ハワイには、理想郷がある。
「シャングリラ」
1925年、わずか13歳で1億ドルもの遺産を相続した、ドリス・デューク。
彼女がハワイ・カハラ地区に造った家は「シャングリラ」と名付けられている。
ドリスが新婚旅行で訪れた際に気に入ったイスラム芸術。
そして旅の最後に訪れたハワイの地をいたく気に入った彼女は、この場所に住まいの一つを作ることにした。
イスラム様式で建てられたこの家は、イスラムの芸術、美術品で埋め尽くされている。
そんなドリスの邸宅「シャングリラ」を見るツアー(ホノルル美術館主催)に参加した。
室内は、撮影禁止。
この写真は、中庭から、プールとゲストハウスを眺めた風景。
この時代に、可動式の飛び込み台と、海水のプール。
この風景を見るのに最適なリビングルームは、
こちらに面した壁が一面ガラス窓になっていて、それが電動で開閉するのだ。
イスラム様式のタイルが貼られた外壁。
ドリスが子供の頃から好きだったという黄色が、ハワイの光に鮮やかに映え、青い海によく似合っている。
室内の様子は写真が撮れないので、パンフレットで。
写真、右側に佇んでいるのが、ドリス本人。180センチを超える長身の痩せっぽちだった。
アメリカ人のつくった日本家屋に私達が違和感を感じるように、
イスラムの人から見たらたぶん「これはちがう」と思うだろう箇所もあちこちに見受けられるのだが、
ここは、「ドリスのシャングリラ」なのだ。
このツアーで最初に通された部屋は、高い天井近くに装飾された、赤と黄色のガラスの飾り窓。
薄暗い部屋の白壁に鮮やかな色あいだけが目を引く。
中庭に面した壁のタイルは細かな細工がされて、美しさにため息が出る。
タイルやモザイク、彫刻、家具調度品、ドリスのセンスにかなったものだけが集められた空間。
お金には糸目を付けず、欲しいものは何でも手に入る彼女だからこそ作れた家。
すべてが、豪華で、綺麗で、そして、
静かだった。
この静けさはなんだ?
切なさ、絶望すらかんじる、この静けさの秘密を知りたくて、この家の主、ドリス・デュークについての本をさがした。
みつけた本のタイトルは、
「ドリス」
サブタイトルに、「全米を嫉妬させた女相続人のスキャンダラスな生涯」とある。
(読みたい人がいたらお貸しします。連絡くださいね。)
本を読み終えて、その静けさがわかった気がした。
お金持ちであるがゆえの孤独。
もともと彼女は、この家のことをハワイ語で「ハレカプ」と呼んだ。
ハレは家、カプはタブー、禁止だ。
立入禁止の家。
だれにも邪魔されない、ドリスだけの家だ。
当時の夫に反対されて、「じゃあ、シャングリラにするわ」ということで、この名が付けられたそうだ。
その夫とも、ドリスは別れている。
「人を信じてはいけないよ。」という父親からの遺言ともいえる言葉を13歳で受け取ったドリスは、
その後の人生で、その言葉を守ったのか、破ったのか、
スキャンダラスに生きた80年ほどの人生の幕引きは、父親と同じ、殺されたに等しい最後だった。
お金持ちが必ずしも愛されず、孤独なわけじゃない。
ドリスだって、もっとちがう生き方ができただろうに。
「人を信じてはいけないよ」という言葉の呪縛。
人を信じて、騙されて一文無しになったとしても、ドリスはきっと生きていけたはずだ。
スポーツが好きで、音楽が好きで、農業や、自然環境への思いも強い彼女なら、
たとえお金がなくても、幸せに暮らせたんだろうと思う。
不器用で、自意識が強く、本心をさらけ出せないドリスを思うと、胸がしめつけられる思いがした。
理想郷は、彼女が死ぬまであちこち手を加えられ、増改築が行われたのだそうだ。
ついに彼女が見つけられなかった、シャングリラ・理想郷という名前のこの場所から見下ろす海は青く、
ローカルの少年たちが無邪気に波と遊んでいる。
今度は、こちら側に生まれてくるといいね。
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「シャングリラ」
1925年、わずか13歳で1億ドルもの遺産を相続した、ドリス・デューク。
彼女がハワイ・カハラ地区に造った家は「シャングリラ」と名付けられている。
ドリスが新婚旅行で訪れた際に気に入ったイスラム芸術。
そして旅の最後に訪れたハワイの地をいたく気に入った彼女は、この場所に住まいの一つを作ることにした。
イスラム様式で建てられたこの家は、イスラムの芸術、美術品で埋め尽くされている。
そんなドリスの邸宅「シャングリラ」を見るツアー(ホノルル美術館主催)に参加した。
室内は、撮影禁止。
この写真は、中庭から、プールとゲストハウスを眺めた風景。
この時代に、可動式の飛び込み台と、海水のプール。
この風景を見るのに最適なリビングルームは、
こちらに面した壁が一面ガラス窓になっていて、それが電動で開閉するのだ。
イスラム様式のタイルが貼られた外壁。
ドリスが子供の頃から好きだったという黄色が、ハワイの光に鮮やかに映え、青い海によく似合っている。
室内の様子は写真が撮れないので、パンフレットで。
写真、右側に佇んでいるのが、ドリス本人。180センチを超える長身の痩せっぽちだった。
アメリカ人のつくった日本家屋に私達が違和感を感じるように、
イスラムの人から見たらたぶん「これはちがう」と思うだろう箇所もあちこちに見受けられるのだが、
ここは、「ドリスのシャングリラ」なのだ。
このツアーで最初に通された部屋は、高い天井近くに装飾された、赤と黄色のガラスの飾り窓。
薄暗い部屋の白壁に鮮やかな色あいだけが目を引く。
中庭に面した壁のタイルは細かな細工がされて、美しさにため息が出る。
タイルやモザイク、彫刻、家具調度品、ドリスのセンスにかなったものだけが集められた空間。
お金には糸目を付けず、欲しいものは何でも手に入る彼女だからこそ作れた家。
すべてが、豪華で、綺麗で、そして、
静かだった。
この静けさはなんだ?
切なさ、絶望すらかんじる、この静けさの秘密を知りたくて、この家の主、ドリス・デュークについての本をさがした。
みつけた本のタイトルは、
「ドリス」
サブタイトルに、「全米を嫉妬させた女相続人のスキャンダラスな生涯」とある。
(読みたい人がいたらお貸しします。連絡くださいね。)
本を読み終えて、その静けさがわかった気がした。
お金持ちであるがゆえの孤独。
もともと彼女は、この家のことをハワイ語で「ハレカプ」と呼んだ。
ハレは家、カプはタブー、禁止だ。
立入禁止の家。
だれにも邪魔されない、ドリスだけの家だ。
当時の夫に反対されて、「じゃあ、シャングリラにするわ」ということで、この名が付けられたそうだ。
その夫とも、ドリスは別れている。
「人を信じてはいけないよ。」という父親からの遺言ともいえる言葉を13歳で受け取ったドリスは、
その後の人生で、その言葉を守ったのか、破ったのか、
スキャンダラスに生きた80年ほどの人生の幕引きは、父親と同じ、殺されたに等しい最後だった。
お金持ちが必ずしも愛されず、孤独なわけじゃない。
ドリスだって、もっとちがう生き方ができただろうに。
「人を信じてはいけないよ」という言葉の呪縛。
人を信じて、騙されて一文無しになったとしても、ドリスはきっと生きていけたはずだ。
スポーツが好きで、音楽が好きで、農業や、自然環境への思いも強い彼女なら、
たとえお金がなくても、幸せに暮らせたんだろうと思う。
不器用で、自意識が強く、本心をさらけ出せないドリスを思うと、胸がしめつけられる思いがした。
理想郷は、彼女が死ぬまであちこち手を加えられ、増改築が行われたのだそうだ。
ついに彼女が見つけられなかった、シャングリラ・理想郷という名前のこの場所から見下ろす海は青く、
ローカルの少年たちが無邪気に波と遊んでいる。
今度は、こちら側に生まれてくるといいね。
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本読んでからツアーに参加したらいいかもぉ~
本、今度、持ってくね。
この本、シャングリラについてはほんの少ししか触れてないのだけれど、
ドリスという人を知ってからシャングリラツアーに参加すると、単なるイスラム美術の館という見方とは一味違った見方ができると思いますよん。
シャングリラツアーの日本語のガイドさん、とても勉強されてる方で情熱を感じました。日本語ガイドさん付きがオススメです。(この方一人だけなのかな?年配の女性の方でした。)
今、遅ればせながら「1Q84 村上春樹」にどっぷりはまっているのでその次に読みたい~~
暇に任せて読書三昧??ひひ