夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

歴史の教科書が変わったのは正しいか

2008年07月24日 | Weblog
 歴史と地理の教科書が変化している、とテレビで知った(7月23日、TBSテレビ)。我々が鎌倉幕府の成立年だと思っていた1192年(いいくに)は、今では1185年と訂正されていると言う。これは歴史的事実の話である。645年の大化改新は乙巳の変(いっしのへん)だと言う。これもよく分かる。ただし別に新発見の事実ではない。誰もがずっと以前から知っていた話である。645年はあの蘇我馬子暗殺に始まる蘇我宗家滅亡の年であり、改新はその後の事なのである。従って、正しい言い方に直したに過ぎない。
 そして、十七条の憲法を作ったのは誰か、との問題も正しい言い方に直しただけの話になる。新しい教科書では、聖徳太子では不正解、正解は厩戸皇子(うまやどのみこ)だと言うのである。理由は、その時はまだ聖徳太子とは呼ばれていなかったから、である。
 理屈は正しい。
 だが、そんな事を言い始めたら、歴史は滅茶苦茶になるではないか。何しろ、「○○天皇が」とは絶対に言えなくなってしまう。なぜなら、「○○天皇」の名前はすべて諡号(しごう)であり、死後に贈られた名前だからだ。死んだ天皇が何かをした訳が無い。

 593年は従来なら聖徳太子が推古天皇の摂政になった、とされる年である。新しい教科書なら、「593年、厩戸皇子が」となるが、では、どの天皇の摂政と言えば良いのか。聖徳太子同様、推古天皇の名前はまだ存在しないのである。
 推古天皇の生前の名前は何だったのか。この話になると、歴史書や百科事典も非常に曖昧な物の言い方しかしていない。「額田部」(ぬかたべ)とか豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)の名前を挙げ、それを諱(いみな)と言ったり、諡号と言ったりしている。諱と諡号は違う。

 諱は、恐れ多くて口に出せない名前との意味である。皇子や皇女だった時は名前を呼べるが、天皇となったからには名前は呼べない、と言う訳だ。では何と呼ぶのか。
 実は名前は必要無いのだ。なぜなら天皇はただ一人しか存在しない。従って、その時々の天皇に対する呼び方、「大王」や「天皇」「帝」など、いずれもで良いが、それだけで用が足りる。「今上陛下」の言い方は平安時代には既にある。
 現代だって同じである。明治天皇、大正天皇、昭和天皇と続いて、現在の天皇は「今上天皇」なのである。確か皇太子時代のお名前は「明仁」様だった。いや、今だって同じである。だから署名は「明仁」のはずである。私は天皇の御署名をテレビなどでも拝見した事が無いが、昭和天皇の場合は「裕仁」であった。
 そして、戦前はそうした署名のある詔勅を読み上げる時、その部分を「御名」(ぎょめい)と読んだ。実名を読み上げるのは不敬である。いわゆる「御名御璽」である。

 諡号は亡くなった天皇に贈る名前である。生前の業績にふさわしい名前が贈られる。これはずっと和風の名前だったが、桓武天皇の時から漢風の諡号も贈られるようになった。今では、この漢風諡号の方がずっと通り易く、すべてそれで通している。それがこの場合は「推古天皇」になる。
 そして和風諡号が「豊御食炊屋姫天皇」のはずなのだ。この事については、どの歴史書もそんなの常識だよ、と言わんばかりに、何の説明もしてはくれない。だから必死になって色々と探った結果に過ぎない。だから間違っているかも知れない。
 では推古天皇の実名は、と言うと、それが「額田部」になる。「額田部皇女」と呼ばれていたから、本当はそのまま「額田部天皇」になると思うのだが、昭和天皇が「裕仁天皇」などと呼ばれた事がないのと同様、「額田部天皇」なる名前は無いのだろう。「天皇」だけで良いのだから(もっとも、昭和天皇の場合は「天皇裕仁」なる言い方は存在するが、それは特殊な事で、また別の話である)。

 だが、後代になっての著述では「天皇」だけでは分からない。和風でも漢風でもいいから、諡号を使わなくては話にならない。それが「聖徳太子が推古天皇の摂政になった」との記述になる。だがそれが駄目だと言うのなら、「厩戸皇子が」はいいが、天皇の名前ではたと行き詰まってしまう。

 テレビでの報道だから、どこまで信じて良いか分からないのだが、「聖徳太子」では駄目だ、と言うからには、上のようにならざるを得ない。もしも、天皇は別だ、とでも言うのなら、臣下だって同じにしなければ筋が通らない。
 私がとても不審に思うのは、この話を採り上げた時、リポーターはこのように説明し、それでそこに出演している人々が何も疑問を抱かなかったと言う事である。もちろん、番組関係者の誰もが不思議に思わなかった。なぜ、では天皇はどうなるのか、との疑問が生まれないのか。
 これは前もって用意していた話ではないのかも知れない。だが、事前に何の検討もしないで直接放送で流したなどと言う事のあるはずが無い。きちんと、今日はこれこれの内容である、と検討しているはずである。だから、その時にも誰も疑問に思わなかった。
 この話は長くなるので、続きは次回に。