靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

感謝の気持ちを養う

2011-12-11 01:08:40 | 子育てノート
感謝の気持ちを感じられるよう育てること、それは子育ての根幹・土台に据えることなのだと思っている。

感謝の気持ちを失うとき、人は傲慢になりやがて行き詰まる。感謝は、何かを与えられたという事実を受け入れること、自分が相手に世話になり何かを負っていると認めること、自分が一人では生きていないということの自覚。感謝することで、傲慢さは謙虚さに変わる、小さな自分がむき出しになる。

感謝は「当然ではない」と認めることでもある。感謝の気持ちをもつことで「あって当然」「してもらって当たり前」「もっとしてくれて当然」そんな態度にストッパーがかかる。

失って初めて有難さを思い知ることがある。病気になって健康の、事件事故災害にあって普段の生活の、戦争になって平和の。想像力をフルに使って「ない」ということを想像してみる。「ない」という可能性をありありと想像できるとき、「ある」という不思議(wonder)を思うことができる。「ない」という可能性もある中で選択されて「ある」のだという視点をもてるとき、心の奥底から感謝の気持ちが湧いて来る。

ではどうやって子どもに感謝の気持ちを身につけさせることができるのだろう。以下今までの気づきや見聞きして試してみたことで「いい!」と思ったこと:

・大人が子どものモデル。まずは周りの大人が感謝の気持ちをもつ。礼儀や言葉だけの「ありがとうございます」でなく、本当に気持ちのこもった姿勢言葉行為。ありありと「ない」状態を想像できるのなら、そんな姿勢も自ずと生まれてくるはず。

・朝目が覚め一番に息をしているという不思議(wonder)を思う。何十兆もの細胞が働き心臓が規則正しいリズムで血液をパンプし見ることが聞くことが匂うことができ、部屋には空気が溢れ月が星が太陽が光を注ぎ。「ない」可能性もある中でこうして「ある」不思議。朝目が覚めたらまず感謝することを習慣づける。一日を生きていることへの感謝で始める。この習慣は大人になっても必ず大きな力になる。

感謝のリストを書き出すまたは口にする時間をとる。毎晩寝る前、一日を思い出しながら感謝することを言い合う。毎日10や100書き出すと決めて実行する。楽しい夢をみた、玄関先の花がきれいだった、真っ青な空に樹氷が輝いていた、カフェのウェイトレスの笑顔が素敵だった、何でも書き出してみる。最初は見つけにくくても慣れてくると100なんかじゃ足りなくなってくる。そして辛いこときついこと何を見ても感謝の視点が湧いてくるように。感謝すること10リストメールを友人間で毎日交換することで全く生きる姿勢が変わったという話も聞いたことがある。

感謝の気持ちを形にする。何かしてもらったら「ありがとう」と伝えるようにさせる。ホリデイシーズン、プレゼントをもらうことが多くなるけれど、サンキューカードを書いたりお返ししたり。もらうばかりでなく周りの人にあげるようにもする。プレゼント一緒に買いに行って選択し、きれいに包んだり、その人がしてくれたことをカードに書き出したり。先生だから教えてくれて当然、事務員だから事務して当然、掃除する人だから掃除して当然、「当然ではない」という視点を形で表す。

過程を体験させる想像させる。食物が食卓にあがるまでにどれほど多くの人の働き自然の恵みが必要か。実際に農場へ出向いたり流通を追ってみたり。ひじをついているテーブル、座っている椅子、包まっているブランケット、温かいセーター、心地よい家、目に入るもの何一つとっても多くの人のそしてそれらの人々を生かす条件が揃っているおかげでそこにあるのだということを想い出させる。

物を大切にする。またすぐに買い換えればいい、というような姿勢を見せない。むやみに壊させない。壊すより作る大変さ楽しさを教える。次から次へより一つ一つのものへの感謝の気持ちを育てるよう。

時間を大切にする。だらだらと一日中テレビを見させたり、時間を無駄にしない。「時間潰し」というような言葉を使わない。限られた一時一時を大切に感謝するという感覚を養う。


不思議(wonder)を想う気持ち、それが感謝に繋がるのだと思う。「当然」なんてものはない、そこにはいつも不思議が隠れている。世界はワンダーに溢れている。

今日も子ども達と生きているという不思議に感謝していきたい。

妊娠の不思議

2011-12-11 01:07:02 | 子育てノート
子どもが大好きで子どもに囲まれて暮らす、というような人生設計を描いたことは実は一度もなかった。今は子どもがなんて面白いんだろうと思うけれど、若い頃は子どもの子の字も頭の中にはなく、だからといって嫌いでもなく取り立てて好きというわけでもなく。ただいつか子どもを1人くらいは産んでみたい、仕事を続けながらシングルマーザーかな、と漠然と考えていた。

それが縁あり結婚することになり、自分にとっては驚きのタイミングで1人目。2人くらいと考え始める前に2人目、よしこれで落ち着いたら仕事を本格的に始めて、というところに3人目、まあ「3人から社会」というし3人くらいいても・・・、ところがまさかの4人目、色々な意味で限界を超えたと感じつつ、三女が歩き始めた頃友人とビジネスを立ち上げようと動き始めていたところ驚きの5人目。

この「まさか」「驚き」というのは実際医療の力を使ってそうならないようにしていたけれど、医者もびっくりの確率で妊娠してしまったゆえ。

外でバリバリと仕事して、本読んだりリサーチもたくさんしやりたいことも色々あって一人の時間もゆっくりもちたい、と描いていたイメージとは正反対の方向へ進んでいく人生。

4人目、5人目、検査薬に浮かび上がる妊娠を知らせるラインを見とめたときの複雑な思い。決して最初から両手を挙げて喜ぶというものではなかった。あり得ない、どうやって育てるというの、どう考えたって無理、ますます息つく暇もないほど過酷な日々がやってくるのか、自分の時間は一体どこへ、だいたい今の世の中に育つ子どもは幸せなのか、このまま人口増大し続け資源はどうなるんだ、こんなに産むより孤児を引き取るべきなんじゃないか、ありとあらゆる声がぐるぐると渦巻く。それでもそんな声の渦の中心に、まるで台風の目のように静かな揺るぎの無い場所を感じる。心の奥の深いところでどうしたらいいのかがもう明らかになっている。激しく動揺する自分と静かに見つめる自分。

やがて嵐のように叫びうめき諭す声は静まっていく、心の奥の中心からふつふつと温もりが湧き上がり、身体中を駈け巡る。下腹部に手を当て、まだほんの小さな身体に宿る命を想う。

妊娠というのは不思議なものだと体験から思っている。多分妊娠しない身体なのだろう、と10代の頃からずっと思っていた(様々な体験から)。実際結婚してからも2年間妊娠することなく。それでもアラスカへ移住すると決めた後絶妙のタイミングで妊娠。

4人目5人目の妊娠で心に一番しっくりときた言葉が「surrender」。私はクリスチャンではないけれど、クリスチャンの友人の「あなたが色々思ったとしても、神には違う計画があるのよ」という言葉がすっと身体に入ってくる。

こうして今5人を育て、毎日目が回るほど駆け回り、若かりし頃の私が見たら卒倒するような生活をおくっていて、それでもこうあることが必要だったのだと、なぜかそんな静かな気持ちの自分がいる。

こうして授けられた命の不思議を想いつつ、感謝を込めて。

レゴリーグプロジェクト進行中、貝毒とネズミと

2011-12-11 01:06:25 | レゴリーグ
レゴリーグプロジェクト、「アラスカの貝毒 PSP(Paralytic Shellfish Poisoning)について」進行中。


火曜日にはPSPの専門家アラスカ大学教授Ray RaLonde氏を訪ねる。

自分たちで作ったパネルを見せると、足りない部分やアドバイス、質疑応答など2時間近く講義してくれる。


新しい情報様々ゲット。 RaLonde氏の忍耐丁寧親切さ(夫出張で連れてかざる得なかった次男と三女が騒いだりあげくのはて隅でかくれんぼを始めたり、必死でなだめる様子を優しく見守って下さる)に感動。PSPを食べた主人公が記憶を失うというチームの劇、PSPでは記憶喪失はないと分かり書き換えること決定。予選まであと1週間・・・。(笑)


木曜日にはアラスカ州のラボラトリー(Environmental Health Laboratory)見学。アラスカ産の貝は市場に出る前に必ず全てここに送られテスト。

サイエンティストになって。


実際にねずみに貝の抽出物を注射し、ネズミが死ぬまでの時間を測る、を見せてくれる。

目の前で痙攣を始め、悶えながら1分45秒で死が確認されたネズミ。子ども達真剣な面持ちで見つめる。

ネズミ飼育箱。

メスばかりで大きさも一定。性別大きさによる差が出ないよう。

現在のPSPのテストは全てこのネズミを使ったmouse bioassay test。年に1200匹ほどのネズミがテストに使われてきた。来年中にはネズミを使わない方法(HPLC)へ移行することになっているという。ヨーロッパ・カナダでは既に動物を用いない方法を使っているらしい。


その後ラボ全体を見学させてくれる。乳製品、水質など様々なテストをする部屋が。

マネージャー自らが一時間半冗談交えて丁寧親切に。子どもの見学は初めてだったそう。

それにしても、個人的な小人数の子ども相手に本当に親身に時間を割いて教えてくれる方々に感銘を受けた2日だった。



ラボから帰った夜、「初めてああやって動物が目の前で死んでいくのを見た」と言う長男長女。「人が美味しい貝を安全に食べるためなんだね」、と。

翌日の「作って食べる会」、偶然クラムチャウダー。夕飯、貝を見つめる二人。「感謝して食べなきゃね・・・」とポツリ。


レゴリーグ予選まであと1週間。予選通過できるかかなり微妙ですが、結果はどうあれ、本当にたくさんのことを学んできました。あとは思い残すことのないよう最後の一週間できる限りのことをするのみ!