「室町時
代」、創建者
は「上野主膳正」、形式は「平山城」です。城の歴史
は「上野城は、大字油日の南西端に位置しており、国
鉄草津線の北山に連なる丘陵端にある。郭は東西南北
ともに約八〇mの土塁に囲まれている。南部には空堀
をもつ、地山を利用した土塁があり、土塁中央に現在
稲荷社がある。西端は広く平坦部があって櫓があった
のであろうが、採土のため半壊している。城跡の西・
北部には、屋敷跡と思われる平地が三段に並んでいる。
城主は上野主膳正であるといわれるが、城郭の規模・
位置から考察しても、上野氏の城であろうと思われる
が、文献・口伝ともに不明である。」とあります。な
お、甲賀郡甲賀町油日小字山崎は現在甲賀市甲賀町油
日になっている。


【エピソード】

 

さて、師走。新年会(総会)の準備が遅れている。今年度の
ように二月に入って、会場も同じところで、休日で、と考えて
います。来年度は、夜でなくて昼間で開催するのも良いのか
と考えていますが、意見を至急お寄せ下さい。
                        
                               幹 事

【脚注およびリンク】
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  1. 甲賀武士のゆかりの城郭を巡る上野城跡
  2. 滋賀県甲賀市甲賀町油日上野城跡
  3. 甲賀市の文化財一覧
  4. 滋賀県甲賀市甲賀町上野

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