超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

何故 儒教仏教は悪を叩き潰せないか

2008-02-21 10:45:00 | Weblog
仏教儒教を、悪を叩き直せるように改造できるか。

東洋は何故悪を叩き潰せなかったか。

では何故、キリスト教把握を叩き潰しせか。

*。
悪を野放しにすることは、自然の摂理か。

そうではないことはいろいろの宗教を比較すれば分かる。

どの民族や宗教も、助け合いをする。

だが困っている人を助けることは、
人の義務だとする宗教はキリスト教だけだ。

*。
キリスト教の特徴は、
教祖が殺されていることだ。

教祖が社会の悪と戦って殺された。

これは悪をキリストが、引き取って、
天に持ち帰ったと言われることだ。

*。
では現世の悪は何だ。

キリストの持ち帰ったのは、
神の作った悪、即ち原罪。

現実の悪は、かくして、人の作った悪となった

*。
神の作った悪とは戦えない。
東洋に悪は神の摂理だ。

だから戦えない。
そこを利用して、悪がのさばり、
放置してしまう。

*。
現世は元々劣悪だった。

するといい気分に浸る人の生き方となる。

              *。

日本に西欧が入って、
西欧の劣悪が入り、
これを神の摂理として、
人類史上かってなかった極悪非道となった。

史上空前の極悪非道、
これが大日本帝国&自民党帝国。

*。
いま中国やインド、BRICsがこれをやりだした。

その手本が日本!

極悪非道を神の摂理とするのだ。

*。
これは理論的に言えば、
産業文明やいい気分を発振させることだ。

産業文明は神の摂理ではない。

悪を叩き潰す愛と正義が作ったことだ。

愛と正義があっても大問題。

ましてなければ日本のようになる。

*。
日本を反面教師にしてもらわないといけない。

BRICsに負帰還を掛ける。

神のいない世界に、神を問う。
愛と正義のない世界に、愛と正義を問う。

破れかぶれに、正法を問う。

             *。

無いものねだりだ。

だがこれが可能だ。

それはサイードが「晩年のスタイル」で示した。

だがこれはレイン法でもある。

*。
支離滅裂、
ここに人間の尊厳を精製結晶する。

アドルノはそれをベートーベンがやったことを示した。

円熟期の調和、
晩年のそのダイポール・モードは、不調和。

肉体が壊れていく晩年、
そこに現れる精神の純結晶。

支離滅裂の要素で作る、歓喜の歌。

*。
晩年のスタイル、
ばらばらになった要素、
そのばたばら関係のばらばら運動に出来る、まとまり。

プルゴジンのばらばら系に生まれるまとまり系だ。

*。
私の人生も、半世紀以上のばらばら期間、
遂にまとまってきた。
このブログは晩年のスタイルだ。

ベート-ベンの美しきばらばら期、
代表が第五交響曲、
ベート-ベン・アレルギーに罹った私は、
今でも聞けない。

              *。

晩年とは、ばらばらの後のまとまり。

すると環境問題、グローバリゼ-ション問題…、
世界はばらばらに崩壊。

ここに晩年のスタイルか。

人類は美しく輝いて終わる?

*。
そうならないためには、
安定を知ること、負帰還をすること!

答えは分かっているが、
それが出来ない。

これがばらばら力。

これに壊れないためにはまとまり力へ移行することだ。

*。
世界に安定、
恐れなき冒険。

世界の安定、
自由の精神。

世界を安定、
打ち負かされない力。

世界の安心立命、
神に栄光あれ。

戦後処理の革命

2008-02-21 08:25:48 | Weblog
朴裕河氏の「和解のために」によって、
この前後で戦後処理が変った。

戦後処理は、復讐であってはならない。

戦争被害国は、
復讐のための日本制裁であってはならない。

東アジア的面子の処理であってはならない。

*。
日本被害を反面教師として、
領土や資源などを、軍事力で処理をしてはならない。

これを確認する機会としての戦後処理だ。

            *。

ここで日本国民として言っておきたいことがある。

日本国政府は、日本国民の政府ではないことだ。

そうしてしまう日本国民の責任、
だがこの日本国民から略奪された、
日本政府を相手にする責任もある。

*。
日本国は、有権者の三割で、
六割の議席を取って作られた偽造国家だ。

法によって法治国家を破壊、
ここに自民党独裁がある。

これは日本国民の国家や政府ではない。

*。
靖国神社や教科書問題は、
この略奪された国家の問題であって、
日本人の問題ではない。

それを日本人の問題にされる悔しさ、
国民の責任ではあるが、
その事情を分かって貰いたい。

               *。

平和憲法は、
日本人の思想でもあり、
敵であったアメリカや連合軍に授かったものであり、
日本人が殺害した数千万人の霊でもある。

これはアジアが共有することであり
戦争放棄と戦力放棄は、
アジアの総意である。

EUは戦争放棄に動き出した。

その必要条件が死刑の廃しだ。

アジアも戦争放棄を日本憲法に謳った。

*。
日本憲法は世界の総意であり、
アジアは、諸問題の処理に軍事力は使わない。

これを平和憲法に誓った。

これが戦後処理だ。
これが「和解」だ。

和解は加害者と被害者双方の問題だ。
共通点は軍事力放棄だ。

ミサイル思考 社会適応から将来適合へ

2008-02-21 07:43:54 | Weblog
産業革命期の富裕と貧困、
これが大量生産大量消費の中流時代、
そして加害者階級と被害者階級へ。

これはダイポール運動だ。

この時法治国家は、権力犯罪へダイポール運動。

両者重なって、
国家ギャングのグローバリゼ-ションとなった。

*。
こういうことが分かって、
ダイポール運動に任せる時代は終わった。

最適化、これが地球社会原理となった。

それは負帰還化だ。

*。
これを阻害する国家ギャング、
国家時代から地球市民時代へ、
ダイポール運動が展開されている。

地球社会に世界市民は、
この動きのシンクロして、
将来を見て動かねばならない。

*。
現時点に適合するのでなく、
将来を見越して、
その会合地点に展開しなければならない。

ミサイル方式だ。

予測される、
或いは必要である将来に向けて、
現在を展開する。

*。
社会適応でなく、将来適合。

生き方も考え方も変った。

これがよき未来への意思方式だ。

神のプログラム 光源氏の孤独と絶望

2008-02-21 05:34:26 | Weblog
孤独と絶望、
無力感に喪失感、寂寥感に精神的飢餓感。

千年前の光源氏も、この世界を生きていた。

孤独と絶望は現代人の専売特許ではなかった。

*。
実存不安、
光源氏はその世界を生きていた。

当時の農業生活者にはこの問題はなかったかも知れない。
現代は殆どの人が実存不安を生きている。

*。
社会生活は人を偽自己と仮自己に切り裂いた。

光源氏はスーパーエリートとしての偽自己、
スーパーセレブとしての仮自己、
この演技を生きていた。

*。
限りなく女を求める。
現代のセックス産業に相当しようか。

限りなく成功と幸福を求める。
日本人には、限りなく官能か時代物か?

公的生活は、格闘場であったし、
私的生活も、紛争の世界だった。

              *。          

思い通りにならない社会&家庭生活、
これが孤独と絶望に対応するのだろう。

社会での孤独、家庭での絶望。
社会と家庭での孤独と絶望と言った方がいい。

この世界にぞくぞくする人、白けた人、飛び出した人。

源氏物語の第一編、第二編、第三篇に相当する。
そう解釈出来る。

*。
生きるとは何ぞや、
それを考える人を西欧の精神医学は神経症とする。

そういうことを考えないことを、英知とする東洋だ。

だが神経症を生きた文化が世界を支配した。

*。
孤独と絶望の生活に、豊かな快楽が収穫された。

ここに心をなくし自分と出会えない孤独な人々が大発生。

その人が快楽に逃げ込むので、
経済が大発展。

ますます孤独と絶望が追ってくる。

*。
孤独というファウスト博士、
絶望のフランケンシュタイン。

絶望の悪の華、孤独の死の舞踏。

この西欧の崩壊ならぬ、
人間崩壊に巨大経済が誕生。

*。
これが孤独と絶望を、
成功と幸福に変換、
ここの大GDP地獄が誕生した。

これは、源氏物語第一編に箱庭化されていた。

バリエーションはあっても本質は変わらないか。

ダイポール・モード理論で読むとこうなる。

*。
普通がいいんですよ、
光源氏をやってはいけませんよ。

紫式部はそういう。

               *。

善悪、真偽、美醜…を総合的に最適化した普通。

美しき普通に魂が光り輝く。

*。
古池や、蛙飛び込む、水の音。

孤独と絶望を生き抜くと、魂が響き渡る。

普通を美しく磨けば、魂が光り輝く。

これが最適、これ以上はない。

これが人の生き方の神のプログラム。

*。
西欧の客観的普遍妥当性、
日本文化の普通、永遠の普遍妥当性。

西欧と比較することで、
日本文化の本質が把握された。