おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

杞憂だといいですが

2020-04-24 15:43:49 | Weblog
杞憂なのですが。

どうしても宿題を出さないこどもに宿題をださせるためにはどうしたらいいんでしょう?

昭和の教室では黒板に平然と忘れたこどもの名前を書くという風習があったらしい。自覚を促すための悪しき風習だといわれてますよね。

平成では、先生たちが「さらされる」こどもの心情を考え対応したので「晒す」ことへの違和感を持つこどもが多いのでしょうね。

有事なのでテレビでさらしが始まったのかな。

昭和の僕たちはまだ理解できますが
あなたたちはどのように感じたのかな。

民意をバックに晒すより、法に則し処罰する方が令和らしくっていいかな。

学校でも触法行為があればすぐ警察に通告することが求められる時代ですよね。

ある意味で、「有事立法」としての非常事態宣言が出されてるのに、プロパガンダの上手さを実務家の行政官が競ってもしかたないのにな、と老人のテレビ評論家ですか。

今の世の中、なんかエビデンスがないと正しいことではないという風潮があるので、「専門家」の言葉が重視されるけど、実務家は何の「専門家」かを明らかにして適切な専門的知見を活用すべきですよね。

「経済」の課題を今考えるのか、「医療」の課題を今考えるのかといった二者択一の何を優先するのかという政治論理がまだ生きているのかな。

「教育」は平時になってからという発想が有事になにも機能しないで「家庭教育」にたよらざるを得ない状況をうみだしたのではないのかな。

でも、だから機械教育って発想は何か納得できない、かな。

経済の課題に固執している人に「医療」の専門家の知見か通じるのかな。その逆もあるよね。

こうした時、それぞれの課題をきちんと精査しないと、メディアの露出度とビジュアルだけで判断する人たちが増える、かな。

もし、学校を以前の状態で再スタートしたいと思うなら、欧米と同じように9月始業式でリセットすれば十分対応できると思うけど。無理かな。

カリキュラムを知らない人たちの発想は1ヶ月遅れたら1ヶ月増やせばいい(笑)、朝顔の観察はいつからすればいいのだろう。そうだICTの活用だ。
トマトやじゃがいも何か作らなくてもビデオでできる、ですね。
じゃ、そのビデオどこにありましたっけ。理科主任なのに知ってるだろ。教頭先生なら知ってる(笑)ネットかテレビで手に入れられるだろ。NHKは有料ですよ。ネットはダウンロードできません(泣)なんてことにならないよう準備が必要ですね。

こうしたカリキュラムと評価をどうするのか、今考えておかないとすぐスタートできません。

もし、機械教育を進めようと考えるなら多くの公立小中学校でテレスタディの設備がなく予算的な手当も収まる時期もはっきりしない「全てが落ち着いた」ゴールのあとからで、操作スキルのを獲得する時間もないことを露呈することになるので、来年から先生になる人材は大丈夫かな。

新しい学習指導要領の目的は単にICTを使えばいいというものではなかったはずだけど。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上を向いて歩こうのムーブメ... | トップ | 教育現場の復興に向けて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿