おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

緊急事態宣言ですか。

2021-01-15 22:29:41 | Weblog
老人2人のよた話です。

コロナ禍における学校マネジメントの稚拙さが校内の分断と乖離を生むとしたら、管理職の責任は結構重大なのですよね。

でも、先生たちが、教科指導さえすればいいとする「生涯一教師」という錦の御旗を掲げて、それ以外のことは「誰かが」がしてくれることが当然とする先生なら、その先生に「誰か」に「いつか」貴方がならなければならないと言うことを「何年か(小学校の場合は、6年程度が普通)たてば、外の学校への転勤」を余儀なくされている先生たちに、どのように意識付けていくのかが、結構むずかしい課題ですよね。

でも、学校に集めて、教科指導だけの授業をすすめることにおわれていたら、すぐに塾やAIにとってかわられるかもですよね。

結構難しい構造的な課題があるのですよね。クラス作りに上手い下手があるのか、クラスの子どもの編成に差かあるのか。春休みのクラス編成は、ベテランの意見が優先されると、ですね。

ベテランが楽したいわけではなく事実、忙しい先生もいるはずです。何故なら、「先生がやりたい授業を作るため」には無限の教材研究が必要だし、それぞれの先生のそうした意欲や知識、スキルにも「差」があるのは残念ながら事実です。

でも、経験知がスキルを向上させるとは限らないのです。むしろモチベーションがスキルを押し上げてきたように思います。

「授業がうまい先生」もいれば「保護者対応がうまい先生」もいるはずです。当然、その逆もあるわけで、「うまい、下手の違いによる処理時間の差」もうまれますよね。この差をどうして埋めるか、埋めようとするのかしないのか、辺りの問題もありますよね。

自分に自信があるか、ないかも意外と処理時間の差につながることもあるように思ったことがありますね。

先生は評価されることを嫌がりますが、「科学的で客観的な評価」方法まで、否定するならそれは「科学的」ではないはずですね。

科学的で客観的な評価はAIの得意とする分野です。学校に「評価」のためAIがはいるのは、それほどさきのことではないかも、ですね。

企業では勤務評定は当たり前のことですが、先生たちの場合はまだ、一般的ではないですね。塾の先生は「評定」されるから力がつくという人もいますね。

だからといって自分の健康を害してまで授業以外の「仕事」をするとブラックだと揶揄される。
集まって、酒を飲めばバッシング、なのに学校がクラスターになって、先生が感染しても「児童や生徒は家庭での感染」した、という報道。

高校や中学がクラスターになっても、その実態を公開している自治体は少ないように思うけど。どの様にして注意喚起をしているのだろう。

なら公立学校民営化をも先生たちが意識しなくてはならない状況がコロナ渦でやって来るかもなど、果てしなく話が広がる昭和生まれの老人二人のよた話でした。

負けるな先生。
コメント
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