おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

卒論の代行???

2007-08-18 19:23:01 | Weblog
昔は・・ってフレーズでものをいうようになれば
老いのはじめだとこの間会った大学時代の友人が話していたけど、
世の中のIT化は激しいようで
とうとう大学のレポートや卒論までも
ネット上で代行してくれる時代になったって
今日の読売新聞に書いてあったよ。

僕の学生だった頃は
まじめにノートをとるやつが友達にいなくて
板書ノートの代行屋ってのがあったような気がするけど、
ノートをだしに好きな女の子にアタックするという楽しみの方を
選んでいたような気がする。

冗談はさておき、こうした教育という領域を営利目的の市場として
とらえる考え方は、時にこうした暴挙となってしまうことがあるようだ。

しかし規制によってこうした暴挙を行う連中を規制することは難しいし、
規制する側とされる側のいたちごっこが始まるだけ・・。

直接利用している学生たちの意識が変わることはないのではないだろうか。

今の大学生は、僕がはじめて情報教育に小学校で関わった世代の子供たちと同じ世代、

小学校にコンピュータが導入され、その利便性と有効性だけが強調され、
それを悪意や営利目的で利用する人間がいることも、
まして著作権やモラルなんかは誰も教えてはいないのではないだろうか?

図書室の本をコピーする感覚で他人のホームページの記事を写すのは、
コピペのスキルを獲得した子供たちにとっては当たり前の感覚だったような気がする。

ITのスキルを獲得した人間にとって
モラルが必要だと考える風潮もようやく最近になって、醸成されてきた。

これから起こるであろうITの不適切な利用や違法行為に対応するために
いろいろな予防措置や仕組みを作ることも大切だろうが、
僕たちができることはやはり小学校早期からの「モラル」指導であろう。

あえて「情報モラル」といわずに「モラル」としたのは、
ぼくのこだわりかもしれない。

教師になりたての頃、障害児学校につとめていて、なんか限界を感じて、逃げ出したくなったから、
ヨーロッパに一人旅に出た。

そのとき、一番ショックだったのがスイスのザンクトガーレンという小さな町で市街電車に乗ったときのこと。

乗り方がわからないので周りを見ていると。
停車駅で先に切符を買った乗客が買った切符を乗る前に箱に入れている?
電車がきたら切符を持たずにみんな乗っていく。
乗務員も何のチェックもしない。
人が見ていようが見ていまいがそれがあたりまえ。

これはショックだった。

人が見ていなかったら守るべき規範をもてないのが僕の知ってる多くの日本人だったから。
人が見ていようが見ていまいが守るべき規範を「モラル」とするなら、
大学生の卒論やレポートを売る代行屋も頼む学生も「モラル」の欠如した典型的な日本人なんだろうな。
こうした日本人を作っている教育の現場に携わるもの責任は大きい。

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