鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<774> 55歳になってはみたものの

2022-06-09 18:27:19 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 ついに55歳になってしまった。おかげ様でなんとか生きてはいるものの、子供のころに「こんな大人には絶対になりたくない!」というような種類のおっさんになっているのがなんとも歯がゆい。「もっと素晴らしい人生を謳歌しているはずじゃないのか、お前の人生はその程度のものか!」と少年時代の私が問いかける。
 この「神の言葉を鼠が語る」サイトを見ていただいている方はどうなのだろう。子供の頃に夢描いた以上の人生を送っている方は何人いるのか。それとも私同様子供の頃の自分に問い詰められているのだろうか。

 子供の頃、山のかなたのさらに遥か向こうからやって来ると信じていたバラ色の人生は、いつまで経っても一向にやって来なかった。なんの確証もなく自分もきらびやかな人生を送れるとぼんやり思っていたのに、いざ人生という大海に漕ぎだしてみると思い通りにはいかず、周りの皆が自分を追い越していくような、そんな焦燥感と絶望に満ち溢れている。

 そう、人生は不公平と不条理に満ちているのだ。立ち止まろうにも「動く歩道」のように自分の足元がじわじわと前に向かって動いているので、相対的に見れば前に進んでいる。つまり年老いていく。
 行く先にあるのは濁流が流れ落ちる滝であり、誰しもが深い滝つぼへと落ちていくのみである。いつ滝つぼに飲み込まれるか自分では分からない。
 神様は(もし居るのであれば)なぜ周囲の人ばかり幸せにするのだろう。なぜ自分ばかりが上手く生きられないのだろう。もしかして自分の存在は彼の目が届かないほど隅に追いやられてしまっているのだろうか。だから神様は気づいてくれないのだろうか。そんな事をぼんやり考えながら暗い流れに押し流されていく。

 それでも「全体から見ればまだまだ自分はマシなほうだよね。」と自分に言い聞かせて布団に潜り込む。そして「もしかしたら明日は今日よりも少しは良いことがあるかも。」と眠りにつく。
 昔は「人生、3割悪いことが起きても7割が上手く切り抜けられたら良しとしよう。」なんて明るく考えていた。最近は「49%ダメでも51%が良ければまあまあ、勝ち越しだよね。」と控えめに考えるように。やがて「イチローだって4割打てなかったんだから7割ダメでも3割で満足しよう。」とさらにネガティブになるかも。

 自分の周り、至る所に転がっている酷く不公平で不条理なニュースを聞くことが多くなった昨今。(ネガティブなニュースがより耳に届くようになったのかも。)せめて自分と自分をとりまくほんのささやかな世界では「良くないことが起きないように」と願うばかりだ。

 あまり欲しがっても手のひらに載る以上の幸せは掴めない。

 皆様にあってもあまり欲張らず、手のひらに載るだけの幸せを掴んでほしい。なんだか暗くなってしまったなあ。

 じゃ、また次回。


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