(これは2018年8月29日の記事です)
8月もあとわずか。
やれやれ。
生きてるだけで精一杯の過酷な夏でしたね。
でも、生きてりゃいいんです。生きてりゃ。
というわけで、今日は魔法についてのお話。
「ビューティフル・クリーチャーズ/光と闇に選ばれし者」という映画を紹介します。(2013年公開)
かなり前に見たのですが、Netflixで配信していたのでまた見ました。
16歳の誕生日に、いい魔女になるか闇の魔女になるかの選択を迫られているリーナという魔女の物語。
彼女は転校先の高校でイーサンと出会います。
イーサンは少し前からリーナを夢で見ていました。夢の中の彼女が実際に彼の前に現れ、しかもリーナもまた夢でイーサンを見ていたと言います。
運命の赤い糸で結ばれた二人。でも、二人の住む世界は違う。
何しろ、リーナは魔女なのですから。人間のイーサンと一緒には暮らせない。
リーナは自分にかけられた呪いを解くために究極の選択を迫られます。
これがね、綺麗なの。
リーナの住む古い屋敷は、外から見るとボロボロだけど中はモダンで、時おり紅葉した葉っぱがひらひらと舞ってたりします。
リーナと闇の魔女であるリドリーが対立して食堂のテーブルがぐるぐる回ったりします。
リーナの母親であるサラフィーヌも闇の魔女。
大体母親というのは魔女ですね。例外なく。
どんなに愛し合っている親子でも、優しい母親でも、母は一種の魔女なのです。
リーナはこの闇の魔女である母親と対決し乗り越えなくてはいけない。
男の子が父親と対決して父を乗り越えないと大人になれないように、女の子もまた母親と対決して母を乗り越える必要があるのです。
母親は言います。お前は私の娘なのだから、闇の魔女になるに決まってる。
でも、リーナは闇の魔女にはなりたくない。
魔法というのは、いってみれば、若者が遭遇す試練や通過儀礼を表現したもの。だから若い人たちに受ける。
大人にだって面白い。自分たちが経験してきた試練や過酷な経験を別の角度から見せてくれるから。
そうか、あれはそういう意味だったのか、と何歳になっても発見があります。
それがメタファーの力。
比喩には明喩と暗喩の二種類があり、暗喩(隠喩ともいう)のことをメタファーといいます。
雪のように白い肌・・明喩
雪の肌・・・・・・・暗喩
というわけで、
魔法というのはこの暗喩に属している表現方法ですね。
まあ、魔法は実在する、という説もありますが。
魔法の物語はたくさんあって「ハリー・ポッター」だけではもちろんありません。
今年の秋、私の大好きな「ルイスと魔法使い協会」(ジョン・ベレアーズ作)の第一巻「壁の中の時計」が映画化されるようです。
「ルイスと不思議の時計」
ルイスは両親が亡くなり伯父さんの家に引き取られますが、この伯父さん、実は魔法使いなのでした。でも、ポンコツ魔法使い。隣に住んでいる魔女もユーモアたっぷりで面白い。映画はまだ見てないけど、これも注目ですね。
ああ、真夏に雪を降らせるような魔法が欲しい・・
でも、秋はすぐそこ。
明けない夜はないように、秋もかならずやってきます。
もうしばらくの辛抱です!
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