夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

文化庁は間違った日本語を許容するのか

2008年07月25日 | Weblog
 前述しました、今日の二回目の発信です。
 文化庁の国語調査の結果が7月25日の新聞に載った。テレビでも報告していたから、ほとんどの人が結果を知っているはずだ。駄目な結果は毎度の事で今さら驚きもしないが、同庁の主任調査官の言葉には驚いた。
 「あと十年もすれば、本来と違う意味に変わっていく可能性がある」
 当たり前だろう。誤用は30代以降が圧倒的なのだ。10年もすれば、そうした年代が社会の中核になるのだ。当たり前の事を平気な顔をして(顔は見ていないが、記事は別に驚いてなどいない)言うのにも驚かないが、何の策も持っていない事には仰天してしまった。
 誤用を仕方のない事だと思っているらしい。誤用を放置している限り、誤用とは気付かないし、そのまま定着してしまう。どうしたら誤用に気付かせ、正しい使い方を奨励出来るのか、を考えるのがあんたらの仕事だろうが。

 誤用がこんなにも圧倒的な勢力を持っている理由は明確に分かる。
1 他人の言葉の使い方に何の疑問も持たない。おかしいな、と思えば国語辞典で調べれば良い。辞典の説明は様々だが、「げきを飛ばす」を「元気づける」などと説明している辞典は皆無のはずである。はず、と言うのは時々、とんでもない説明をしている辞典が存在しているからだ。
 もちろん、自分が言葉を知らないと分かっても、調べようとは思わない。
2 国語辞典の説明が悪い場合がある。間違いとは言えなくても、よく分からない説明をしている。そうした国語辞典の説明の幾つかを私は拙著『こんな国語辞典は使えない』(洋泉社)に書いた。辞典が曖昧な説明をしている限り、正しい言葉は普及しない。
 その後もそうした国語辞典の調査は続けており、今度は全く別の趣向で本を書き、目下売り込み中である。としっかりと宣伝をしてしまった。
3 間違った使い方を何のかのと理由を付けて、認めようとしている連中がいる。本当に屁理屈としか思えないような理由を付けている。それでもれっきとした日本語学者なのである。どのような人々かは言わないが、私のブログを見て下さっている方には察しが付くはずだ。
4 正しい事よりも、簡単な事、てっとり早い事が好まれている。間違っていたって何のその。言葉は拡張高く変化する事はほとんど無い。すべて次元の低い方へと変化する。それは過去の日本語の歴史を見れば一目瞭然だ。
 もっとも、「ら抜き」言葉などは、横着なだけではなく、「受け身」と「可能」を区別したいとの欲求もあると、私は思っているが。

 様々な理由があって放っておけば、言葉はどんどん悪くなる。私は常に気になっているのだが、子供の自称である「僕」が今や大手を振って、社会人の間を闊歩している。テレビ人達(「ども」とは言いません)が当たり前の顔をして使っている。仲間内の会話ではないのだ。視聴者に面と向かって「僕は」などと言うのである。無礼だとは思わないらしい。つまり、彼らは「僕」が標準語の自称だと思っている。テレビだから、すぐに全国に広がってしまう。
 前にも言ったが、幼児に向かって「ぼく、おなまえなんていうの?」と聞くのは「ぼく」が子供言葉だからである。そうではない、と言うのなら、大人に対して「僕、お名前何とおっしゃるのですか」と聞いたらいい。張り倒されるから。
 自国の文化に誇りを持っているフランスでは国が正しいフランス語を守る事をしている。自意識の強さではお隣の韓国も同じだから、韓国も韓国語を守ろうとしているに違い無い。何しろ、中国語から生まれた字音語でさえ、漢字を使わずに、ハングルで表そうと言うのだから。
 人任せ、成り行き任せの文化庁に日本語を守ろうとの気概はまるで感じられない。文化庁の仕事って一体何なのでしょうね。そして「文化」の意味も正確に知りたいのですが。

歴史の教科書が変わったのは正しいか・2

2008年07月25日 | Weblog
 前回、聖徳太子では諡号(死後に贈られた名前)ではだめで、だが、天皇は諡号で良いのだ、との不可解な話に疑問を呈した。これが新しい教科書のやり方なのだと言う。
 聖徳太子などの場合に諡号ではなく、生前の名前で呼ぼう、と言う理屈はよく分かる。だったら、天皇だって、そうしてくれよ、と私は言うのである。後に出て来るが、「天皇を皇太子とした」などと言う珍妙な表現はやめてくれよ、と言いたい。
 ホント、馬鹿言っちゃいけないよ。皇太子の地位にある天皇なんて居ない。後年の天智天皇は別だ。彼は皇太子の地位のまま、天皇の役目を果たした。これを「称制」と呼ぶ。しかしこれは例外だ。皇太子である天皇なんて普通には存在しないのである。
 だが天皇を諡号ではなく呼ぶとしたら、どうしたら良いのか。どのような歴史書でも、と言っても私の知っている限りではなのだが、天皇は諡号で呼ばれている。一般的な歴史書ならすべて漢風諡号だ。
 我々はそれしか知らない。だから仕方が無いと言うのでは、理屈になんかならない。

 天皇の名前に関しては昔から複雑な事情がある。『日本書紀』で天智天皇の巻を見てみよう。同天皇の和風諡号は「天命開別天皇」(あめみことひらかすわけのすめらみこと)である。以下、それぞれの天皇の読み方は省く。( )内の呼び名は原文には無い。

 天命開別天皇は、息長足日広額天皇(舒明天皇)の太子である。御母を天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)と申し上げる。天豊財重日足姫天皇の四年に、天皇は皇位を天万豊日天皇(孝徳天皇)にお譲りになり、天皇を皇太子にお立てになった。

 さて、ここに出て来る、単に「天皇」とされている二人の天皇が誰か、お分かりだろうか。
 最初の「天皇」は天豊財重日足姫天皇である。これは天智天皇の当代記だから、登場する「天皇」はただ一人。「天皇=天智天皇」しか無い。ここでは天豊財重日足姫天皇は過去の人であり、従って諡号になる。ただ、「天豊財重日足姫天皇の四年に、天皇は」の場合は直前の「天豊財重日足姫天皇」を指す。現代なら「同天皇は」とする所である。
 次に出て来る「天皇」が「天皇=天智天皇」である。そして「皇太子」なのだから、まだ天皇ではない。「天皇を皇太子に立てる」などと言う事があろうはずが無い。天智天皇の皇子の時の名前は「中大兄皇子」「葛城皇子」である。「中大兄」は単に兄弟の順番を表す言い方だから、通称だろう。正式には「葛城皇子」のはずだ。
 だから、日本書紀のこの文章は、正確には「葛城皇子を皇太子にお立てになった」になる。

 しかしながら、原文のように「天皇を皇太子に立てる」なのだ。これが後世での記録になれば、当然に「天命開別天皇を皇太子に立てる」になる。漢風諡号なら、「天智天皇を皇太子に立てる」である。

 この変則的な表記の理由がお分かり頂けただろうか。実は、私自身、まだよく分かっていない。ただ、言えるのは、過去の天皇なら、その時は天皇にはなっていなくても「天皇」と呼んで何の疑問も抱かない、と言う事実である。
 だから、「聖徳太子が推古天皇の摂政になった」との表現は当然ながら成立するはずなのだ。だが、それが駄目だと言うのだから、こうした表現の仕方は天皇だけに限って許される事になる。
 こうした考え方の根拠も実は日本書紀にあるのではないか。推古天皇の条には次のようにある。

 夏四月の庚午の朔己卯に、厩戸豊聡耳皇子を皇太子にお立てになって、政務を総裁させ……。

 厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)即ち聖徳太子である。推古天皇の当代記だから、当然に聖徳太子の名はまだ無い。日本書紀は「聖徳太子」なんて言ってないぞ、と言う訳なのだろう。
 この日本書紀の記述は正しい。だからこそ、天智天皇の条では「葛城皇子を皇太子にお立てになった」が正しいのだ、と私は考えたのだ。しかしこの二つの違いは、日本書紀が「天皇紀」だと言う点にある。当代の記録として、臣下は正確にその名前を表記するが、天皇は別格なのだ、と言うらしい。「葛城皇子」は口に出来ない名前ではないのだから。

 天皇を諡号で表現する以上、聖徳太子だって、諡号で良い、と言うのが私の考えである。歴史を中途半端に複雑にする必要は無い。するなら、きちんと天皇の称号について学習させるべきである。でも、多分、難しくて出来ないんでしょうね。
 馬鹿にしているのではない。本当に難しいのである。生前の天皇の呼び名は無いのである。
 無いんだからしょうがないじゃないか、とは私は考えない。これは歴史である。後の世に記述した事柄である。だから天皇は諡号にならざるを得ないのだし、後世から見れば、厩戸皇子はまさしく聖徳太子ではないか。何か、現在進行形の歴史ドラマと勘違いしてやしませんか?
 歴史を少しでも正しく、と言う考えは分かる。だが、あまりにも杓子定規過ぎはしないだろうか。正しくと言うのなら、諡号と諱を明確に分けて、一人一人の天皇の正確な名前から始めるべきだと考える。中途半端な正確さは始末に負えない。
 それに昔の人は途中で名前を変えるのが普通だった。例えば勝海舟は人名事典によれば、「名は義邦、通称は麟太郎、昇進して安房守を称したが、明治維新後に安芳と改称し、さらにこれを戸籍名とした。海舟は号」とある。
 だからその時々によって、呼び方は変わって来るし、号に至っては、一体いつから使っているのかを調べないと安易に「勝海舟」などとは呼べなくなる。
 そうした事も踏まえての上の「厩戸皇子」なのか。

 それともう一言。
 天皇はただ一人しか存在しない。そして皇后陛下もただ一人である。今上天皇を「明仁様」などと呼ぶ人はいない。何よりも無礼である。それなのに、皇后を平気で「美智子様」などと呼ぶ。昭和天皇の皇后は「良子」(ながこ)だったが、「良子様」などと呼ぶような非常識な人間は一人も居なかった(はずだ)。親しい呼び方なら「皇后様」だった。
 誰も彼もが非常識極まる。開かれた皇室とこうした問題はまるで関係が無い。要は人としての常識の問題、他人に対する節度の問題なのである。

 きょうは、もう一回、別の事を発信します。言いたい事がある時は重なってしまう事が結構あって、でも賞味期限もある事だし。ホント、無い時は本当に無いのです。そんなにアンテナは発達していないので。でも私は書きためた様々な原稿があるので、それに代えてもいいのだけど、唐突に言い出すのも何かおかしい気がするのです。