調査員の「目」

 日常の何気ない雑感とつれづれ日記。

「項羽と劉邦 KING's WAR」無念の范増・・・

2014-07-05 | 日記・雑感系
 中国歴史ドラマ「項羽と劉邦King's War」の范増の最後が無念すぎて可哀想
すぎる・・・。  
 
 項羽(楚)軍の天才軍師:范増

 70歳にして項梁に陳勝の反乱の失敗を大義がないことを訴えて歴史の表舞台に登場。以降、楚軍(項羽)の軍師として項羽の進撃を支えた天才軍師である。
 史実とは若干違う描写だが、陳平の離間の計によって范増が項羽から疑われてやむなく楚軍から離れて亡くなっていくストーリーがあまりに無念すぎて泣けてくる。

 ひどいぞ項羽!  

 項王(項羽)から亜父(あふ)とまで呼ばれて信頼を得てきた范増は、陳平の黄金4万斤を使った間者により不穏な噂を広められて、項羽や将軍たちから疑いの目を向けられ軍議に呼ばれなくなってしまう。やむを得ず、門番・護衛兵に聞いてどこで軍議が開かれているかを聞き、軍議にむりやり出席する


 滎陽(けいよう)へ攻め込むべきと主張する范増に糧道を攻めて補給路を断つことを主張する項王とで意見が対立する。 


 心配する鍾離眛が范増の下を訪問するが、范増は離間の計を理解しない項王(項羽)に無力感を覚える。


 范増はなんとか項王(項羽)からの疑いを晴らそうと項王に会いに行く。


 寒い雪の中、ひたすら老体に鞭を打って立ち続ける范増。
 しかし、項王(項羽)は「私への嫌がらせか!」と逆に憤り、范増に会おうとしなかった・・・。


 翌日、軍議が開かれるが冒頭から項王(項羽)が逐一「亜父、これでよいでしょうか?」「そうでしたよね?亜父?」「亜父?」と一言ごとに確認を求める(権限が范増にあるかのような確認の)嫌がらせが続く。


 軍議の不穏な空気を心配する虞子期。


 そして、またしても滎陽を攻めるべきと主張する范増と糧道を断つべきと主張する項王の意見が対立。すると待っていましたとばかり「あれ?いつも守ることを重視していた亜父が攻撃とはおかしいですね?」とこれでもか、これでもかと皮肉を浴びせる項王。最後には兵隊のどうでもよい不始末の判断なども求められ、范増は「もうそんなことなら呼ばないでくれ」と出て行ってしまう。


 項王と袂を分かつ范増。追いかける鍾離眛。


 諦めた范増。 
 

 従者に「もうわしのことは良いから金をやるからどこかにいけ」と話す范増。


 戦場で死なずに、田舎に戻ってきたというのも天意か・・・と無念に嘆く范増。


 追いかけてきた虞子期が范増を見つけるも・・・。


 時既に遅し・・・。范増先生はお亡くなりになっていた・・・。無念。

 ううう・・・。范増先生~。

 なお、司馬遷の『史記』では故郷の彭城に帰る途中、背中に腫れ物が生じて亡くなったと書いてある。


 歴史上の項王(項羽)が涙したかはわからないが、ドラマでは項王は涙に暮れる。



 范増との出会いのシーン。

 戦争なのであらゆる手段が用いられるが、人間の持っている猜疑心や警戒心を利用して、仲違いさせるような噂や嘘の演技により、人と人との信頼関係を破壊する離間の計・・・。恐るべし・・・(当然だが人と人とを仲違いさせてはいけない)。
 結果として、漢王(劉邦)は金4万斤を陳平に自由に使わせて、項王から范増を引き離すことに成功。范増がいなくなった楚軍はその後、推して知るべし・・・。
 
 後に皇帝になった劉邦はこう言ったという。(簡単に言うと)
「張良・韓信・蕭何という三人の傑物を使い事なす事ができた。これこそ私が天下を取った理由だ。項羽には范増という傑物がいたが、この一人すら使いこなせなかった。これが私の餌食になった理由だ」(司馬遷『史記』)

 戦いは無敵ながら人の意見を聞く度量のない項羽と戦いは弱いが人の意見を聞き度量が広かった劉邦。結果として、項羽は自ら最高の軍師を捨てるという墓穴を掘り、劉邦が天下を取ったということは、やはり多聞天のごとく、謙虚に人の意見をよく聞き、人を許すことが大事ということなのだろう。

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