おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

あたりまえのこと

2007-10-03 22:37:57 | Weblog
ネットワークを利用した大きな事件が起こると
、新聞や雑誌が情報機器の活用方法、
特に「影の部分」を強調した記事がたくさん載る。

確かにそうした事件には携帯やホームページが使われてるし、
そうした事件を起こした子どもたちに情報機器の活用能力があるのは確かだとは思うけど、
なにか納得ができないでいる。

情報機器も人が使う道具の一つだから
使う人間により役立つものになったり、
悪用されたりする。

大事なことは使う人間の心をどう育てるかだとおもう。
事件やいじめに使われたからといって
特別な概念としての「情報モラル」を作り上げている
マスメディアになんか違和感がある。

あえば挨拶をする。
ゴミが落ちてたらひろう。
ひとを傷つけない。
人の心をもてあそばない。
人や生き物の命を大切にする。みんなあたりまえのこと。

このあたりまえのことが、
小さな時からできていたら、こんな事件やいじめは起こらなかったと思う。

今、そんな当たり前のことができていない子供が増えている・・。
そのことにどうして気づかないんだろう?
誰かの責任にすることは簡単だけど、
当たり前だと気づかせることが難しい・・。

いつの間にか日本人の心の中から大切な概念が消えていったような気がする。

「恥」という概念が消えてしまった。
「恥」は人が見ていてもいなくても「恥」だった。
今は人が見ているときだけ「恥」という概念が生きている。

周りに人がいなくなれば「恥」も消える。

そして学校から「師弟」が消えていった。
「我が師の恩」というフレーズすら口ずさむ人がいなくなった。

時代が師であることより公僕たるべしと叫び、
師は自らの使命と自信を失い、媚びることをおぼえてしまった。

そんな時代に何でもできる道具を手に入れた子どもたちは、
なぜ「そんなことをしてはいけないのか」ということすら見失い、
「あたりまえ」のことができないだけのことじゃないかな。

人が見ていないところでは何をしてもいいと思っているのだから・・・。

もういちど言っておく僕たちが目指しているのは
特別なITのスキルやリテラシーが必要な情報モラル教育ではなく
「人間としてあたり前のことができる子どもを育てること」であり
「大事なことは道具として使う子どもたちの心をどう育てるか」だとおもう。
コメント
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