おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

不完全な人間

2020-02-29 20:05:42 | Weblog
困難な事態に直面したとき「できる先生」におんぶに抱っこ状態の学校にしていたのが「昭和の学校文化」かな。

それが、平成の職員室でのサイレントマジョリティを生み出し
れいわの時代になって糾弾されてますよね。

機械的な負担軽減論が学校では幻想なのは
先生なら誰でも知っていることですが、

負担を一手に引き受けて
そこに教師としての使命を感じる「他の先生のためにつくすいい人先生」が
絶滅危惧種となってストレスを感じる時代なんでしょうか。

今日の新聞、教員いじめ問題 実名報道。
個人の歪んだ性格と
周りの怯えが生み出したひとつの学校での構造的な問題なのでしょうか。

「先生」にスポットが当たっているのは当然なのですが
組織における「いじめ」という問題への本質的な問いがみえないようで
なんか胸につかえるものがあるのです。

だから他の先生に何も言わない関わらない、強い人に言えない先生が増えるのかも。

世の中では不完全な連中ほど自分は「完全」だと思い込んでいる場合がありますよね。
その根拠はなんだろう?

先生の世界でなら
他者との知識獲得競争に勝ち抜き、
高倍率教採をくぐり抜け、
今の立ち位置にいるからなのでしょうか。

所詮、小学校の先生の評価など、
子どもたちが大人になった時、
ふっとなにかの拍子に思い出してくれるかどうか、
という程度のものだと思います。

たった一年や二年間で
自分の思いや価値観を伝えることができたとしても、
それらはやがて子どもたちの自己形成とともに消えるべき壁であればいいのじゃないかな。

ある意味での教師の傲慢さが、
完全だと思い込んでいる先生の自信の源なら
それはそれで怖い話じゃないかな。

まっ、40年近く先生やっても、
結局自信が持てなかった僕でも、
仕事は楽しめたんだけどね。

大事なのは、これからのれいわの先生、
れいわの学校なんだよね。

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