俺にも一言、言わせろ

世の中、腹の立つことばかり。真面目に生きてる一人として、一言述べさせていただきます。連帯を求めて、孤立を恐れず。

新幹線を長崎まで通すのは是か非か?

2006-05-30 12:46:16 | Weblog
昨日、私は、新幹線を長崎に通す話を書きました。
すると、早速、コメントが入ってきました。
無駄という声と、長崎を活性するためには必要だと言う声です。

私達が、この種の問題を考えるとき、注意しなければならないことは、
純粋に、何のために必要か?
今より、何がどのようによくなるか? ということだと思います。

初めの頃は、みんな解らなかったから、東海道新幹線が開通したら、
次は山陽新幹線、そして、東北新幹線。次は新潟まで。
このあたりまでは、あまり、苦情は出てこなかったように思える。
それは、世間で新幹線の利便性を言うものだから、問題の小さな町の住民の声など聞く耳を持たなかった。

しかし、その時から、問題は起こっていた。
新幹線が停まる駅周辺はにぎわうが、そうでない町の衰退は目に見えるほど。
最大の理由は、在来線が無くなり、第3セクターの地方自治体が面倒見るものの、赤字路線はどうしても行き詰ってくる。

華やかな面と、陰の面である。
世の中に政治家ほど、陰の面を主張しない人はいない。
票につながるためには、話題性のあることばかり誇張していく。
その結果、陰の面が出てくると、途端に言い訳が入る。

今回、取り上げた、鹿島の桑原市長は立派だと思う。
陰の面をしっかりととらえていく政治家と思う。

話題を戻す。
我々日本は、戦後復興のため、あらゆるものを犠牲にし、発展の二文字に全てのエネルギーをかけてきた。
その犠牲とは、新空港を作るため、農民を強制移住や各種公害、教育の崩壊、出生率の低下、バブル崩壊による長期の不況などなど。

考えてみれば、この手法は全てアメリカ型。
これにより世界NO.2の大国になったのだから、文句は無いだろうと意気込む人もいる。
それでは、これからも同じ調子で世界NO.1を目指すのか?

私はいつも思う。
どこかで、ヨーロッパ型を取り入れるべきではなかろうか?
伝統を発展よりも優先させ、自然を大事に、人の生活を大事に。

今回の長崎の新幹線がまさにその点である。
福岡から長崎まで新幹線を引くことが本当に意味のある話か、ということを冷静に考えてみようよ。
すでに、空洞化された町、シャッター街になった町の人々の話を聞こう。
この検証がなされ、対策が打てるというなら、新幹線議論を始めてもいい。

ダムの問題も然り。
大きな施設を作るときには、余程時間と人をかけて検討しなければ、弊害が起こった後では取り返しがつかない。
その検討そのものが、街づくりではなかろうか。

急がなくてもいい。
街を壊さず、人の心をや生活を壊さないことのほうを優先させるべきではあるまいか。

急いでいるのは政治家と業者。
この連中に乗っかると痛い目に遭うだけ。

有明の海、ギロチンのため干潟が無くなり、泥水で海が汚れ、海苔が不作。魚が取れない。
みんな、功を焦る政治家の連中のせいである。

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1 コメント

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Unknown (通りすがり)
2006-05-30 21:28:23
そのとおりでございます。
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