俺にも一言、言わせろ

世の中、腹の立つことばかり。真面目に生きてる一人として、一言述べさせていただきます。連帯を求めて、孤立を恐れず。

言語道断

2007-05-24 12:23:55 | Weblog
一昨日のテレビニュースには本当にビックリした。
生ゴミの収集場所のビニールの中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
取り出してみると、へその緒のついたままの赤ん坊が生ゴミとして、ソコに捨てられていたのだ。

一体誰が?

そんな詮索など、私はどうでもいいと思った。
こんなことをする人間が一人いるということは、その可能性のある人間が、必ず存在し、近い将来、再び起こるだろうという予感がする。

こんな世の中になぜなってきたのか?
原因は一つや二つではない。
家庭の崩壊、モラルの崩壊、・・・。

世の中には色々な人間がいることはわかるが、今生んだ赤ん坊を生ゴミとして捨てることなどあるのだろうか?
母性は?
生命の尊さを感じないのか?

どうも、学校教育以前に家庭を持っている親の教育から始める必要があるのではないか?

卵がさきか?鶏が先か?
という疑問形式で言うと、
こと教育については、親が先だと思う。

すなわち、親の教育を優先させるべき。
社会と自分という意識を持たせるためには、自治会単位で社会奉仕活動を始めるべき。

花を植えてもいい。
ゴミ拾いでもいい。
防犯活動でも。

もう一度、自治会活動および子供会活動を活性化すべき。
基本は自治会。
どうも、今までの行政は、自治会を単に情報伝達活動にしか考えていなかったように思える。

最近、自治会の方々と会って話す機会があったが、彼らが口をそろえて言うのは、自治会には入りたくないという人、家族が多くなっているんです。

まさに、自治会の崩壊も始まっているようだ。

つくづく思う。
小泉は経済の破綻を食い止めた貢献は認めるが、お互い助け合おうという風潮を消し去った罪は大きいと思う。

自己責任という言葉で、全て、色々な責任を個人に転嫁してしまった。
それでいいのか?

助け合いこそ、社会を救う最良の方法なのに。
つぶれそうな商店を、みんなで助けてこそ、その社会は健全に生き続ける。

都会の片隅のアパートの一室で餓死状態で死んでいく人を救うことこそ、我々の社会が救われるのだ。

一人の成功者を作るより、一人の餓死者、孤独者を救うことを優先にすべき。
そんな精神を自治会を通して、みんなに自覚してもらう活動をしようよ。