靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

病室の情景を眺める視点

2013-11-17 08:05:33 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

病室を外から眺める視点("inoculations" by Charlie Hararyを参考に):

八ヶ月の赤ちゃんを連れて小児科医へ定期健診に出かける父親。二人で出かけるのは初めてのこと。心躍る父親、きゃっきゃと腕の中ではしゃぐ赤ちゃん。

病室に着き、白い服を着た人々が現れる。あれ? ここはどこ、何が起こってるの? 服を脱がされ、あちらこちらに器具を突きつけられ。お父さん、どうして私をこんなところに連れてきたの? 楽しいお出かけのはずだったのに、痛い! とがった針がいくつも!(こちらでは、この年月で太ももに一気に4本ほど予防注射)、ひどい!

顔を真っ赤にして泣き喚く赤ちゃん。検診が終わり、父親の腕の中でしゃくりあげ、次第に落ち着く。

八ヶ月の赤子に、定期健診の意味、予防注射の意味、それらがいかにあなたにとって良いことなのかを説明しても、理解はできない。ただ辛く苦しく痛い。連れてきた父親を、なぜ私をこんな目に合わすの、そう恨めしそうに見上げ。


苦しい時というのは、こんな「病室の情景」に似ているのかもしれない。自分にとって、それらがいかに良いことであるかは、理解できない。ただ、目の前の痛みに悶え、なぜこんなことに?と恨めしく天を仰ぎ。

それでも、次第に内の奥深くの温もりに包まれ、癒され落ち着きを取り戻す。あの父親の腕の中の、赤子のように。


年を経、より理解する力がつくにつれ、通り過ぎたいくつもの痛みの意味を、知ることもあるかもしれない。赤子が小学校にもあがれば、徐々に、検診や注射がなぜ自分にとって必要だったのかが、理解できるように。

「全てはよき事のために」、病室を外から眺める視点を、覚えておきたい。
 



憎しみと愛("When Love Becomes Hate" by YY Jacobsonを参考に):

Menassehはユダヤ史上最も悪名高い王。偶像崇拝をもたらし、悪事の限りを尽くしたと言われる。聖典『トラ』を鼻で笑い、ユダヤへの改宗を拒否されたことにより、ユダヤを憎み続けた女性Timnahに自身を重ねる。
アッシリアに拷問を受け、あらゆる偶像への祈りが届かないと分かった死の寸前、偉大な指導者とされた父親が唱えていた祈りの言葉を口にするMenasseh。祈りが神に届かないよう天使達が遮る。あれほどの悪人が許されるべきはないと天使達が止める中、神はMenassehを救う。
(『ゲマラ』より)

なぜMenassehは救われたのか?

とてつもない憎しみと愛とは、常に表裏一体であるためと説明される。

必死で離れようとする裏には、とてつもない執着がある。

むき出しとなった憎悪の裏には、とてつもない愛情がある。


自身の、他者の、「憎しみ」の裏を見つめてみる。

拒否された痛み、受け入れられない痛みといった「憎しみの原因」を越えるには、「病室の外の視点」が有効。「全てはよき事のために」、例え生きている間にはその意味が分からないとしても。

「愛」の側にフォーカスすることで救われるのは、他の誰でもない、その人自身。


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