靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

自信をつけるということ

2011-12-14 01:17:53 | 子育てノート
逆境でも、どんな状況でも立ち上がり進んでいける自信。周りの状況が思わしくなくとも立ち上がり進み続けるには、周りの評価や状況に拠らない自分自身を信じる必要がある。

一昔前のように「こうしておいたら大丈夫」というような確固とした方程式はもう崩れてきている。「狩猟の腕を磨けば大丈夫」「いい成績をとっていい大学に入れば大丈夫」「結婚すれば大丈夫」「大きな会社に入れば大丈夫」「お金を稼げば大丈夫」「子どもを作れば大丈夫」などなどの方程式。

先が見えず何が起こるのかわからない状況の中で、何を拠りどころにできるのか。これからはますます、どんな組織に属し、どんな肩書きを持ち、どんな状態に身をおき、などの周りの状況を拠りどころとするのでなく、「自分自身を信じる」ということが必要になってくるのじゃないだろうか。

不安定に移り変わり続ける周りの状況に拠らずとも、自身を信じられる、自身の内に確固とした安定した場所がある、そんな子ども達を育てていく必要があるのだと思っている。


自信を育てるには?今までに気づいたことや見聞きし試してみて「いい!」と思ったこと:

・自信は独りよがりで傲慢なものにもなり得る。常に教えていく必要があるのは、どんな「成果」「周りからの高い評価」「才能」「特技」も「自分自身のもの」ではないということ。まずは成果を出すためにどれほどの「当然でない奇跡」があったかを思い出させる。そして「才能」や「特技」は、それらを磨いて世の中に還元していくために与えられているのだと教えていく。傲慢にならせることなく自信を育てる

特技才能を見る。誰もがそれぞれギフトを与えられている。音楽スポーツ学問に長けている、といったものだけでなく、ユーモアがあり皆を笑わせられる、人の気持ちが分かる、人を率いる力がある、周りを明るい気持ちにする、親切な心、すぐに友達が作れる、寛大な心、などなど。親はそれらのギフトを伸ばしていくようサポートする。

還元する喜びを教える。特技才能を生かし周りの人々に何かしてあげる喜びを体験させる。老人ホームや福祉施設で演奏したり、悲しんでいる子を笑わせてあげたり、仲間に入りにくそうにしている子を入れてあげたり、病気の人に手紙を書いたり、寄付したり。自分の得意なことが周りに影響を与えるという喜びの体験。

潜在能力を信じる。誰の目にも留まらずとも、例え世間的な高い評価が得られずとも、親は最後の最後まで子どもの潜在能力可能性を信じる。

親にとって子どもの存在が重要だと感じさせる。。子どもの話を真剣に聞いたり、子どもの目を見て受け答えしたり、子どもにしっかりと向き合う時間をもつ。いざというとき必ずいてくれる、サポートしてくれると感じさせる。

親自身がモデル自身が何に拠っているのかを見る。周りの状況、組織肩書き見かけ体裁、そういったものにどっぷりと拠っていないか。ちょっとしたことに動揺しない態度を見せる。怪我をしても落ち着いて適格な手当て、何か問題が起こってもくよくよせずどう解決したらいいかと動いていく姿勢。人にすることを喜びとしている態度を見せる。周りの人に何かを作ってあげたり、手伝ってあげたりすることを喜んでしている様子を見せる。

子どもは預かりもの。子どもは親の自信を満たすためのものではない。子どもの成果も評価も特技も才能も与えられたもので、親自身のものではない。子どもは一時の間預けられたもの。親は、子どもが与えられたギフトを最大限開花できるようサポートするためにいる。

褒め方に気をつける。褒めすぎず褒めなさ過ぎず、結果でなく努力を褒める。「何て賢いの」「何て上手」より「たくさん努力してえらかったね」と。

困難を超えさせる。小さな頃からすぐに助けず自分で解決克服していく姿勢を身につけさせる。ふたが開かないならどうしたらいいか、こぼしてしまったのならどうしたらいいか、解決に向けて動いていけるよう教えていく。困難を取り除いてやるより、困難に向き合い越えていくのをサポートする。困難を一つ乗り越えるたびにまた自信もつく。


揺ぎ無い自信は常に移り変わる周りの状況に根を下ろしていては育たない。自身の内にしっかりと根を張っていくこと、日々心に留め子ども達に接していきたい。

溝にはまった車輪、ちょっと下がる

2011-12-14 01:07:24 | 出来事や雑感や (その他)
昨夜ピアノの後スペイン語クラスへ長男長女を降ろし、ハイウェイから降りた大通りを走っているときのこと。大雪で学校が休みになるほどの日、道路は氷と雪でガタガタ。6車線の道路にびっしりの車、皆ゆっく~り運転。

と、車輪が氷の溝にはまってしまう。アクセルを踏んでも全く空回り。左に右にハンドル切ってアクセル踏んでもウィンウィンと空回り。ど真ん中の車線、ハザードランプをつけ、さてどうしよう。

携帯は見事にバッテリー切れ。後ろでは三女と次男がスヤスヤと気持ちよさそうに眠り、息を呑んで見守っていた次女は「ママ!ここはど真ん中で邪魔になるから、ひとまず脇によってどうしたらいいか考えようよ!」と叫び始める。(笑)「溝から出られたら脇で何考えようか」と答えつつアクセル踏み続ける。

ウィ~ンウィ~ン、ゴムの焼ける匂い。赤信号になったとたん、右前の車から男性が降りて来てくれる。「あのね、ハンドル左右きっても何の意味もないからね、まっすぐにしてアクセル踏んで」、そう言いながら後ろから押してくれる。びくともしない。やがて青信号になり「あ、いかなきゃ、ハンドルまっすぐにするんだよ~、じゃあね~」と走って車に乗り込み行ってしまう。車を降り、後ろを見に行くと、私の車で動けなくなった後ろの車の運転席から携帯片手のお姉さんが笑顔で手を振っている・・・。笑顔で手を振り返しながら携帯を借りようと歩き始めたところ、横の車から「どうしたの?」と声。女性の運転する助手席に乗っていたその男性、車から降りながら「バックしてみた?」と。「えっ、バック?」、車に乗り込みギアをバックにしアクセルを踏み込む。その男性がボンネットを前から押してくれる。一発で動く。

「ああそっかあバックかあああ」と感心する私を横目に、涼しい顔で「Have a good night」とさっそうと去るその男性。かなり呆れ顔でもあった気がするけれど。(笑)

前に行くことしか考えてなかった。まっすぐがだめなら左前方右前方はどうだと必死で。ちょっと下がってみる、そんな手もあるんですね。

「MUGA」5号完成!

2011-12-14 00:00:03 | お知らせ
「MUGA」5号が完成。「MUGA」は毎月15日配信の無料メールマガジンです。興味のある方は是非こちらから登録どうぞ!

雪景色、感謝祭、ネイティブアメリカンの友人との思い出、についてなど書かせていただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

MUGA 第5号

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『例外者たちの詩』  那智タケシ

『季節の詩』     rita


◇自然科学

『潜態論入門』最終回 素粒子について   河野龍路


◇対話

「心身脱落体験」 那智タケシ×高橋ヒロヤス


◇評論

無我表現の爆発としてのビートルズ論  高橋ヒロヤス


◇エッセイ

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『雪は今も降り続いている』   長岡マチカ