雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十六回 辰吉、戻り旅

2015-07-10 | 長編小説
 三太は奉公する相模屋長兵衛の店に、荷車を牽いて戻って来た。
   「旦那様、ただいま戻りました」
   「ああ、三太か、ご苦労やった」
   「へえ、銀一千両、師匠の亥之吉旦那が取り返してくれました」
   「そうか、良かった、良かった、そのうちの二百両は、お前の暖簾分け資金や」
 三太自体は、相模屋に奉公した期間は短く、暖簾分けをするには十年は早いのだが、長兵衛は三太の兄、定吉が奉公をしてくれた期間を加えて考えていたのだ。定吉は、無実の罪で処刑になったのだが、無実を信じてやれなかった自分の落度も払拭しきれないものであった。

 相模屋長兵衛は、道修町の雑貨商福島屋の暖簾を潜った。
   「お邪魔しますのやが、亥之吉さんはおいでになりますかな?」
 丁度、買い物に出掛けようとしていた亥之吉の女房お絹が店先に出てきた。
   「まあ、相模屋の旦那さま、この度はとんでもない被害に遭われたそうで、心を痛めていたところです」
   「おや、亥之吉さんからその後のことは聞いていなさらんかな?」
   「まだ続きがおますのか?」
   「被害に遭ったお金を、亥之吉さんが取り返してくれましたのや」
   「そうですか、それは宜しゅうございました、うちの人、何も教えてくれへんのですよ」
   「辰吉坊っちゃんも、活躍してくれたそうです」
   「まあ、あの風来坊が?」
   「いやいや、辰吉坊っちゃんの武勇伝は、いろいろ三太から聞いておりまっせ」
   「済みません、三太に面倒みて貰ったようで」
   「ところで、ご在宅かな?」
   「それが、自分の父親くらいのお人を、国まで送って行くのだと今朝出立しました」
   「お父っつぁんの亥之吉さんは?」
   「同じく風来坊で、朝からどこへいったのやら…」
   「そうですか、それでは出直してきます」
   「どのようなご用件でしたか」
   「お礼を言おうと思いまして」
   「それでしたら、態々足を運んで貰わんかて、わたいから伝えておきます」
   「それと、この度三太に暖簾分けしようかと思い立ちまして、よい知恵がありましたら三太に貸してやってください」
   「喜んで張り切ってますやろな、三太はうちにも奉公して貰ったのやから、知恵ばかりではなく、援助もさせて貰いまっせ」
   「いやいや、三太ばかりでなく、兄の定吉の分もありますので、どうぞお心使いくださいませんように」


 それから数日後、伊勢の国は関の弥太八と江戸の辰吉は、小万の住処を訪ねていが、建物は荒れ果てて、人が済んでいる気配はなかった。
   「そうか、姐さんは京の飯盛旅籠で働かせて貰い、弥太八のことを知っている客を探すのだと言っていたが、まだ関には帰っていなかったのだ」
   「飯盛旅籠かい?」
   「嫌なのか、汚らわしいと思っているのか?」
   「いや、そんなに辛い思いをしていたのかと思ったら、泣けてきやがったのさ」

 二人は、京の飯盛旅籠を尋ねて歩いた。
   「伊勢は関の出で、小万という女を探しているのだが」
   「さあ? うちには居てはらしませんなぁ」
   「そうですか、お手をお止めしまして申し訳ありませんでした」

 二人で何軒か回って、漸く行き当たった。
   「へえ、関の小万さんなら、うちにいてはります」
   「よかった、すぐに会わせて貰えますか」
   「へえ、呼んできます、待っておくんなはれや」
 弥太八が隠れた。悪戯ではなく、合わす顔がなかったのだろう。
   「おや、江戸の辰吉さんではありませんか、弥太八が見つかりましたか」
   「それが…」
 小万の顔が曇った。
   「死んでいたのですか、それなら遺品の一つでも有りましたか?」
   「それが…」
   「何だい、焦れったい、あったのかい、無かったのかい」
 小万は取り乱したが、気付いて「ごめん」と、一言。俯いて涙を零した。
   「それが…」
   「もういいよ、おしえに来てくれて有難うね、辰吉さん」
 その時、入り口の外から男の声がした。
   「小万、ごめんよ、俺だ、弥太八だ」
 小万は、呆然としている。何が起こっているのか、思考が停止してしまったようだ。
   「放っといてごめんよ、俺はまた小万が仕合せに暮らしているとばかり思っていたのだ」
 小万は弥太八の胸に縋って、辺り構わずに泣いた。暫く泣いて、漸く気付いて泣くのを止め、弥太八から離れた。
   「生きていて良かった、逢いに来てくれてありがとうよ、これでもう思い残すことも無い、あたしゃ一人で関へ帰るよ」
   「小万、待ってくれ、小万の家は荒れ果てて、もう人が住める状態ではなかったぜ」
   「そうかい、見に行ってくれたのかい、済まなかったねぇ、いいのだよ、女一人くらい、筵で囲ってでも生きていけるさ」
   「小万、俺は今堅気になって、大坂の酒店で働いているのだ、何れは俺も旦那と呼ばれるような男になる、お店の人は小万を連れてきて祝言を挙げろと言ってくれたのだ」
   「だめだよ、今のわたいは弥太八さんと別れた時のわたいではない、体の芯から汚れちまっているよ」
   「それがどうした、汚れは俺が綺麗に洗ってやる」
   「洗って綺麗になるなら、苦労はしないよ、洗っても、洗っても落ちない汚れだってあるのさ」
 小万は、「ちょっと待っておくれ」と、奥に入ると、紙入れを持って出てきた。
   「ここに小判で十二両ある、お前さんが訪ねて来て、落ちぶれていたら渡してやろう、もし死んでいたら遺品を持って帰り、お墓のひとつも立ててやろうと貯めておいたのさ」
 小万は、弥太八の懐へ紙入れをねじ込んだ。
   「これは、お前が店を持ったときの祝儀だよ、看板代の足(た)しにでもしておくれ」
 小万はそれだけ言うと、袂で涙を拭きながら奥へ消えた。
   「小万、待ってくれ、俺はお前を迎えに来たのだ」
 小万と入れ替わりに、宿の女将が出てきた。
   「ごめんなさいよ、裏口から逃げちまった、あんな我儘な女ではなかったのだけどね、代わりにもっと若い娘にお相手をさせるので、堪忍してくださいな」
   「要らない、俺は小万の亭主なのだ、遊びに来たのではない」
 弥太八と辰吉は旅籠を飛び出して裏口に回ったが、どこに隠れたのか、小万の姿は無かった。
   「きっと、関へ戻る積りだろう、俺も関へ行く、なに俺が先回りすることになっても、あのボロ家で隠れて待っていてやるさ、小万は筵で囲ってでも生きていけると言ったのだ、必ずあの家に戻ってくる」
 弥太八は、辰吉に頭を下げた。
   「俺は喧嘩の上、人を死なせてしまったので関には住めないのだ、小万を見付けたら大坂へもどる、何時になるかわからないので、俺より先に大坂へ戻ったら、店の番頭さんに伝えてくれ」
   「そうか、わかった、俺が全部用を終えたら、帰りに関へ覗きにいきますぜ、もしその時弥太八さんがやくざに戻っていたら、俺はお前さんを番所に突き出してやる、いいか覚えておけよ」
   「俺がまだ小万を掴まえられていなかったら?」
   「俺も弥太八さんと共に、小万姐さんを探すさ」
 辰吉は、親父の店のことなど眼中になく、本気で探す積りである。
   「いつか俺が弥太八さんと小万さんの祝言を挙げてやる」
   「そうかい、有難う、何だか倅に言われているようで、泣けてくるよ」
   「弥太八さん、涙脆いのだねぇ」
   「歳の所為でしょうかねぇ」

 もう一度弥太八に付いて関へ行くという辰吉だったが、「俺は大丈夫だ」と言う弥太八と別れて、辰吉は信州に向かった。
   「あいつ、小万さんに貰った金を、博打で使い果たすのではないか」
 辰吉は、ちょっと心配であった。小万姐さんが命を賭けて作った金だ。もしそんなことになっていたら、あいつの両腕の骨を折って、博打が出来ないようにしてやると、真剣に考えている辰吉である。

 それから何日か経って、辰吉は信州の緒方三太郎の診療院の門を叩いた。
   「あ、江戸の辰吉さんでしたか」
 出てきたのは、若い医者の三四郎であった。
   「才太郎の様子を見に来ました」
   「才太郎は元気ですよ、もう殆ど治っているので、よく我らの手伝いをしてくれます」
   「よかった、そろそろ大坂へ連れていけますか?」
   「えっ、大坂へ連れて行くのですか?」
   「はい、俺の親父の店で商いを憶えさせ、立派な商人にしてやります」
   「本人がそう言ったのですか?」
   「はい、才太郎もその積りでいるでしょう」
 三四郎医師は、才太郎を呼び寄せた。
   「江戸の辰吉さんだ、おいらの命を助けてくれて、有難うございました、もう大丈夫です」
   「そうかい、それは良かったなぁ、もうすぐ、大坂へ行けるぞ」
   「大坂へ行くのですか?」
   「当たり前だろう、大坂へ行って立派な商人になるのだ」
   「いえ、おいらはここに居て、三四郎先生や、佐助先生のような立派な医者になります」
   「おいおい、才太郎は俺を裏切るのか?」
   「そんな、裏切るなんて…」
 三四郎が才太郎に口添えした。
   「才太郎はここへ来て、医者の素晴らしさを知ったのだそうです」
   「だから?」
   「痛い思いをして、苦しんでここへ来たとたんに、医者の治療で痛みも苦しみも和らぎ、感動したのだそうです」
   「それで、自分も医者になりたいと…」
   「はい」才太郎は、きっぱりと返事した。
   「そうか、本人がその気なら仕方がないな」
   「許してやってくれますか?」三四郎が済まなさそうに言った。
   「許すも何も、本人の意志を尊重するしかありませんよ」
   「有難う御座います、才太郎も謝りなさい」
   「申し訳ありません」
   「あはは、ここへ預けたのは間違いだったかな」
   「はい、間違いでした」
 才太郎が余計なことを言うので、三四郎が咎めた。
   「これっ、何てことを言うのです」
   「いいのですよ、才太郎が仕合せになれたらそれで俺は…」

 この後、辰吉は三太郎先生に挨拶をして帰ろうと思ったが、生憎三太郎先生は上田城に出掛けていて留守だと言う。
   「今夜はここに泊まって、先生に会って行かれてはどうです」
 と、止める三四郎に、
   「この後、卯之吉おじさんと、小諸藩士の山村堅太郎さんの弟、斗真さんに会って大坂へ帰ります」
 辰吉はそう言って、診療院を辞した。

斗真の店は、小さいながら繁盛している様子だった。
   「若旦那、また信州へ来たのですか」
   「そんな、煩そうに言わないでよ」
   「そうじゃなくて、旦那様は大坂で奔走している最中でしょ、若旦那もお父さんを助けてあげなきゃいけません」
   「親父は、俺なんか宛にしていない」
   「そんなことあるものですか、猫の手も借りたいと思っていらっしゃいますよ」
   「俺は猫か?」

 そんな遣り取りをしていると、奥から卯之吉の妹お宇佐が出てきた。
   「まあ、辰吉さん、また来たの」
   「三太郎先生のところへ来たから、ご機嫌伺いに寄ったのに、何だよ、二人でまたまたと」
   「あら、ごめん、そんな積りで言ったのではないのよ」
   「じゃあ、どんな積りで言ったの」
   「浪速と小諸は近くないのよ、そう行ったり来たりしていては、いくら若い辰吉さんでも、疲れが溜まるでしょうに」
   「俺は、爺じゃないよ」
   「そう?」
   「それより何だい、夫がお勤めをしている時間に、弟と浮気なんかして」
   「まっ、人聞きの悪い、夫の山村堅太郎に頼まれて、お手伝いに来ているのよ」

 この前、辰吉が小諸の山村の屋敷に来た時に見かけた、堅太郎の長男が出てきて、辰吉に挨拶をした。
   「山村堅太郎の長男堅一郎です」
   「斗真さんがもと働いてくれていた江戸は京橋銀座の福島屋亥之吉の長男、辰吉といいます、今後ちょいちょい顔を出しますので、宜しくお頼み申します」
   「おじさんが言っていました、辰吉さんは棒術の達人だそうですね」
   「いや、それ程でも…、あります」
 斗真が思い出したように、辰吉に尋ねた。
   「三太さんはお元気ですか?」
   「滅茶苦茶元気です、三太兄ぃは、俺の棒術の師匠です」辰吉は、堅一郎に言った。
   「博打に強くて、お化けが怖い、チビ三太さんでしょ」
   「ははは、斗真さんが教えたのですね」
   「いえ、父です」

 山村の屋敷に泊まって行けというお宇佐の誘いを断り、辰吉は中山道にとって返し、三太の許嫁、彦根のお蔦ちゃんに会って様子伺いをし、東海道に出ると江戸方面に向かい、関の小万の住処を覗いて大坂へ戻るつもりである。
   「旅は、これっきりにしようか」
 ぽつりと、幽霊の中乗り新三に話しかける辰吉であった。
   『さあ、どうかな?』

  「第二十六回 辰吉、戻り旅   -続く-  (原稿用紙17枚)

   「第二十七回 執筆中」

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