夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

千葉県知事選で森田健作氏圧勝

2009年03月30日 | Weblog
 先日、政党は要らないと書いた。この千葉県知事選で、千葉県民は政党は不要だと考えた。いや、そうではない。政党は無い方がいい、と考えたのだ。そうだろう。無所属の圧勝なのだから。民主党を始めとして四党相乗りで応援した候補に36万票もの差を付けた。この差は大きい。何しろ、テレビにも出演し顔も売れている白石氏、当初自民、民主、公明の三党相乗りで擁立を模索された白石氏の得票数を上回る程の差なのである。
 投票締め切り直後に報道機関が当確を打ち出したのも当然と思える。

 でも考えてみると、前の知事の堂本氏は8年前に「無党派派旋風」で初当選した。特に知事選では政党は邪魔だ、はもっと前からの流れだったのだろう。党利党略の世界である国政と地方自治は違う。人々の生活が直接かかっている。本当は国政だって国民の生活と直に関わっている。それなのに、政治家は自分達が特殊な上等な人間だと馬鹿な思い込みをして、自由気ままにやっている。「僕達みたいに偉くなると」とうっかりと口を滑らせた国会議員が居た。彼は正直だっただけだ。
 それだけではない。国政は複雑怪奇だから、利権を利用して金儲けが出来る。だからますます国民と離れてしまう。
 こうした風潮は絶対に国政選挙の流れを変えるはずだ。とは言っても、国会議員の場合、この森田氏のような無所属で全面的に信頼を置ける人が居ない。望むらくは、菅直人氏のような人々が政党を離脱して、無所属になる事だ。先には自民党を離脱した渡辺氏のような人も居る。
 「○○党」などと名乗るとどうしたって、新党は小さくなってしまう。それに比べて「無所属」の何と大きな事か。何でも取り込める器の大きさがある。「党」と言う存在が最初にある訳ではない。一人一人の議員が「党」を作るのである。そんな事、誰だって知っている。
 だが、「党」を作ると、なぜか議員達一人一人の考え方とはどんどん離れて行ってしまう。それもまた当たり前なのだ。人はみんな一人ずつ違う。考え方もやり方も感覚もみんな違う。だから無理をしておかしな党是としての基本方針を作り上げる。それはどうしたって象徴的にならざるを得ない。具体的にそれぞれに異なる主義主張を統一するなんて出来るはずが無い。
 共通しているのはただ一つ。国民のための政治をする、と言う覚悟だけである。それだけで「党」は成り立つ。いや、そうじゃない。それだけしか無いのだから、「党」なんて要らないのだ。

 森田氏は前回の選挙で95万票をもらった、その支援に応えたいと考えたと言う。で、国会議員としての再出馬の誘いを断り続けたそうだ。そうした思いが見事に実った。国の立場で県民を守るのではなく、県の立場で県民を守る。その真っ当な考えが県民の支持を得た。森田氏も偉いが、選んだ県民も偉い。
 私は自分のすぐ隣の県だと言うのに、千葉県の事をあまり知らないし、関心もあまり持っていなかった。息子が成田空港に勤めていると言うのに。窓の外に毎晩、千葉県浦安市の「東京ディズニーランド」の花火を眺めていると言うのに。いつも乗っている地下鉄の東の終着駅は千葉県市川市にあると言うのに。しかもその駅はわずかに6駅先だと言うのに。
 自分が東京に職を得ているから、目の前の事しか見ていなかった。何しろ、新しい職を得るのは並大抵の事ではないのだ。でもこれからはもっと大きな目で見なければ。