前回紹介した本、
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士著 ワニブックス)
この本はミニマリストの古典といってもいいかもしれません。
今回読み直してみて、ミニマリストに必要な基本的なことが網羅されていると思いました。2015年刊なのでそう古くはないのだけど、
ミニマリストをめざす人の必読書です。まだの方はぜひ!
そもそもタイトルのキャッチコピーがいいよねえ。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
そう、ミニマリストをめざした若い人たちは、そう考えているのです。
モノに支配され、モノに振り回される生活はもういらない。
ぼくたちはモノがなくても生きていける・・
敗戦で荒廃した日本から立ち上がり、経済力を身に付け、モノを持つことが豊かさの象徴であった時代を経て、今まさにそれに真っ向から対抗するように、若者たちが、団塊の世代が築きあげてきた「豊かさ」に反旗を翻し始めている・・
そんな気がします。
もっとも、私も団塊の世代の一人なのだけど、こうした「豊かさ」とは無縁だったなあ。
四畳半一間のアパートで一人暮らし。TVはもちろんラジオもストーブもなかった。知人がラジオをくれたときは本当に嬉しかった。何もないけど自由だけはあった・・
南こうせつの「神田川」もこの頃の歌です。
貴方はもう忘れたかしら
赤い手拭マフラーにして
二人で行った横丁の風呂屋
・・・
洗い髪が 芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
・・・
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった・・
この歌、私は大嫌いでねえ、
なんていじましくみじめったらしい歌だろう。
(さらに言えば、男が作った男目線の歌で、女性ならこう感じるだろうという押しつけがましさがウザい)
私はもっと自由だったし、自分の足で立って歩く感触を楽しんでいました。
昼間働いて、夜は二部の大学に通って、お金がなくて学費が払えなくて・・
でも、自由だったし、自由は何ものにも替えがたいと確信していた。
団塊の世代がよく目の敵にされがちですが(何しろ多いからね)、団塊の世代もそれぞれで、
バブルの恩恵を受けたのはほんの一握りの人たちだけで、大半は苦しい生活をしていました。
今は豊かになり、どんなに貧しくても餓死する人はごく稀だし、ボロアパートにも大抵水洗トイレはあるよね。
あの頃の私の憧れは、水洗トイレとお風呂のある生活。そして、朝、インスタントコーヒーではなくドリップコーヒーを入れるような生活ね。どんなに憧れたろう・・
それでも、私は幸せだった。自分一人で生きている、という実感があったから。
あの頃に比べると、日本はどんだけ豊かになったろう・・。
それなのに、若い人たちはミニマリストになろうとしている・・
私もまたミニマリストをめざしている・・
昔は立派なミニマリストだったのに、いつのまにかモノに囲まれて暮らし始めたから。
あの頃に戻ったと思えば、私の周囲にあるすべてのモノはいらない。
あと50年生きるとしたら、今あるすべてのモノはなくなっているはず。
それなのに、なぜに後生大事にモノを取っておく?
50年後、人類はどうなっているだろう。地球はダイジョブなのか?
そう考えると、やっぱり今がターニングポイントなのだという気がします。
コロナも偶然じゃない。
私たちが地球の上で生きている、生かされている、ということをもう一度よく考えた方がいいかもしれない、と思います。
それはそうと、デスク脇の引き出しの中を少し整理してみました。
これが整理前の引き出しね。ごちゃごちゃ。
中身を全部出してみた(畳、古いね)。
で、減らしてみた。
奥の方にあるのはPCのハードディスク、
ホワイトボード用のペンとボード消しは日本語レッスンの必需品。
けっこうスッキリしたでしょ。
やればできるのよ。
この調子でがんばろう!
ちなみに、16日のブログ訪問者数が1万2千人をこえました。閲覧数は1万5千以上。こんなに早く1万人超えを達成できるなんて想像してなかったので、何かの間違いかもしれないと、まだ半信半疑ですが・・
読んでくださった皆さん、ありがとうございます!
と書いた後でgooブログのアクセス数について調べてみたら、ロボットが見てたようで、残念ながらぬか喜びでした。まあ、そうだよなあ、と妙に納得。でも、これからもブログは書き続けたいと思っています。