ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ミニマリストをめざそう!(6)「365日のシンプルライフ」

2021-05-16 12:17:36 | 片付け

フィンランドのドキュメンタリー映画、

「365日のシンプルライフ」(ペトリ・ルーッカイネン監督 フィンランド 2013年)

が面白かったので紹介したいと思います。

この映画は「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士著 ワニブックス)に紹介されていたものです。

人間にはどれくらいのモノが必要なのか・・それを実際に身をもって確かめたドキュメンタリーです。

冒頭で主人公の青年ペトリ(26歳)は素っ裸で雪の降る街を走っていきます。

途中、ゴミ箱の中から新聞紙を拾って前を隠しながら。

けっこう衝撃的なスタートです。

彼は一体何をしているのか?

彼女に振られてからというもの、ペトリはモノを買い集めることに執着していましたが、これではいかんと一念発起。

① 持ち物をすべて倉庫に預ける(広さは10㎡、自宅から離れている)
② 倉庫から持ってくるものは一日一個。
③ 一年間続ける。
④ 一年間何も買わない。

というルールを作り、このルールに沿って暮らし始めます。その一年間の記録です。

1日目、

彼は倉庫からコートを持ってきます。

何もない部屋の床にコートにくるまって眠りにつくペトリ。

冬のヘルシンキ。外は雪。

翌日は、深夜0時に倉庫に行き、二日分のモノを持ってきます。

ブランケットと靴。

翌々日も深夜0時に倉庫に行き、

シャツ、ネックウォーマー、ズボンを持ってきて、

パンツも靴下も履かないまま職場に行きます。

そんな風にして毎日一個ずつ倉庫からモノを取り出していきますが、

10日目になると、生活には7個で十分だと思うようになります。

毎日一個ずつ増やす必要はない、何もいらない。一年間靴下なしでもかまわない・・

そして、しばらく倉庫に行かなかった。

18日目、靴下、Tシャツ、下着、帽子、タオル、自転車・・

こうしてペトリは自分で作ったルールを厳格に守り、毎日一個ずつ倉庫からモノを持ちだして暮らし続けるのです。

食糧は弟が差し入れしてくれるし、いろんなことを手伝ってくれる友人たちもいるので、すべて彼一人で、というわけでもなさそうだけど。

時々登場するペトリのおばあちゃんがいい。

「持っているモノの多さで幸せは計れない。
 人生はモノでできてない。
 別の何かが必要だよ・・」

4か月間携帯電話なし。窓にはカーテンすらない。

半年たって、ペトリが思ったのは、

モノは100個でいい。釣り道具、サングラス、レコードもいらない。

大切だと思えるモノはない・・

そして、ついに、ペトリは365日のミニマルな生活を完遂します。

冒頭素っ裸で何も持っていなかったペトリのそばには、新しい恋人の姿が・・

ペトリは言います。

「所有とは責任であり、モノは重荷になる。
 どんな重荷を背負うか、僕は自分で決める。
 祖母の言葉は正しいと思う。
 人生はモノでできてない。」

この映画、様々な人に影響を与えていて、

冒頭で書いた本「ぼくたちに、もうモノはいらない。」もそうだし、

最近YouTubeで人気のミニマリストTakeru(タケル)氏の本、

「月10万円でより豊かに暮らすミニマリスト整理術」にもタケル氏が同じ実験をしたことが書いてありました。

この映画に影響されて、3か月新居を借りて、毎日一個旧宅から持ってくる、という生活を試みたそうです。

その結果、生きるのに必要なものが50~100個。

生活を楽しむためにはあともう100個もあれば十分、とのことです。

私たちはつくづくモノを持ちすぎているなあ・・

それにしても、

一年間の間に、ペトリは、自転車を盗まれ、洗濯機が壊れ、恋人の冷蔵庫も壊れ・・

と様々な困難に見舞われます。日本ではこんなに頻繁にモノが壊れたり盗まれたりしないよね。日本てつくづく安全安心の国だなあと思ったことです。

これからも、随時お片付け本&映画などを紹介していきたいと思いますが、

最近「片づけ」はトレンドらしく、本屋には片づけ本のコーナーができていて、片づけ本が山ほど出版されています。

いろんな人がいろんな形でノウハウを公開していますが、

一番大事なのは、何のために片づけるのか、目標をどこに置くか、です。

私の場合は、生前整理、そして家を片付けて余裕ができたら猫を飼う、

なのだけど、

家が片づいた頃にはもう猫の世話どころじゃなくなってたりして・・・

そうならないように、さっさと片づけよう!

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ミニマリストをめざそう!(5)探しものは何ですか・・

2021-05-14 10:22:07 | 片付け

 探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 カバンの中も、つくえの中も
 探したけれど見つからないのに

 まだまだ探す気ですか?
 それより僕と踊りませんか?
 夢の中へ、夢の中へ、
 行ってみたいと思いませんか?

 (「夢の中へ」井上陽水)

井上陽水- 夢の中へ

 

youtube#video

 

若い頃、井上陽水が好きでずいぶん聞きました。

今日も家の中で探しものをしながら、この歌が頭の中で響いていました。

そうです、カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのは、

家の中がごちゃごちゃしていて、物がやたら多いからです。

一緒に踊ってくれる人もいないので、夢の中には行けず、あいかわらずはいつくばって物を探し続ける毎日です・・

昨日は、ベッド下にある開かずの段ボール箱を全部出して中身をチェックしました。

ここも去年は手をつけなかったところ。

そしたら何と50年以上前の高校時代の写真やノート、勤めていた学校で出していた文集などが見つかり、これまた座り込んで読み始め・・

といつもの癖ですぐに横道にそれるのですが、昨日はそのおかげで発見もありました。

写真やノートや文集などは、今ここにいながら、瞬時に50年前に引き戻してくれます。

時間というのは不思議で、日々をたどっていけば気が遠くなるほど長いのに、思い出すのは一瞬。

「まるで昨日のことのように」と言うけれど、まさに昨日のことのように鮮明に思い出します。

写真を撮ったときの教室の空気、みんなの声などが瞬時に蘇ってくる。すっかり忘れていた人の名前も思い出し、

 そんな時代もあったねと、
 いつか話せる日がくるわ、
 あんな時代もあったねと、
 きっと笑って話せるわ・・
 (「時代」中島みゆき)

と、まさに今、私は笑いながら過去を振り返っているわけです。

少なくとも昨日見つかったモノたちは、私にとってのよい思い出ばかりで、そうそうこういう時代もあったなあ、あの頃は楽しかったなあ、と本当に幸せな気持ちになりました。

そして、当時一緒にいた人たちに心から、ありがとう! と言いたい気持ちでした。

様々な困難もあったはずなのに、それより楽しかった思い出のほうが色濃く残っているのは、記憶のもつ不思議な力のようです。

そして、自分の考え方や感じ方は、基本的に50年前と変わらない、ということも発見しました。三つ子の魂百まで、とはよく言って、人間の基本的な嗜好や思考傾向というものは、ほとんど変化しないのね、ということもわかった。

50年前と同じ疑問をいまだに抱き続け、同じことを繰り返しつぶやいているわけです。

進歩なし!

一体何を学んできたのだ、君は?

それはともかく、たまにこうして宝物を発見できるのも、モノを大事にとっておいたおかげよね、

と自画自賛しつつ、

モノをすべて捨てて「今ここ」に生きる、というミニマリストの生き方は、高齢者には必ずしもいい選択ではないかもしれない、と思いました。

過去は変えられないけれど、過去の見方は変えられます。

時間がたつと、過去の見方はどんどん変化していき、幸いなことに良い方向に変化していくようです。

105歳で亡くなった私の祖母は晩年女学校時代の話ばかりしていました。間の90年をすっ飛ばしてね。

女学校時代の話をする祖母はそれは幸せそうで、まるで16歳の少女のようでした。

お年寄りから過去を奪うのは考えものです。どんなに過酷な過去でもその人の生きてきた証であり、過酷さは薄れて今は幸せな思い出ばかりが残っているかもしれないから。

特に記憶力の衰えを感じている人(私も含め)には、過去のモノは案外必需品なのかもしれません。記憶をたどる縁(よすが)がなくなれば、記憶自体も減衰していくでしょう。

モノより思い出、といえるのは若い人たちだからで、年寄にはモノから手繰り寄せる思い出も必要なのかも、と思います。

とはいえ、年寄は過去に生きればよい、ということではなく、彼ら(私含め)もまたこの世界の住人の一人なので、今ここに生きている人たちと共に生きていけるようにしなくてはいけない、とも思います。

お互い、相手を尊重しつつ、過去も大事にしつつ、なおかつ「今」を生きる、と言う感じかしら。

ともあれ、モノ探しもたまにはいい思い出を運んでくれますね。

ちなみにこれらの文集やノート写真類は一部だけ残して大半は捨てることにしました。

 思い出はモノクローム、色をつけてくれ・・
 (「君は天然色」)

記憶の中では、思い出は総天然色よ。

 

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ミニマリストをめざそう!(4)朝イチの習慣でお片付け

2021-05-11 10:11:08 | 片付け

今年のGWは、コロナの緊急事態宣言下ということもあって、どうせ外出自粛なら家で片づけをしよう、

というわけであちこち手を付けまくったのですけどね、

あっちでちょこちょこ、こっちでちょこちょこ、向こうでちょこちょこ・・

と、まるでネズミが齧った跡みたいに齧りカスばかりが残って家の中は散らかる一方。

押入れの中を片づけている最中に、喉が渇いたので麦茶飲もうと思って冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の中がぐちゃぐちゃなので、これ何とかせにゃと思って中身を出し、そうだ明日はゴミの日なのでまとめてゴミ出そうと外に出たら、昨日使った傘が濡れたまま玄関脇に放置されていたので、まずはこれを乾かそうとベランダに行き、そしたらベランダの鉢植えの土が乾いていたので水をやり・・

とまあ、後はご想像のとおりで・・

で、考えてみたのですよ。

若い頃、20年近く学校図書館で働いていました。

図書館といえば、本だの雑誌だのと紙類の山。書架を整理したり、雑誌や新聞を配架したり、蔵書点検をしたりと、けっこう大変な仕事です。

そんな図書館で、大したミスもなく20年近く仕事をこなしていた私。

しかも、私の机が他の人より乱雑だったかといえばそんなことはなく、割ときちんとしていました。

図書の分類だって整理整頓だって廃棄処分だって、司書なのだからやらざるをえないし、やらざるをえないことならできる。

つまり、ルーティンやマニュアルが決まっているものならできるのです。

リタイア後、ヘルパーの資格を取って半年ほどヘルパーとして働いたこともありました。

他人の家だと掃除も片づけもできるのです(たぶん・・)。

もちろん楽しくはないし、脳みその未開拓部分を開拓しなくちゃいけなかったのですごく疲れて半年でギブアップしたのですが。でも、一応できた(と思う・・)。

では、自分の家だとなぜできないのか、何が違うのか?

雑多なモノが多い。時間の制限がない。義務ではない。監視する人もいない。ミスをしても責められない。責任がない。自宅を片付けても収入にはならない・・

そこで、はたと気づいたのです。

そんなら自宅の片づけも仕事にしちゃえばいいんじゃない?

仕事といっても収入に直結する仕事じゃなくてね、仕事だと思って片づけをする。

つまり、仕事としてマニュアル化、ルーティン化する。
そして、持続させるためにモチベーションを設定する。

私のようなADHDグレイゾーンは、決められたことを決められたとおりに実行するのは割と得意です。習慣化も早い。行動理由が明確なら三日坊主にならずに続けられる。

たとえば、若い頃吸っていたタバコは一度できっぱりやめました。ラジオ英会話とカーブスはかれこれ8年くらい続けているし、去年の夏に始めた瞑想も毎日、最近は朝散歩も毎朝続けています。

ちなみに、タバコをやめた理由は、タバコのニコチンに含まれるアルカロイドが金メダル級の毒物で、殺虫剤の原料であり、ミステリー小説では毒殺に使われる超危険な毒である・・ということを知ったから。その時点で即タバコを止めました。

これをやらなくちゃいけない、あるいはやったほうがいい、と納得し、一度やると決めたなら、実行するのも継続するのも割と簡単です。

これは私の脳の長所といってもいいんじゃないかしら。

(でもなぜか掃除は苦手。なんでだろう・・)

毎朝出勤するみたいに、朝目覚めたときに、今日は部屋のこの部分を攻略するぞと宣言するのはどうだろう。

私は毎朝、

「今日はJさんとAさんの日。2時からと7時から・・」

と唱えています。日本語レッスンのスケジュールね(今はオンラインでやってます)。

そうすると、シャキッと目が覚める。

これからは、同時に、

「今日は居間の押入れのプラスティックケースの中身を全部だしてチェックする」と唱えるのです。

そしたら、私の脳は、それを上司の命令と受け止めて、すんなりと、実行できちゃったりする・・んじゃないかなあ・・。

グレイゾーン傾向のある人は試してみてください。これ、けっこう効果あると思う。

あとはモチベーションだけど、ブログをできるだけ更新する、というのもいいかな、と思っています。

(かさこ塾では毎日更新せよ、と言われていたのですが・・あれは何年前だったろう)

このブログの訪問者数、今はせいぜい50人前後だけど、1万人くらい来てくれたら嬉しいなあ。

でも、それって、今50円しかないので、1万円くれると嬉しい、と言ってるのに等しいので図々しいにもほどがあると言われそうだけど・・

私のように70代で生前整理が必要、しかし気力体力は衰え、一人暮らしで手伝ってくれる人もなく、なおかつADHDやアスペの傾向があり(なくてもOK)、今更どうにもならないよ、とあきらめかけている人たちの励みになれば・・

とっちらかった部屋と頭(私のことです)をすっきりさせて、日々気持ちよく暮らすにはどうすればいいかを追求しつつ、少しでも前進できればと思っています。

ダメなら、また別の手を考えよう。

今はとりあえずこの方向で行こうかと思っています。

最後にお勧めの一冊(冒頭の写真)

「にゃんしゃりで心のお片付け。」(Jam著 PHP研究所)

マンガです。「夢をかなえるゾウ」に似ています。あのノリで片づけについて「イマジナリーオカン」ていうのが登場して、関西弁で片づけについて説教垂れるという変わったマンガ。

猫好きな人は読んでみなはれ。

 

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隔たる世界の2人

2021-05-09 11:10:34 | 映画

2021年のアカデミー賞短編映画賞を取った作品を二つ紹介します。

「隔たる世界の2人」(トレイボン・フリー監督 29分)

時間ループもの、というので面白そうだなと観てみたら、
もう、ガツンとやられました。

「ゲットアウト」の時もそうだったけど、アメリカの黒人差別問題の根深さを表現するには、シリアスな映画じゃもうダメで、コメディかSF仕立てにするしかない、という極限状態にあるんだ、と実感させられました。

(以下、ネタバレ)

主人公の黒人青年はグラフィックデザイナーで自宅アパートで犬と暮らしています。ある日、知り合った女性と一晩を共にし、翌朝自宅へ戻ろうとしたとき、路上で白人の警官に呼び止められます。

何も悪いことなどしていないのに、突然言いがかりをつけられ、縛り上げられ、首を絞められて彼は窒息死します。あのジョージ・フロイドのように。

ところが、次の瞬間、彼は再び女性のアパートのベッドで目覚めるのです。

そうして、彼は何度も同じ警官に殺され、再び彼女のベッドで目覚める、というタイムループが始まります。

手を変え品を変えして、警官は彼を殺します。彼は何とかして警官から逃れようとしますが、毎回いわれのない言いがかりをつけられ、縛り上げられ、あるいは背後から射殺され、そして再びベッドで目覚める、その繰り返し。

この時間ループからどうしても逃れることができない。

そうして、99回警官に殺された挙句、彼はようやく警官をおだててパトカーで自宅まで送ってもらうことに成功します。

道中、世間話をしたりしていいムードになります。警官もいじめられていた過去を打ち明けたりして。

ついに帰宅成功か、と思われたその時、

・・・

彼は再び彼女のベッドで目覚めます。
そして、何度殺されても、犬の待つ自宅へ帰るのだ、と決意を新たにして終わる、という非常に不条理な映画です。

不条理なのは映画だからではなく、彼らの置かれた現実があまりに不条理だからです。

エンドロールに登場する夥しい人々の名前、これは実際に警官に殺された黒人たちの名前で、

買い物途中だったり、駐車場に車を入れようとしていたり、中には自宅のベッドで寝ているところを射殺された人もいる・・

アメリカの闇をこんなにも短い映画で、しかもグサリと胸に突き刺さる仕方で表現した映画は初めてです。

これはもう全世界の人が見なくちゃいけない映画です。

人々を分断しているものの正体について、深く考えさせられます。

前回「この荒漠たる荒野で」について書いた時、アメリカという国の底力を感じたのですが、アメリカの闇はまだまだ深いようです。150年やそこらでは解決しないし、人々が本当に平等になるためにはあと何百年必要なのだろうと暗澹たる気持ちになりました。

それでも、こうした映画をつくる人々がいて、その作品にアカデミー賞を授与する、というところに、アメリカの懐の深さも感じました。

もう一本は、

「愛してるって言っておくね」(ウィル・マコーマック監督 12分)

これはアニメーションの短編です。

これもアメリカの闇を描いた実にいい映画です。

ここではネタバレはしません。実際に見てほしいからです。

映画って本当に様々で、こうした伝え方もあるのだなあとしみじみ思いました。

2本ともNetflixで配信中です。

 

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ミニマリストをめざそう!(3)「片づけられない自分がいますぐ変わる本」

2021-05-06 11:46:50 | 片付け

モノを捨てる基準は基本的には以下の点だと、いろんな本に書いてあります。

①壊れたもの、古くて使い物にならないものは捨てる。②一定期間使っていないもの、今後使う予定のないものは捨てる。③迷ったら捨てる・・ 

たしかにその通りなんだろうけど、そうはいっても捨てるのは難しい。

なぜ難しいかといえば、脳が違うから、ということに気づいたのが去年の秋のこと。それからNLPに出会い、NLPの手法でかなり改善されることがわかったけれど、継続するのがこれまた難しい。

と思っていたら、こんな本に出会いました。

「片づけられない自分がいますぐ変わる本」(大嶋信頼著 あさ出版)

著者の大嶋信頼氏は心理カウンセラーで自らも片づけられない子ども時代を送ってきたという人です。この本には書いてないけど、彼もおそらくグレーゾーンなのではないかと思います(彼自身は強迫性パーソナリティ障害だといっていますが)。

この本には片づけられない「理由」がたくさん書いてあります。

曰く、脳のバランスが悪い、自己免疫が暴走、完璧主義である、常に緊張している、孤独である(学習性無力感がある)、トラウマがある・・

どれもこれも、納得。

脳のバランスが悪く、自己免疫疾患を持ち、完璧主義と緊張の部分は疑問だけど、孤独でトラウマがある、というのはまさに私のことじゃないの。

そうか、だから片づけられなかったのか。

そして、驚いたのは、

「片づけには記憶を整理する、という意味がある」という部分です。

トラウマのある人には、今の部屋が片付いてきれいになった状態を想像できない、という傾向があり、それは「記憶を整理したくない」→「トラウマと向き合うのが怖い」と感じているからだそうです。

私の場合はそこまでひどくはないけど、多少イメージしづらい部分はある。どうイメージすればいいかわからない、という感じかな。

けれども、片づけをしていくうちに過去が変わる、過去の記憶が変わる、という劇的な変化も起きたりするようです。

モノには過去の思い出が詰まっているので、モノが多ければ多いほど過去の記憶が呼び覚まされる。

モノを減らせば過去に引き戻されなくなり、過去の記憶が変わる、というわけです。

また、著者はある時、

引っ越さなくてはいけない状況に追い込まれ、淡々と片づけをしていったそうです。

そしたら、あら不思議。頭の中が静かになっていった。

これって催眠療法を受けた時の感覚に似ている・・

片づければ片づけるほど、頭の中が静かになっていく。催眠状態になっていく。

片づけなくちゃ!と思っていると、脳はパニックになり炎症を起こすけれど、「淡々と」片づけることで脳のパニックを鎮めることができる、というわけです。

他にもたくさんのアドバイスがあって、具体的でわかりやすい。

脳のバランスが悪いせいで片づけが苦手だと思っている人はぜひ読んでみてください。

また、

この著者による別の本、

「本当の私よこんにちは/FAP療法で過去を手放し今を生きる」(青春出版)

も面白かった!

これは無意識とコンタクトをとる方法(FAP療法)が具体的に書かれています。NLPにも似たような手法がありますが。

無意識、潜在意識とコンタクトを取るのは難しいと思われていますが、こんな簡単な手法でわかるのね。でも、これ、試してみるとけっこう判読が難しい。

Oリングテストや筋反射テスト(キネシオロジー)などもそうですが、無意識にコンタクトして無限の力を引き出すということも不可能ではないようです。練習が必要ですが。

というわけで、興味のある人は読んでみてくださいまし。

 

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