おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ソーシャルスキルの課題が・・・

2008-05-17 00:15:45 | Weblog
この頃 ソーシャルスキルの課題にどう取り組むかを少し考えています。

もう何年か前になりますが、担任だったころ、
エンカウンターという手法やピュアトレーニングなどという手法を取り入れて
「なかまゲーム」と言う取組をしていました。

問い合わせが何件かありましたので、
学校における特別活動の位置づけや学級活動におけるエンカウンター導入の背景についてはさておいて、
「なぜこのような取り組みが必要だったか」という点について、少しつたえておきます。

「外へ出て遊びなさい」という呼びかけに
あなたのクラスのこどもたちは「なに」をして遊んでいますか? 

そのころの僕の受け持ったクラスでは、
1学期の遊びといえばドッヂボールと鬼ごっこしかありませんでした。

何か変だなと感じつつ、一学期の間は見ていたのですが、
クラスの話し合いの中で、「クラス遊びに出てこない人がいる」
「みんなといっしょに遊ばない人がいる」という意見が出てきたとき、
「どうして参加しないの?」と参加しない子どもに聞いてみました。

「ドッチボールはこわい」
「きついボールを投げる人だけが楽しんでいる」等の答えが出てきました。

まじめな遊び係のA君は
「クラス遊びをいっしょにしない人はルールを破るわるい人だ」と主張しました。

鬼ごっこは「おもしろくない」
ドッチボールは「こわい」多くの子どもにとってクラス遊びの時間は
苦痛の時間だったようです。

なのに「遊びをいっしょにしない人はルールを破るわるい人」という考え方・・。
とまどってしまっていました。

そこで僕は「どんな遊びを知っているのか」をクラスの子ども達に聞いてみました。
テレビゲームが一番に出てきたのは仕方ないとして、
「野球」「キックベース」「ドッチ」「鬼子」ぐらいで後は続きませんでした。
「この子たちは外での遊びを知らないのだ」とその時初めて知りました。

そこでドッヂボールと鬼ごっこの共通点はなにかと子ども達と考えました。

全員で、いつでも参加できることが遊びの最低条件ですが
これはクリアーしています。

でも、順番を待って人のやっている姿を見ながら楽しんだり
応援したりすることもできたはずです。

ドッチボールや鬼ごっこに参加できない子は
順番を待っているわけではないので、リタイアせざるを得ません。

そのとき思いついたことは、
僕が昔遊んだ石蹴りでは、前の人が終わるまで待っている時間がありました。
今の子ども達は遊びの中で順番に待つことを忘れてしまっている。

子ども達に遊びの中で、順番を待つことを教えられたらと、昔の遊びを教え始めました。
昔なら遊びの中で獲得できた力が今の遊びの中では獲得できないと感じたからです。

クラス内でもいくつかのコミュニケーションがとれないことによる課題がありました。
高学年特有の女子のグループ化、
男子の粗暴な行為や暴言。そこでのキーワードは「悪口」「イジメ」でした。

その都度話し合っていくのですが、
僕の心の中にはいつも2つの疑問がありました。
友だちと「 関われないのか関わり方を知らないのか どっち?」
「 配慮できないのか配慮の方法を知らないのか どっち?」という疑問でした。

この疑問を解くためには
子ども達がグループを作る力が育っているのかどうかを知るための尺度が必要でした。
そんなテストがあればいいと思っていたとき
にエンカウンターという言葉を聞き、取り組みを始めました。

まず最初に行ったのは
「自分と友だち」「自分と先生」「自分と自分」に向き合うアンケートでした。Q-Uといいます。

 このアンケートを分析し、
子ども達の意識をつかむことから始めました。

「クラスはこのままでいいのか」という呼びかけで始めた紙上討論。

き方トレーニングという手法ですが、その取り組みの中で、個々の願いをつかむことができました。

並行して「なかまゲーム」を学級活動で取り組み始めました。
エクササイズという活動そのものは僕が以前から知っている室内遊びや外遊びなので、
これなら僕にもできると考えたわけです。

これまで
①ブラインドウォーク
②自分への手紙
③ご指名です
④Sケン(男子のみ)
⑤泥棒と探偵
⑥聖徳太子ゲームと6つの取り組みを行いました。

 これらはきっと皆さんも知っておられるものばかりだと思います。
子ども達は喜んで参加してくれますが、
ゲームをゲームで終わらせないために、
どの時間でもシェアリングの時間を取るように心がけました。

「こういう場面があったね、あの時どんなことを思った?」
「あそこでこんなことをしたね どうして?」など、自分でふり返らせてみました。

 ふり返りのない子どもは多分に教条的になることがあります。

「○○をしない」という教師の側から目標設定に
子ども達はそれを絶対のルールのように振りかざし、
他者を攻撃しようとする場合すらあります。

「○○をされたときときどうするのか」を
自らが仲間とともに考え、
ルールはそこから創っていくべきだと考ました。

今日のような授業での活動が、自己理解を助けるとともに、
他者理解をも深める経験となると考えています。

 変化は、少しずつですが、
子ども達といっしょに楽しく取り組んでいけるものだと思っています。
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