昨日は外反母趾の手術から11カ月目の検診でした。
あれから一年弱が過ぎたなんて嘘みたい。9月初めには手術一周年記念でもやろうかしら。
今回、担当医の先生は「次の手術いつにしますか?」とは聞きませんでした。
私が「今のところ痛みがないので、このままでもいいかなと思っています」と言ったので。
でも、下北沢病院に行くたびに、もう一度入院してもいいかな、とちょっとだけ思います。
去年の一カ月の入院生活は、決して天国だったわけではないのですが(退院の日を指折り数えていた)、それでも、あんなに周囲に私のことを気にかけてくれる人たちがいて、先生や看護師さんやリハビリの先生たちに大事にされ、同室には「同病相哀れむの仲間たち」もいて、私の人生史上最高に甘やかされた一カ月だったのも確かです。
主婦たちが「退院したくない」と異口同音に言っていたのも同じ想いだったのでしょう。
二度目、三度目の入院という人たちも何人かいました(好き好んで入院したわけではないと思うけど)。
入院患者になるということは、娑婆で艱難辛苦の日々を、あるいは楽しい日々を、つまり普通の日常を過ごしている人たちとは別世界の住人になる、ということです。
病院の内側と外側には、見えない境界線があって、その内側の住人になるというのは、ある種の特権を持つことだといえるかもしれない。
まあ、病気が治る、という前提あってのことですが。外科というのは、大抵よくなって退院するので、内科などとは少し事情が違うかもしれません。
「非日常を楽しんでくればいいよ」と息子は言ったものです。
これも快癒するという前提あってのこと。
そして、事実私の右足は入院前より格段によくなり、痛みもなく歩けるようになりました。
なので、私のように多重衝突事故のような酷い外反母趾、あるいは耐えられない痛みを抱えている人は手術を考えてもいいかもしれません。(2022年10月5日の記事参照)
そして何より、ごく当たり前の日常が、いかに自由で貴重な時間であったかに気づく良い機会でもあったと思います。
「宇宙兄弟」の中でピコがいいますね。
「ネクタイを締める 理由なんてのは1コしかねえ。仕事が終わった後に "緩める"ためだ」
まあ、入院生活というのも似たようなものかな。
病院の帰りにはいつも駅前のスタンダードベイカーズでシナモンロールとパンを幾つか買って帰ります。
このパン屋さん、本当に美味しいのでお勧めです。
次回の診察は半年後、来年の1月です。
実にアフターケアの整った病院です。
《追記》
そういえば、先生にお礼の言葉を言おうと思い、靴紐を結び終えて顔をあげたら、もう先生はいなくなっていました。言いそびれてしまったので、ここに書きます。
「ありがとうございました。おかげさまで痛みもなく歩けるようになりました。また入院する機会があったらよろしくお願いします」