靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

そのまぶしいものを、胸に

2011-12-17 02:41:37 | 私史
親から何を受け継いでいきたいか。父と母を思うとき、一番に浮かぶのが「思いやりの心」かもしれない。

小さな頃からいかに世界には苦しみ悲しむ人々がいるかを聞かされて育った。社会の構造の底辺で踏みにじられ虫けらのように消されていった人々の歴史を教えられて育った。その教えは徹底していて、子どもには強烈過ぎる面もあった。

父と母は言葉だけでなく、その教えを生きていた。常に何らかの市民政治運動の中におり、小さな頃からストライキやデモが生活の一部、労働組合を本業としつつ、友人達と生活協同組合を立ち上げ、福祉施設で働き。夜になると毛布をもってホームレスの人々を訪ね、毎週重度障害者の風呂介護を手伝いに出かけ、家の敷地を改築してカルチャーセンターを作り。「男女雇用機会均等法を」「北方領土を返せ」と掲げるシールの貼られたジープを運転する父は、パキスタンのゲリラに加わると遺書を書き一ヶ月ほどいなくなったこともある。近くにいると火傷しそうなほどのパッションを持続する父は、今も福島支援を含む様々な活動に忙しく、母は高齢者が働け集う場所をとカフェギャラリーを開いている。

家族という枠組みをはずした共同体のような環境に育ち、「普通の家庭」に憧れた時期もあった。常にコミュニティー他者優先に開かれた環境に、一体家族とは何なのだろうと考え込むこともあった。世界に対してもっと「普通の見方」ができないものかと悩んだ時期もあった。自分の子にはどう教えていこう、そう自分に問いかけてきた。まずは家族という枠組みから始め、内に温もりの桃源郷を築きつつ、小さな子には徐々に痛みや苦しみに触れさせていくのがいいのじゃないか、そんな風にも思う。

父母に育てられた歩みを振り返るとき、確かに、まぶしく輝く大きな宝物を差し出されている。それは「他者の痛みを思いやる気持ち」。例えトラウマになるような環境に育ったとしても、暗闇に見える中に、眩しく光るそんな宝石のようなものが散りばめられているのかもしれない。

受け継ぐ流れ、父母は祖父母、祖父母はその曽祖父母から受け継ぎ、脈々と続き今の自身を形作っている。内に脈々と息づく流れ。受け継いだ宝をしっかりと抱き、目の前の子ども達に向かっていきたい。10年会っていない父と母に心よりの感謝を込めて。


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