雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十七回 弟子は蛇男

2013-12-23 | 長編小説
 三太の一番弟子、美江寺の河童佐助は、佐貫の屋敷で師の帰りを待っていた。 幼少の頃の三太のように、佐貫慶次郎に剣を学び、慶次郎の妻小夜の空いた時間に読み書きを学んで過ごした。
   「これは平仮名と言い、昔は女文字とされていたものなのよ」
 小夜は、藁半紙にすらすらっと滑らかで美しい文字を書いて佐助に見せた。
   「私たちの言葉を、この四十七文字で表わすことが出来るの」
 佐助は、生まれてこの方、文字に接することはなかった。 思えば、両親も、叔父と叔母も、文字を読み書きしているところを見たことが無い。 佐助は、自分が文字を読み書きできるようになるのかと思えば、心逸(はや)る思いであった。
   「いろはと言うのは、ただ文字を並べただけのものではないの」
 小夜は、まず「いろは」の意味から佐助に教えた。
 色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為(うい)の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔(え)いもせず
   「匂いを漂わせている真っ盛りのお花も、やがて散ってしまうように、この世に住む誰もが無情、即ち移り変わって、死んでいくものです、現世の一切のごたごたを乗り越えて、浅はかな夢は見るまい、また夢に酔うこともしない、それが悟りなのです」
 佐助が理解出来ずに戸惑っているのを察して、今は仏教的な意味を持った歌だと言うことを覚えておくだけにしようと、小夜は流した。
 慶次郎が休養日のときは、庭に出て剣道を教わった。 これは三太が子供の頃に使っていた竹刀だと手渡されると、身震いをする程佐助は感動した。 佐助独りの時も、立木を相手に黄色い掛け声を響かせた。
   「その熱心さは、三太に負けず劣らず筋が良い」と、慶次郎に言わしめた程であった。
 一方、新三郎は女に憑いて木曽福島へと急いだ。 案の定、女の一人旅と見て、二人の男が声を掛けてきた。
   「お姉ちゃん、おいらたちと遊んでくれや」
   「私は急ぎ旅です、そんな暇はありません」
   「直ぐ終わるから、時間は取らせませんぜ」
   「真っ昼間に、女をどうするというのですか」
   「そんなもん、分かっているだろう」
   「私には守護霊が憑いています、私に近寄ると酷い目に遭いますよ」
 男たちは、腹を抱えて嘲笑(わら)った。
   「守護霊だと、面白い女だ、おいら余計に燃えてきたぜ」
 男の一人が女に抱き付いてきた。 その途端、男は力が抜けてその場に崩れ落ちた。
   「だから、言ったでしょう、私には守護霊が憑いていると」
 別の男が、崩れた男に駆け寄った。
   「兄貴、どうした、女に何をされたのだ」
 兄貴と呼ばれた男は口も利けない。
   「畜生っ、兄貴に何をした」
 女に向かって殴りかかってきた。 この男もまた、よたよたっと四・五歩後退りして崩れた。
   「ねっ、わかったでしょう、早く帰ってお祓いをしないと、悪霊に取り憑かれてしまいますよ」
 今度(いまわたり)の渡し(太田の渡し)は、木曽川の流れが速いため渡し舟が出せないことが多く、碓氷峠、木曾の架け橋と並び、中山道三難所のひとつであった。
 雨が続いた訳でもなく、水嵩が増えた様子も無いのに、三太は足止めを食ってしまった。
 江戸で散々強盗を働いた盗賊団が、東海道から中山道に逃げ込んだという噂だった。 三太は「ふっ」と、亥之吉の店を案じたが、亥之吉は強盗に負けるような軟な男では無い。 三太は心配を打ち消した。 川幅は二町(220m)程度である。 対岸(太田側)では、役人たちが何やら大騒ぎをしているようであった。
 そのとき、侍を一人乗せた一艘の舟が大田の渡しを離れた。 近付くにつれて、三太はその侍に見覚えがあることが分かった。 江戸は北町奉行所の与力長坂清三郎である。
   「長坂さん、どうされました、私です、三太ですよ」
 長坂は驚いていた。
   「三太さんとは、あの伊東松庵先生の所に居た、三太ちゃんですか」
 三太は父親殺しの罪で裁かれたが、時のお奉行の情けで、能見篤之進に預けられたことまでは清三郎は知っていた。 あの幼い三太が大きくなってこんな所で出逢うなんて、偶然も偶然、奇跡も奇跡であった。
   「医者を探しに来ました、太田で捕り物があって怪我人が出ました」
   「わたしも医者です、直ぐに連れて行ってください」
 これまた奇遇である。 聞けば、太田に医者が一人しか居ず、伏見にも居ると訊いてやってきたらしい。
   「三太さん、お願いします、舟に乗ってください」
 盗賊側の怪我人は傷が浅くて命には別状なかったが、役人の一人は刀の切っ先が肝の臓にまで届く深手を負っていた。
   「すぐ手術をしなければ命は助かりません」
 とは言ったものの、新三郎が居ない。 深手を負った若い役人は、既に弱っていて、息も絶え絶えである。 手術の痛みに耐え兼ねて死んでしまうだろう。 三太はそう思ったが、手を拱いている訳にはいかない。 焼酎と晒しを用意させ、熱湯を沸かさせ、手術の準備をした。
   「おーい、新さん早く戻って来ーい」
 三太は、心の中で叫び続けた。 一刻を争う事態なので、仕方なく傷口を焼酎で洗うと、その痛みに耐え兼ねて、怪我人の呼吸が止まりかけた。 この時、三太の叫びに新三郎の応答があった。
   「三太さん、こんな所にいたのですかい、鵜沼まで行ったのですが居なくて…」
   「あっ新さん、助かった、この怪我人の生霊を連れ出してくれ」
   「わかった」
 怪我人は、呻かなくなった。 呼吸も整い、心拍も落ち着いてきた。 すやすや眠っているようだ。
 三太は、まず男の足の牽を、糸一本分剥ぎ取り、焼酎に漬けて置いた、 肝の臓の傷口を縫うためだ。 熱湯消毒したメスで傷口を開き、肝の臓の傷口を探した。 幸いなことに、刀は肝の臓を突きぬけてはいなかった。
 傷口を牽で縫い合わせると出血が止まった。 絹糸の代わりに牽を使ったことで、再び傷口を開いて抜糸する必要がないと、三太は思い着いたのだ。 皮膚の傷口も縫い合わせたが、直ぐに生霊を戻さずに、暫く様子を見た。
   「もう大丈夫ですが、一時(いっとき=2時間)は、このまま眠らせておきましょう」
 江戸から盗賊を追ってきて、若い部下を死なせることになるかも知れぬと憔悴していた清三郎は、三太の言葉に安堵した。
 手術痕の抜糸の方法を、太田の漢方医に教えて、自分は「急ぎの旅なので先に発ちます」と長坂に告げた。 長坂は礼を言い、「また江戸で逢いましょう」と、別れた。
   「新さん、あの女は無事に福島まで行きましたか」
   「案の定、男二人に襲われようとしましたが、あっしが追い払いました」
   「新さん、ありがとう、この度の手術にも間に合って、死なせずに済みました」
   「銭にはならなかったのですかい」
   「あっ、請求するのを忘れていた」
   「十文も貰えずかい」
   「いいよ、与力の長坂さんは、知り合いだし」
   「あっ、長坂清三郎さんですかい、あっしも知っておりやす」

 鵜沼を抜けて、佐助の生まれた美江寺を抜けたあたりで、寺の境内が賑わっていた。 見世物小屋が出ている。 面白そうなので三太は寄り道してみた。 蛇男が見られるそうである。
   「蛇男だって、どんなのだろう」
 三太は興味津津である。
   「一人五十文は高いねえ」
 三太はそう言いながらも懐から巾着を取り出している。
   「さあ、入って見てやってください、親の因果が子に報い、生まれ落ちたるこの子の姿、可愛そうなはこの子でござい」
 意気のいい口上が、客の興味を引く。 聞いてみると、親は蛇を捕まえて漢方の薬種問屋に売る漁師であった。 その女房が子を孕み、生まれて来た男の子の顔を除く全身が蛇のように鱗に覆われていたのだと言う。
 木戸銭を払って中に入ってみると、小柄な男が檻の中でうねっている。目を澄ましてよく見ると、年の頃は十二・三歳の少年である。 なるほど、全身が鱗で覆われている。
   「新さん、ちょっと見て来てくださいよ」
   「へい、何かインチキ臭いですね」
 新三郎が戻ってきた。
   「三太さん、あの鱗は、入れ墨ですぜ」
   「えっ、あんな幼気(いたいけ)ない少年の全身に入れ墨を彫るなんて…」
 どれだけ痛かっただろうかと思うと、三太は言葉も出なかった。
   「あの子、家族に会いたいと泣いていますぜ」
   「何とか助けてやりたいが、あの入れ墨では世間は受け入れないだろう」
   「生涯、消すことは出来ねぇでしょう」
   「新さん、あの子と話がしたいが、何か良い方法は無いだろうか」
   「分かりました、まずあっしがあの子の友達になりやしょう」
 その夜、新三郎は三太をから抜け出して、見世物小屋に向かった。 蛇男の夢枕に立って新三郎は話しかけた。
   「わしは只今からお前の守護霊となる、お前の名は何というのか」
   「浩太です、守護霊って何ですか」
   「浩太を守る幽霊だ」
   「おいらは死ぬのですか」
   「いいや、お前をあの世に連れに来たのではない、助ける為に来たのだ」
 新三郎は、浩太の身の上を尋ねた。 父親が病に倒れ、浩太が懸命に働いたが、年貢米を納めることが出来ず、姉のお加代が女郎に売られることになった。 浩太は姉を庇って、自分は何でもするから、俺を売ってくれと父親に頼み込んだ。
 折しも、見世物小屋の興行師が少年を買いたいと人買いに依頼していたことから、浩太が売られることになった。 泣き叫ぶ姉を慰め、「俺は男だから、大丈夫だ」と、人買いに連れられて家を後にした。 痛がって泣く浩太を抑えつけて、全身に鱗の入れ墨を彫られ、浩太は蛇男として檻の中で生活をすることになった。
   「守護霊さま、おいらのこの入れ墨を消して、ここから逃がしてください」
   「入れ墨は、消すことが出来ないが、お前をここからに逃がすことはできる」
   「それなら、逃げても殺されるだけです」
   「入れ墨が有っても、勇気があれば生きていけるぞ」
   「俺には、そんな勇気はありません」
 世間さまに蛇男と知れると、少年は石を投げられ、殺されて漢方薬にされると興行主に教え込まれているのだと言った。
   「それはわしが護り抜いてやる、心配するな」
 朝が来て、浩太は何時ものように檻の中で目を覚まし、「何だ、夢だったのか」と、呟いた。 その日、見世物小屋に十数人の役人が来た。 子供を買って虐待し、体を傷つけて見世物にしていると訴えがあったのだ。 頭頂を丸く剃られ、牛の肩甲骨で作った皿を縫いつけられ、口に柘植の嘴を埋め込まれ、海亀の甲羅を背負わされた河童男や、幼い頃から首に輪を入れて徐々に首を長くした首長女など、惨(むご)たらしく見世物にされた子供たちが見付けられた。
 人身売買は女性を郭に売ることは認められていたものの、子供を見世物にするために虐待する行為は禁じられていた。
 興行主とその関係者は摘発されてお縄になり、見世物小屋は取り潰されることになった。 心と体を傷つけられた子供たちは、上方の診療院に収容されて、年月をかけて治療されるようである。 緒方梅庵こと佐貫三太郎が西洋医学の指導に当たり、三太と共に池田の亥之吉の手術したあの診療院である。
 次の夜、浩太は旅籠のふかふかの布団で寝ることになった。 三太は浩太の元を訪れ、しばらく話をした。
   「浩太、明日お前の家族に会いにいこう」
   「あなたは、誰ですか」
   「昨夜、守護霊の夢を見たであろう」
   「はい、見ました、なぜそれを知っているのですか」
   「あの守護霊は、俺が送り込んだのだよ」
   「あなたは、霊能者ですか」
   「そうだよ、それに医者でもある」
   「それで、おいらのことを知っているのですか」
   「お姉さんを庇って浩太が売られたことも昨夜話してくれただろ」
   「はい、本当だ、本物の霊能者だ」
   「浩太、家に戻っても強く生きていけるか」
   「わかりません、多分村の人達に入れ墨を見られると、村を追い出されるでしょう」
   「そうだろうなあ、親に会った後俺の弟子になって、将来医者にならないか」
   「本当ですか おいらでも医者になれますか」
   「成れるとも、この先生が、じっくり教え込んでやる」
   「はい」
  第十七回 弟子は蛇男(終) -次回に続く- (原稿用紙17枚)
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