幟を担いだ三太を追いかけてくる男がいた。 男は二十五・六歳の、純朴そうな百姓のようである。 三太に追いついた男は、「はあはあ」と喘ぎながら三太に縋(すが)りついた。
「お願いがあります、私を占ってください」
「何 そなたを占うのか それは何故のことじゃ」
「はい、私は役人に追われております」
「何の罪を犯した」
「それを占って頂きたいのです」
「そんなことは、お前が一番分かっていることではないか」
「それが、分からなくなったのです」
「奇妙な依頼じゃなあ」
「私の持ち金二分三朱と五十文あります、これで何とかお願いします」
「普通は、一両貰うところだが、半分の二分でまけておこうか」
「ありがとうございます」
新三郎が男に乗り移る。
「お前は、何も喋らなくてもよい、私が尋ねることをただ聞くだけでよい、よろしいかな」
「はい」
「其方の名は そうか、耕作と申すのだな」新三郎が三太に念を送って来たのだ。
「年齢は そうか、二十三歳であるか」
耕作は驚いた。 何も答えていないのに、この占い師は自分の心を完全に読み取っている。
「お前は、自分が何の罪を犯したか占えと申したが、お前は何も犯していないぞ、まったくの無罪無垢である」
耕作が喋ろうとするのを三太は更に遮った。
「お前が人殺しの罪で役人に追われているのは、お前の友達に陥れられたようだ」
耕作は黙ったままであったが、三太はすらすらと事の次第を言葉にしていった。
耕作は、借金をしていた金貸しのところへ、もう少し待って貰うように頼みに言った。 金貸しの家の戸をあけると、金貸しの男が倒れていたので「どうしました」と、抱き起そうとすると、男は胸を刺されていて血が噴き出し事切れていた。 驚いてその場を離れようとしたが、腰が抜けて立たれなかった。
そこへ入って来たのが、お前の友達の喜助だった。 喜助は耕作を助けようとして、耕作に駆け寄ったが、血で滑って俯せに倒れ、喜助の着物もべっとりと血が付いてしまった。 喜助は耕作に自訴を勧めたが、耕作は「俺が殺ったのではないと」逃げ出してしまった。
「耕作、こんな筋書であろう」
「はい、その通りでございます、何とよくお判りの占いの先生でしょう」
「そうであろう、それで、このわしにどうして欲しいのじゃ」
「いいえ、これで十分でございます、誰にも信じて貰えず、まして母にさえも疑われたままで、この首を斬られてしまうのが悔しかったのでございます」
「何、お母さんは自害したのか」
「それもお判りでございますか、その通り、世間様に合せる顔が無いと…」
「早まったことを…、耕作、悔しかろうなぁ」
「はい、でもあなた様に分かって貰えたことで、満足致しました、これから奉行所へ出向きます」
「そうか、首を刎ねられるとわかっていても、行くのか」
「はい、わたし独りで逃げおおせせるものではありません、あの世とやらに行って、息子を信じなかった母に小言のひとつも言ってやります」
「よくわかった、わしも乗り掛かった船だ、付いて行ってやろう」
「ありがとうございます、もし恐怖のあまりに私の腰が崩れそうになったら、蹴りあげてください」
奉行所に向けて暫く歩いたところで、耕作が立ち止まった。
「首を刎ねられに行くと分かっている奉行所へ行くのは、足が竦(すく)んで歩けません、ここでお侍さんに斬られて死にとうございます」
「耕作、わしがお前に付いていってやるのは、お前を助ける手筈がまだ残っているからだ、わしを信じて付いて参れ」
「私には、懸賞金など付いていませんよ」
「無礼なヤツだなぁ、わしは懸賞金も褒美も狙っていぬわ」
「済みません」
関所の役人では埒があかないので、三太は耕作を連れて奉行所に赴いた。
「私は上田藩士佐貫慶次郎の倅で、三太郎と申す、金貸し殺しの罪でお手配中の耕作を連れて罷り越しました」
門番も、この事件は知っていたのであろう。 直ぐに門を開き、三太と耕作を中に入れた。 門番は役人を呼び、何事か一言二言耳打ちをすると、役人は一旦奥に入り三人の役人を従えて再び出て来た。
「耕作に縄を打て」と、命令した。
「佐貫三太郎とやら、ご苦労であった、お手前は帰られても良いぞ」
「お待ちなさい、拙者はお奉行に会いたい」三太は高飛車にでた。
「お奉行に御用の向きは」
「そこなる耕作は無実でござる、金貸しを殺した犯人は他の者である」
「それはお奉行が裁断を下されること、そなたの意見など無用でござる」
「いや、拙者は証人とも為り得る者、いまここで拙者を追い払えば、お奉行は間違ったお裁きをされることになりますぞ」
「わかった、お奉行に伺って参る、暫くはそれへ」
三太は奉行の前に案内された。
「佐貫慶次郎殿のご子息と申されるか」
「はい、倅の三太郎でございます」
「父上は、ご健勝でござるかな」
「はい、相変わらず気持ちだけは若いのですが、体が付いて行かないので戸惑っております」
「ご隠居の松平兼重様もご健勝かな」
「はい、父が話や碁の相手をさせて戴いているようでございます」
「左様か、佐貫殿は、藩侯を護ってよく忠義を尽くされたと聞き申す」
「今も、それは貫いております」
「今日は、金貸し殺しの犯人、耕作を捕らえてくれたそうだな」
「いえ、それは違います、耕作の無罪を訴えに参ったのでございます」
耕作は返り血を浴びて着物にべっとり血が付いていたのが何よりの証拠ではないかと、奉行は自信げに言った。
「耕作が逃げて拙者の元へ来た時、血糊は膝の辺り一ヶ所に纏まって付いておりました」
「そんなことが、耕作が犯人でない証拠になるのか」
「金貸しは、心の臓を一突きで仕留められていたと訊き申した」
「その通りじゃ、たった一突きで事切れたようであった」
「しかも、刃物は抜き去られていたとか」
「よく調べておるのう、その通りじゃ」
「刃物で心の臓を突き、その刃物を抜き取れば、血が噴き出しましょう」
「左様」
「さすれば、犯人は全身に返り血を浴びている筈です」
「耕作は、血を拭いたのであろう」
「拙者の観察力を侮(あなど)られてはいけません、耕作の顔、頭、胸元には一切血糊を拭き取った跡はありませんでした」
「では、犯人が別人として、全身に返り血を浴びた者が通りに飛び出せば誰かが目撃したであろう、聞き込みをさせたがそのような者を見かけた者はいなかったぞ」
「お奉行殿、全身に血を浴びた男が一人居ましたぞ」
「誰じゃ わしはその様な者の存在を聞いていぬぞ」
「お忘れですか 耕作の後から金貸しの家にきて、耕作が金貸しを殺すところを目撃したと証言した男でござる」
「喜助は偶々出くわして…」
「いえ、偶然ではありません、明るい外から入ってきたので耕作は全身に飛び散った返り血は見逃したようですが、喜助は既に全身に血が付いていたのです」
「左様か、それで態(わざ)と血の海のなかで俯(うつぶせ)に倒(こ)けてみせたのじゃな」
「お判り頂けたようですね、滑って倒ける場合は血で足を滑らせ、尻餅を着くのが普通でしょう、それを前に倒れたのは解せません」
「分かった、喜助を捕らえて吐かせよう」
「耕作が無実であることは、拙者が保障します、お疑いがある場合は、上田城の佐貫慶次郎へ書状を賜れば、拙者が参上仕る」
「どうやら貴公のお蔭で、わしの裁きに汚点を残さずに済んだようだ」
「有り難う御座います、耕作は拙者がお預かり申すが、宜しいですか」
「貴公にお任せ致そう」
三太は、耕作を連れて揚々と奉行所を出た。
「直ぐに真犯人は捕まろう」
「喜助は私の友達でした、それが私に濡れ衣を着せようとしたなんて…」
「悔しかろう、だが皆が皆、その様な人間だと思うなよ」
「はい」
三太は、耕作を家まで送ってやった。 門口で女が手を合わせているのが見えた。 耕作は名を呼んで手を振った。
「お梅ちゃん」
呼ばれた女は、振り返り耕作を見て泣き叫んだ。
「おれが無実だと、このお侍さんが証明してくれたのだ」
女は、三太に向って何度もお辞儀をした。 どうやら、耕作の許嫁らしい。 耕作たちと別れて三太は街道を向けて歩き出した。
「三太さん、占い料はどうなった」 新三郎が見かねて言った。
その時、耕作が追いかけて来た。
「お侍さん、占い料をまだ払っていません」
「おお、そうか、そうか」
「お約束の二分でございます」
「いや、もっと負けてやろう、十文でよいぞ」
「えっ、二分でも少なくて申し訳ないと思っていますのに、たった十文ですか」
「良い、良い」
「三太さん、また十文ですか、そんな風では、のぼり旗の代金にも届きませんや」
「まだ、稼ぐのはこれからだ」
「稼ぐ気、有るのですか」
「木曽路は総て山の中である」とは、後の世に作られた小説の出だしであるが、ここ馬籠の宿は.峠の頂きにある。 京方面から曲りくねった十曲峠を登って来ると、美濃の国と信濃の国の境界辺りに位置する。
その峠で三太が休息をしていると、遥か十曲峠の途中の街道で四・五人の男たちに拉致される女が見えた。 どうやら強姦目的であるらしい。 峠から走って行っても、三太が行き着く頃には女は男たちの慰みものにされているだろう。
「あっしの出番ですね」
「新さん頼む、俺が行くまで時を稼いでくれ」
「ホイきた雲助」
「誰が雲助じゃ」
女は屈強な男たちに抑(おさ)え込まれて、必死にもがいていた。
「私は武士の妻じゃ、無礼は許しませんぞ」
「叫んでも誰も来ぬぞ、精一杯泣け、暴れろ」
最年長らしき男が女の体に馬乗りになった。
「止めなさい、舌を噛んで死にますぞ」
男は仲間に命令して、木を女に銜えさせて、木の両端に縄を結び女の首の後ろで結ばせた。
「よし、裸にしてしまえ」
男が、女の帯を解こうとしたとき、女は上に載った男の股間を下から拳で突き上げた。 男はが「うっ」と唸った隙に、右に倒すと男は横にスッ跳び、背中を岩に思い切り打ち付けた。 男は「うーん」と、唸りを上げて起き上がれなくなった。
女は立ち上がると、口枷(くちかせ)を自分で外し、啖呵を切った。
「やいやい、わしがお前らに大人しくやらせる女だと思うのか」
男たちは「ギョッ」とした。
「わしを誰だと思っている、明神のお龍とはわしのことだ」
「へ 明神のお龍」
「しらざぁ教えてやろう、てめえらみてぇなどスケベ野郎を、十七・八人ぶった斬った殺し屋お龍とはわしのことじゃい」
お龍は、年長男の腰から長ドスを抜くと、
「二度とこんなことが出来ねぇように、摩羅の先をぶった切ってやる」
女は凄んで見せると、男たちは後ずさりをして女を遠巻きにした。
「まず、この野郎から料理してやるぜ」
女は、背中を打って呻いている男に近付いて、長ドスで男の着物を肌蹴て、褌の紐を切った。
「何でぇ、縮こみやがって、切り応えがねえなあ」
「勘弁して下せぇ、もう決してしませんから…」
「馬鹿垂れ、わしがそんな寝言を信じるとおもうか」
男は仲間に助けを乞うたが、遠巻きの男共は前を抑えて震えているばかりである。
「勇気の有るヤツは、かかってきやがれ」
そこへ漸(ようや)く三太が駆け付けて来た。
「お侍さん、助けてください」 叫んだのは褌の紐を切られた男であった。
三太が目にしたのは、長ドス片手に片肌を脱がんばかりに気負った、怒りに燃えて般若を想像させるような顔をした女だった。
「おいおい、どうした、摩羅の先をぶった切るなんて、女の言う科白じゃないぞ」
女が、そこで「ふっ」と正気に戻った。 今まで暴れていたのは新三郎であったのだ。
「あらっ、わたくしどうしたのかしら…」
肌蹴ていた着物の裾を直し、緩んでいた帯を締め直し、楚々とした女に戻り三太の後ろに隠れた。
「お侍さん、お助けください、この男たちはわたくしを辱めようとしたので御座います」
「おお、そうか、恐かったであろう、拙者が来たからにはもう安心で御座る」
「はい、助かりました、辱めを受けたら、夫への申し訳に、ここで舌を噛んで死のうと思っておりました」
男たちは、呆れてものも言えないようであった。
「あの女は魔物だぞ」
「そうだ、あの若侍、取って喰われるかも知れん」
「今の内に逃げよう、逃げてお祓いをしてもらおう」
「兄貴、あそこで動けなくなっている親分をどうします」
「助けに行けば、先っぽをちょん切られてしまうぞ」
「おっぽりだして逃げよう」
男たちは囁き合って、這うほうの体で逃げようとした。 三太は逃がさじと追いかけて行った。
「こら、助けて貰ってお代も払わねぇのか、持ち金全部置いて行きやがれ」
「これ、三太さん、やり過ぎですよ、まるで三太さんが追剥ぎじゃありませんか」
新三郎が止めたが、とき既に遅く、三太の前に小判が投げ置かれ、男たちは逃げていった。
「ところで、子分達に逃げられたお前はどうする 起き上がって拙者に向かってくるか」
「いえ、どうぞこれでご勘弁を…」
懐から巾着を取り出して、三太の前に投げてよこした。
「うん、お前も運が良い男よな、大事な先っぽを切られずに済んで…」
親分も「わあっ」と、先に逃げた子分を追って駆け出していった。
「あやういところをお助けくださり、有り難うございました」
「信濃の国でご亭主殿がお待ちですか」
「はい、木曽福島の関所の役人見習いをしております」
「一人旅とは物騒でござるな」
「懸命に自分は大丈夫と思い込んでおりましたが、このようなことが有りましては、この先とても進めません」
「そうであろう、よし、そなたに勇気と守護霊を授けよう」
三太は新三郎に福島までついて行ってやってくれと頼んだ。
「新さん、鵜沼で落ち合おう」
「へい、合点でござんす」
「幽霊でも、若い女が良いらしい」
「あたぼうでがしょう」
「何それ、アタボウって」
「当たり前のベラボウめよ」
「ふーん」
「気の無い返事、妬いていなさるのか」
「かも」
第十六回 大事な先っぽ(終) -次回に続く- (原稿用紙20枚)
「第十七回 弟子は蛇男へ
「お願いがあります、私を占ってください」
「何 そなたを占うのか それは何故のことじゃ」
「はい、私は役人に追われております」
「何の罪を犯した」
「それを占って頂きたいのです」
「そんなことは、お前が一番分かっていることではないか」
「それが、分からなくなったのです」
「奇妙な依頼じゃなあ」
「私の持ち金二分三朱と五十文あります、これで何とかお願いします」
「普通は、一両貰うところだが、半分の二分でまけておこうか」
「ありがとうございます」
新三郎が男に乗り移る。
「お前は、何も喋らなくてもよい、私が尋ねることをただ聞くだけでよい、よろしいかな」
「はい」
「其方の名は そうか、耕作と申すのだな」新三郎が三太に念を送って来たのだ。
「年齢は そうか、二十三歳であるか」
耕作は驚いた。 何も答えていないのに、この占い師は自分の心を完全に読み取っている。
「お前は、自分が何の罪を犯したか占えと申したが、お前は何も犯していないぞ、まったくの無罪無垢である」
耕作が喋ろうとするのを三太は更に遮った。
「お前が人殺しの罪で役人に追われているのは、お前の友達に陥れられたようだ」
耕作は黙ったままであったが、三太はすらすらと事の次第を言葉にしていった。
耕作は、借金をしていた金貸しのところへ、もう少し待って貰うように頼みに言った。 金貸しの家の戸をあけると、金貸しの男が倒れていたので「どうしました」と、抱き起そうとすると、男は胸を刺されていて血が噴き出し事切れていた。 驚いてその場を離れようとしたが、腰が抜けて立たれなかった。
そこへ入って来たのが、お前の友達の喜助だった。 喜助は耕作を助けようとして、耕作に駆け寄ったが、血で滑って俯せに倒れ、喜助の着物もべっとりと血が付いてしまった。 喜助は耕作に自訴を勧めたが、耕作は「俺が殺ったのではないと」逃げ出してしまった。
「耕作、こんな筋書であろう」
「はい、その通りでございます、何とよくお判りの占いの先生でしょう」
「そうであろう、それで、このわしにどうして欲しいのじゃ」
「いいえ、これで十分でございます、誰にも信じて貰えず、まして母にさえも疑われたままで、この首を斬られてしまうのが悔しかったのでございます」
「何、お母さんは自害したのか」
「それもお判りでございますか、その通り、世間様に合せる顔が無いと…」
「早まったことを…、耕作、悔しかろうなぁ」
「はい、でもあなた様に分かって貰えたことで、満足致しました、これから奉行所へ出向きます」
「そうか、首を刎ねられるとわかっていても、行くのか」
「はい、わたし独りで逃げおおせせるものではありません、あの世とやらに行って、息子を信じなかった母に小言のひとつも言ってやります」
「よくわかった、わしも乗り掛かった船だ、付いて行ってやろう」
「ありがとうございます、もし恐怖のあまりに私の腰が崩れそうになったら、蹴りあげてください」
奉行所に向けて暫く歩いたところで、耕作が立ち止まった。
「首を刎ねられに行くと分かっている奉行所へ行くのは、足が竦(すく)んで歩けません、ここでお侍さんに斬られて死にとうございます」
「耕作、わしがお前に付いていってやるのは、お前を助ける手筈がまだ残っているからだ、わしを信じて付いて参れ」
「私には、懸賞金など付いていませんよ」
「無礼なヤツだなぁ、わしは懸賞金も褒美も狙っていぬわ」
「済みません」
関所の役人では埒があかないので、三太は耕作を連れて奉行所に赴いた。
「私は上田藩士佐貫慶次郎の倅で、三太郎と申す、金貸し殺しの罪でお手配中の耕作を連れて罷り越しました」
門番も、この事件は知っていたのであろう。 直ぐに門を開き、三太と耕作を中に入れた。 門番は役人を呼び、何事か一言二言耳打ちをすると、役人は一旦奥に入り三人の役人を従えて再び出て来た。
「耕作に縄を打て」と、命令した。
「佐貫三太郎とやら、ご苦労であった、お手前は帰られても良いぞ」
「お待ちなさい、拙者はお奉行に会いたい」三太は高飛車にでた。
「お奉行に御用の向きは」
「そこなる耕作は無実でござる、金貸しを殺した犯人は他の者である」
「それはお奉行が裁断を下されること、そなたの意見など無用でござる」
「いや、拙者は証人とも為り得る者、いまここで拙者を追い払えば、お奉行は間違ったお裁きをされることになりますぞ」
「わかった、お奉行に伺って参る、暫くはそれへ」
三太は奉行の前に案内された。
「佐貫慶次郎殿のご子息と申されるか」
「はい、倅の三太郎でございます」
「父上は、ご健勝でござるかな」
「はい、相変わらず気持ちだけは若いのですが、体が付いて行かないので戸惑っております」
「ご隠居の松平兼重様もご健勝かな」
「はい、父が話や碁の相手をさせて戴いているようでございます」
「左様か、佐貫殿は、藩侯を護ってよく忠義を尽くされたと聞き申す」
「今も、それは貫いております」
「今日は、金貸し殺しの犯人、耕作を捕らえてくれたそうだな」
「いえ、それは違います、耕作の無罪を訴えに参ったのでございます」
耕作は返り血を浴びて着物にべっとり血が付いていたのが何よりの証拠ではないかと、奉行は自信げに言った。
「耕作が逃げて拙者の元へ来た時、血糊は膝の辺り一ヶ所に纏まって付いておりました」
「そんなことが、耕作が犯人でない証拠になるのか」
「金貸しは、心の臓を一突きで仕留められていたと訊き申した」
「その通りじゃ、たった一突きで事切れたようであった」
「しかも、刃物は抜き去られていたとか」
「よく調べておるのう、その通りじゃ」
「刃物で心の臓を突き、その刃物を抜き取れば、血が噴き出しましょう」
「左様」
「さすれば、犯人は全身に返り血を浴びている筈です」
「耕作は、血を拭いたのであろう」
「拙者の観察力を侮(あなど)られてはいけません、耕作の顔、頭、胸元には一切血糊を拭き取った跡はありませんでした」
「では、犯人が別人として、全身に返り血を浴びた者が通りに飛び出せば誰かが目撃したであろう、聞き込みをさせたがそのような者を見かけた者はいなかったぞ」
「お奉行殿、全身に血を浴びた男が一人居ましたぞ」
「誰じゃ わしはその様な者の存在を聞いていぬぞ」
「お忘れですか 耕作の後から金貸しの家にきて、耕作が金貸しを殺すところを目撃したと証言した男でござる」
「喜助は偶々出くわして…」
「いえ、偶然ではありません、明るい外から入ってきたので耕作は全身に飛び散った返り血は見逃したようですが、喜助は既に全身に血が付いていたのです」
「左様か、それで態(わざ)と血の海のなかで俯(うつぶせ)に倒(こ)けてみせたのじゃな」
「お判り頂けたようですね、滑って倒ける場合は血で足を滑らせ、尻餅を着くのが普通でしょう、それを前に倒れたのは解せません」
「分かった、喜助を捕らえて吐かせよう」
「耕作が無実であることは、拙者が保障します、お疑いがある場合は、上田城の佐貫慶次郎へ書状を賜れば、拙者が参上仕る」
「どうやら貴公のお蔭で、わしの裁きに汚点を残さずに済んだようだ」
「有り難う御座います、耕作は拙者がお預かり申すが、宜しいですか」
「貴公にお任せ致そう」
三太は、耕作を連れて揚々と奉行所を出た。
「直ぐに真犯人は捕まろう」
「喜助は私の友達でした、それが私に濡れ衣を着せようとしたなんて…」
「悔しかろう、だが皆が皆、その様な人間だと思うなよ」
「はい」
三太は、耕作を家まで送ってやった。 門口で女が手を合わせているのが見えた。 耕作は名を呼んで手を振った。
「お梅ちゃん」
呼ばれた女は、振り返り耕作を見て泣き叫んだ。
「おれが無実だと、このお侍さんが証明してくれたのだ」
女は、三太に向って何度もお辞儀をした。 どうやら、耕作の許嫁らしい。 耕作たちと別れて三太は街道を向けて歩き出した。
「三太さん、占い料はどうなった」 新三郎が見かねて言った。
その時、耕作が追いかけて来た。
「お侍さん、占い料をまだ払っていません」
「おお、そうか、そうか」
「お約束の二分でございます」
「いや、もっと負けてやろう、十文でよいぞ」
「えっ、二分でも少なくて申し訳ないと思っていますのに、たった十文ですか」
「良い、良い」
「三太さん、また十文ですか、そんな風では、のぼり旗の代金にも届きませんや」
「まだ、稼ぐのはこれからだ」
「稼ぐ気、有るのですか」
「木曽路は総て山の中である」とは、後の世に作られた小説の出だしであるが、ここ馬籠の宿は.峠の頂きにある。 京方面から曲りくねった十曲峠を登って来ると、美濃の国と信濃の国の境界辺りに位置する。
その峠で三太が休息をしていると、遥か十曲峠の途中の街道で四・五人の男たちに拉致される女が見えた。 どうやら強姦目的であるらしい。 峠から走って行っても、三太が行き着く頃には女は男たちの慰みものにされているだろう。
「あっしの出番ですね」
「新さん頼む、俺が行くまで時を稼いでくれ」
「ホイきた雲助」
「誰が雲助じゃ」
女は屈強な男たちに抑(おさ)え込まれて、必死にもがいていた。
「私は武士の妻じゃ、無礼は許しませんぞ」
「叫んでも誰も来ぬぞ、精一杯泣け、暴れろ」
最年長らしき男が女の体に馬乗りになった。
「止めなさい、舌を噛んで死にますぞ」
男は仲間に命令して、木を女に銜えさせて、木の両端に縄を結び女の首の後ろで結ばせた。
「よし、裸にしてしまえ」
男が、女の帯を解こうとしたとき、女は上に載った男の股間を下から拳で突き上げた。 男はが「うっ」と唸った隙に、右に倒すと男は横にスッ跳び、背中を岩に思い切り打ち付けた。 男は「うーん」と、唸りを上げて起き上がれなくなった。
女は立ち上がると、口枷(くちかせ)を自分で外し、啖呵を切った。
「やいやい、わしがお前らに大人しくやらせる女だと思うのか」
男たちは「ギョッ」とした。
「わしを誰だと思っている、明神のお龍とはわしのことだ」
「へ 明神のお龍」
「しらざぁ教えてやろう、てめえらみてぇなどスケベ野郎を、十七・八人ぶった斬った殺し屋お龍とはわしのことじゃい」
お龍は、年長男の腰から長ドスを抜くと、
「二度とこんなことが出来ねぇように、摩羅の先をぶった切ってやる」
女は凄んで見せると、男たちは後ずさりをして女を遠巻きにした。
「まず、この野郎から料理してやるぜ」
女は、背中を打って呻いている男に近付いて、長ドスで男の着物を肌蹴て、褌の紐を切った。
「何でぇ、縮こみやがって、切り応えがねえなあ」
「勘弁して下せぇ、もう決してしませんから…」
「馬鹿垂れ、わしがそんな寝言を信じるとおもうか」
男は仲間に助けを乞うたが、遠巻きの男共は前を抑えて震えているばかりである。
「勇気の有るヤツは、かかってきやがれ」
そこへ漸(ようや)く三太が駆け付けて来た。
「お侍さん、助けてください」 叫んだのは褌の紐を切られた男であった。
三太が目にしたのは、長ドス片手に片肌を脱がんばかりに気負った、怒りに燃えて般若を想像させるような顔をした女だった。
「おいおい、どうした、摩羅の先をぶった切るなんて、女の言う科白じゃないぞ」
女が、そこで「ふっ」と正気に戻った。 今まで暴れていたのは新三郎であったのだ。
「あらっ、わたくしどうしたのかしら…」
肌蹴ていた着物の裾を直し、緩んでいた帯を締め直し、楚々とした女に戻り三太の後ろに隠れた。
「お侍さん、お助けください、この男たちはわたくしを辱めようとしたので御座います」
「おお、そうか、恐かったであろう、拙者が来たからにはもう安心で御座る」
「はい、助かりました、辱めを受けたら、夫への申し訳に、ここで舌を噛んで死のうと思っておりました」
男たちは、呆れてものも言えないようであった。
「あの女は魔物だぞ」
「そうだ、あの若侍、取って喰われるかも知れん」
「今の内に逃げよう、逃げてお祓いをしてもらおう」
「兄貴、あそこで動けなくなっている親分をどうします」
「助けに行けば、先っぽをちょん切られてしまうぞ」
「おっぽりだして逃げよう」
男たちは囁き合って、這うほうの体で逃げようとした。 三太は逃がさじと追いかけて行った。
「こら、助けて貰ってお代も払わねぇのか、持ち金全部置いて行きやがれ」
「これ、三太さん、やり過ぎですよ、まるで三太さんが追剥ぎじゃありませんか」
新三郎が止めたが、とき既に遅く、三太の前に小判が投げ置かれ、男たちは逃げていった。
「ところで、子分達に逃げられたお前はどうする 起き上がって拙者に向かってくるか」
「いえ、どうぞこれでご勘弁を…」
懐から巾着を取り出して、三太の前に投げてよこした。
「うん、お前も運が良い男よな、大事な先っぽを切られずに済んで…」
親分も「わあっ」と、先に逃げた子分を追って駆け出していった。
「あやういところをお助けくださり、有り難うございました」
「信濃の国でご亭主殿がお待ちですか」
「はい、木曽福島の関所の役人見習いをしております」
「一人旅とは物騒でござるな」
「懸命に自分は大丈夫と思い込んでおりましたが、このようなことが有りましては、この先とても進めません」
「そうであろう、よし、そなたに勇気と守護霊を授けよう」
三太は新三郎に福島までついて行ってやってくれと頼んだ。
「新さん、鵜沼で落ち合おう」
「へい、合点でござんす」
「幽霊でも、若い女が良いらしい」
「あたぼうでがしょう」
「何それ、アタボウって」
「当たり前のベラボウめよ」
「ふーん」
「気の無い返事、妬いていなさるのか」
「かも」
第十六回 大事な先っぽ(終) -次回に続く- (原稿用紙20枚)
「第十七回 弟子は蛇男へ