靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子どもとのコミュニケーション

2011-12-08 00:28:56 | 子育てノート
言語以外にも様々なコミュニケーションの媒体がある、子どもと接する時覚えていたいことの一つ。

言語を用いてコミュニケーションするのは人間だけで、言葉のおかげで他の動物に比べより広く複雑な情報を伝達することができるわけだけれど、言葉以外の要素もフル活用すること、忘れないようにしたい。「目は口ほどにものをいう」と言われるけれど、表情や身振りや顔色や視線や姿勢、言葉以上に大きな役割を果たすことがある。

子どもは大人以上に言葉をひっくるめた全部を見ている。そして言葉の裏の嘘や胡散臭さを感じ取る達人。頭はあちら、言葉はそちら、身体はこちら、とちぐはぐでなく全存在で子どもに向き合っていけたら。

子どもとのコミュニケーションで今まで気づいたり見聞きし試してみて「いい!」と感じること:

赤ちゃん期からたくさんのコミュニケーションを心がける。赤ちゃんはしゃべらず反応も無く見えたとしても、周りの情報をものすごい勢いで吸収している。たくさん抱っこして触れ合い、目をみて話しかけ笑いかけあやして。親の温もりを言語非言語あらゆる媒体を使って全身で伝え赤ちゃんの温もりも全身で楽しむ。

子どもによって、その時その場合によって合う方法を見つける。単刀直入な言い方、比喩的婉曲的な言い方、ソフトな声、厳しさのある声、断定口調、質問口調、その時の子どもの心の奥に一番届く方法を選ぶ。

肯定的ポジティブな言葉を使うようにする。「~しない」より「~する」という言葉をかけるようにしたり。「いつも喧嘩ばっかりしてえ、喧嘩しない!」より「あなたたちもっと仲良くできるよね」、「そのミルクこぼさないのよ」より「しっかり両手で持つといいわよ」、「ああまたこぼして何度やったら分かるの」より「こぼれたどうしたらいい?タオルもっておいで」、「何でこういつも汚い部屋なの、ホント片付けるのが下手なんだから」より「部屋がきれいだと気持ちいいよね、もっときれいな部屋にできるよね」、「何て嘘つき」より「本当のこと言えるよね」などなど。

怒りを基にしない。怒りの勢いのまま子どもに向かわない。怒りを一旦静め、その子にとってどんな方法で伝えるのが一番届くのかを選択する。怒りの勢いは即効で親の思い通りの結果を生み出すけれど、長い目でみて子ども自身が主体的ポジティブに何かをするという姿勢は育ちにくい。

脅さない。「恐れ」を何かを「する・しない」という選択の動機にしないようにする。これも即効性があるけれど、長い目でみると主体的ポジティブな姿勢が育ちにくい。本当にしない脅しも意味がないだけでなく信頼関係を損なう。「もう二度とレストランでは食事しないからね」など。

「愛情」を形に表す。日本ではこちらほど身体的な触れ合いをしないけれど、ぎゅっと抱きしめたり、髪をなぜたり、頬にキスしたり、一日に何度かせめて別れるときや眠る前にすると子どもはトロンと落ち着く。言葉でも伝える。英語の「I love you」は本当に便利でどんな時にも使えてこれだけはいつも英語なのだけれど、日本語だと「愛してるよ」よりその場にあったその時々に温もりのある言葉をかけるという方が自然なのかもしれない。「あんなに難しかったのによく頑張ったね」「あなたならできるわよ」「大丈夫よ」などなど。愛情を表す言葉を書いた紙を、部屋の机においておいたり、弁当や鞄に入れてみたり、形で表していく。

時間をとる。忙しくても何とか調整して質の良いコミュニケーションの時間を少しでもとる。皆で座って顔を向き合わせながら食事をしたり、兄弟がいる場合も一人ずつ出かけてみたり、何も遮るものなく一人一人と向き合う時間を。


子どもは今此処に全存在で開いている、大人が禅の瞑想などで修行して今此処にあろうとする境地に自然に既にある。子どもと過ごすことを通して、全身全霊で向き合う祈りの姿勢や、今此処にある瞑想や、周りの状況に敏感になるマインドフルネスや、そういった感覚を磨かれていくと感じることがある。子どもの前にきちんといる、身体だけ言葉だけでなく全存在で。

心がけていきたい。

上にどんどん描いていける

2011-12-08 00:18:16 | 子育てノート
昔子育てのワークショップでインストラクターが親に一番必要なのは「自分を許すこと」と言っていた。その時はあまりピンとこなかったのだけれど、後でじわじわとああこういうことかなと思い出すことがあった。

「してしまった」としても許し切り替え新しく始める。ノンストップで続く育児。引きずっていると坂を転げ落ちるように悪循環に陥ってしまうことがある。その都度自身を許し、リラックスして次へ。子どもに謝るのもいい。

「言ってしまった言葉」「してしまったこと」、私も何度後で後悔してきたか。それでも子どもというのは大人よりもずっと「今」に生きている、大人が思う以上に「今どうであるか」が大きい。失敗を切り替え今良くしていく。今この瞬間に持ち直す。誤った線を引いてしまったのなら上からどんどん新しい線を引いていく。

子ども時代親の友人だった画家が、最初の下書きの線を間違えたとごしごし消す私に、「消す必要なんてないんだよ、上からどんどん描けばいいんだ」と言っていたのを思い出す。思い通りにいかない線の上から何度も何度も線を引き直すうちに、初め頭で描いていたのとはまた違った思いもよらない深みのある絵ができあがったりする。小学校低学年だった私、こんなやり方があったのかとものすごく驚いたのを覚えている。

線を消すことはできないけれど上に書いていくことはできる。
「手遅れ」と落ち込み諦めている間に、一本でも新しい線を引いていく。

あの幾つもの線が重なる絵にはっと息を呑んだ時を思い出しつつ、今日も子どもたちに向きあっていきたい。

カラカラと回る夜、実践の場

2011-12-08 00:10:33 | 子育てノート
ピースフルに、と頭では思っていても、限られた時間内にやるべきことが溢れその上理不尽な出来事が続くと、カラカラと音をたてて空回りし始めることもある。

一昨日もそんなカラカラと音の聞こえてきそうな日だった。夫出張。早朝弁当作り、上3人車で学校へ送り、自宅に戻るとぐずる次男をなだめながら三女のホームスクールに掃除洗濯料理、午後ハイウェイ飛ばして2人を遊び場に連れて行き、上の子達を学校に迎えに行きその足でピアノにスペイン語。待ち時間に忘れた月謝を取りに帰ったり下の子達と食料買出し、家に帰ると夜7時。こちらは小学生以下を子どもだけで家においておけないので夫がいないと夜でも他の子達を連れまわすことになる。車の中での軽食では足りないのでまた改めての夕飯。

夕飯の席次女が「1000日したら人は死ぬってアイラ(三女4歳)が言ってるけど本当?」と聞いてくる。普段なら「脱皮して新しく生まれ変わるということならあるのかもしれないね」とか何とかそんな理不尽な質問も楽しめたのだろうけれど、「もうすぐ8歳ならそんな計算ぐらいできるでしょ」とつい声を荒立てそうに。「一年は何日?じゃあ1000日は何年くらい?そう、皆3年で死んでたら世界は成り立たないよね」と無表情でやり過ごしながら、ああ私疲れてるなと認識。

夕飯の片付けをしつつ、ふざけたり喧嘩したりするのをたしなめながら上3人の宿題を見、長女の算数の先生とメールのやりとり。そして「その日最後の」次男のだだこねパジャマ選びを何とかやり過ごしたところ、話しかけてきていた長女が「ママ私の言ったこと聞いてない・・」とすね始める。眠るはずの時間を過ぎ床には玩具が散乱し、目の前には枕を抱えてはしゃぎ飛び回る子ども達・・・。

カラカラカラ・・・、かすかに音がする。(笑)

深呼吸。ついそこまで上がってきている「あんたらいいかげんにせい!」という怒りを吐息と共に流す。選択肢を目の前に並べて。感情が手綱を握りそうになったときは、まずは一歩下がり、選択肢があることを思い出す。

怒鳴り散らす代わりに長男の目の前に顔を近づけ「今何時?」と聞いてみる。私の引きつっていたのだろう表情も効果してか(笑)、ハッとして「よし皆寝るぞ」とリードし始める彼。

皆が歯を磨いて寝る体勢に入るのを見ながら、長男私の肩をポンポンと2回たたきにくる。すっと力がぬける。電気を消して感謝の言葉を言い合い。「失敗も色々あるけど、皆で良くしていこうね」と話す。

長男がふと「今度僕たちが喧嘩してるとことか怒ってるとことかビデオにとって見てみようか、笑えるのかもしれないね」などと言う。「本当だねえ、あんなことでってね」、少し前の渦中には笑えなかっただろうこんな長男の言葉にも、もうゆったりとそう答えられる自分がいる。怒り寸前に渦中の自分の映像を思い出し笑ってしまうのも手かもしれない。軽やかに次へいけるかも。こうして一連の出来事を書き出し少し離れて見れば確かに喜劇でもあるのだ。

日々のチャレンジがありがたい、頭で思っていることを身体に下ろしてくれる実践の場。そして何度も何度も失敗を繰り返し少しずつ学んでいく。一歩進んで二歩下がることもあるけれど。

微笑みながら眠りにつけたことに感謝。