靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

思いやるということ

2011-12-17 02:49:35 | 子育てノート
「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉があるけれど、他者の気持ちに共感し、他者の痛みを感じられ、他者が少しでも楽になるように助けてあげたい、という思いやりを持つこと、思いやりの気持ちというのは、人に生まれつき備わっているというより、育てられていくものなのかもしれない。

身体の筋肉は鍛えるほど強くなり、脳も筋肉のように使えば使うほど鍛えられていくわけだけれど、ひょっとして、思いやりの気持ちというのも筋肉のようなものなのかもしれない。用いれば用いるほどますます伸び研ぎ澄まされていく。

足を伸ばして遠くに出かけ悲しみや苦しみを探さずとも、周りには悲しみ苦しみ助けを必要とする人々がたくさんいる。マザーテレサはボランティアに集まった人々に対し「もしあなたの身近にここへ来ることで苦しんでいる人がいるのならば、すぐに帰ってそばにいてあげてください」と言ったといわれているけれど、まずは周りを見まわしてみる。

思いやりを持つこと、それはメディアに取り上げられるような救援支援プロジェクトだけでなく、ごく身近な周りから始まっている。忙しく嵐のような日々だとしても、ほんの少しずつだけでもストレッチしてみる。笑う気になれなくても笑顔を向けてみる、気に入らない人がいたとしてもその人の痛みを感じ親切にしてみる。

ユダヤの教えに「行為(action)が人格(character)を作る」というのがある。何度も何度も繰り返し日々少しずつでも思いやりを行為で表していく、すると思いやりはその子の性質となっていく。身近な周りから日々少しずつでも。


以下、思いやりを育てることについて今まで気づいたことや見聞きし試したことで「いい!」と感じたこと。

小さな頃から始める。食べているものを「ちょっとちょうだい」と言って美味しそうに頬張りシェアする喜びを感じさせたり。泣いている子の気持ちを想像し何ができるかと考え行動させてみたり。発した言葉や行為が相手をどういう気持ちにさせたのかを想像させてみたり。「あなただったらどう感じる?」と自分を相手の立場におき喜び痛み悲しみを想像させる訓練を繰り返す。

悲しみや苦しみを感じているときは、他者の痛みを感じられるようになる絶好の機会でもあるととらえる。あの時どれほど辛かったか、助けられたことがどれほどありがたかったか、他者の悲しみに対し自身の体験を思い出させるようにする。

・寝る前などに、感謝したり、悲しんでいる人や難しい境遇にある人に対して思いやる静かな時間をとる。「早くよくなりますように」という気持ちを送ってあげるようにする。

行為で示す。悲しみ苦しんでいる人に対してカードを書いたり訪ねたりプレゼントしたりそばにいて話を聞いてあげたり。ホームレス支援などのボランティアに参加したり、病院や老人ホームを訪ねたり。小遣いの何パーセントかを定期的に寄付するようにしたり、使わなくなったものを寄付したり。

大人がモデル。上のようなことを周りの大人や親が言葉だけでなく行為でも示していく。日々少しでもストレッチしていけば、大人の筋肉だって伸び鍛えられていく。身近な周りから世界で起こっていることまで、思いやりを向けてみる。キャパシティは固定されていない、少しずつでも鍛え広げていけると信じつつ。


「愛があるから与えるのでなく、与えるから愛が生まれる」というのは本当だと思う。好きだから思いやるのでなく、思いやるから愛情のようなものが生まれる。

子どもと共に今日もストレッチしていきたい。

そのまぶしいものを、胸に

2011-12-17 02:41:37 | 私史
親から何を受け継いでいきたいか。父と母を思うとき、一番に浮かぶのが「思いやりの心」かもしれない。

小さな頃からいかに世界には苦しみ悲しむ人々がいるかを聞かされて育った。社会の構造の底辺で踏みにじられ虫けらのように消されていった人々の歴史を教えられて育った。その教えは徹底していて、子どもには強烈過ぎる面もあった。

父と母は言葉だけでなく、その教えを生きていた。常に何らかの市民政治運動の中におり、小さな頃からストライキやデモが生活の一部、労働組合を本業としつつ、友人達と生活協同組合を立ち上げ、福祉施設で働き。夜になると毛布をもってホームレスの人々を訪ね、毎週重度障害者の風呂介護を手伝いに出かけ、家の敷地を改築してカルチャーセンターを作り。「男女雇用機会均等法を」「北方領土を返せ」と掲げるシールの貼られたジープを運転する父は、パキスタンのゲリラに加わると遺書を書き一ヶ月ほどいなくなったこともある。近くにいると火傷しそうなほどのパッションを持続する父は、今も福島支援を含む様々な活動に忙しく、母は高齢者が働け集う場所をとカフェギャラリーを開いている。

家族という枠組みをはずした共同体のような環境に育ち、「普通の家庭」に憧れた時期もあった。常にコミュニティー他者優先に開かれた環境に、一体家族とは何なのだろうと考え込むこともあった。世界に対してもっと「普通の見方」ができないものかと悩んだ時期もあった。自分の子にはどう教えていこう、そう自分に問いかけてきた。まずは家族という枠組みから始め、内に温もりの桃源郷を築きつつ、小さな子には徐々に痛みや苦しみに触れさせていくのがいいのじゃないか、そんな風にも思う。

父母に育てられた歩みを振り返るとき、確かに、まぶしく輝く大きな宝物を差し出されている。それは「他者の痛みを思いやる気持ち」。例えトラウマになるような環境に育ったとしても、暗闇に見える中に、眩しく光るそんな宝石のようなものが散りばめられているのかもしれない。

受け継ぐ流れ、父母は祖父母、祖父母はその曽祖父母から受け継ぎ、脈々と続き今の自身を形作っている。内に脈々と息づく流れ。受け継いだ宝をしっかりと抱き、目の前の子ども達に向かっていきたい。10年会っていない父と母に心よりの感謝を込めて。

兄妹、クッキー作り

2011-12-17 02:24:04 | 
兄、学校最終日にクッキー交換があると前日夜クッキー作り。

皆が持ち寄り交換するのだそう。こちらのホリデイシーズン行事の一つ。

兄妹ずっとぺちゃくちゃ話しながら。

それでねそれでね、


誰々がね、


ああしてこうしてね、


出来上がり!マシュマロ入りらしい。あまっ!