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霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

フン族と西ローマ帝国の滅亡 2:ゲルマン人と末期ローマ帝国

2011年07月26日 17時14分19秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。最近ACfAで「おっ、ランカー様だ」(上位30位以内の人)とか「おっ、Aランクの人だ」(まぁ要するに上手い人)とか思って対戦すると、大抵テンプレ強機体なので萎え気味の霧島である。言っても判らん人には判らんだろうが判る人もいるだろうから言うと、ライール脚にモタコブR102両背ミサイルBFF分裂連動とか。

テンプレから離れようという気概はないのかと問わざるを得ない。そんな機体使い込めば私だってAランク中位には食い込めるっつーの。絶対嫌だからしないけど。

前にも言ったかもしれんが、私はトキは嫌いだし青リロエディ嫌いだしアイスエイジも大っ嫌いである。要するに「これ使えば勝てるよね」っていうのを使う事自体が嫌いなのである。勝ちにいく事自体は構わないというかそうすべきだし、その過程で強キャラを使うのも構わんと思う。しかし強キャラ通り越してる奴使うのはどうかと思う。

北斗において、トキが今でも大っ嫌いなのはそのせいである。トキは、昔は強キャラ通りこして一択キャラであり、全国大会本選の九割がトキというぐらい強かった。しかし今は、NO2かNO3であり最強ではない。それでも嫌いなのは、トキがお手軽強キャラという意味では最強であり弱キャラと呼ばれる連中に対し絶望的に強いからである。変態レベルに極めた人にとっても、前者はともかく後者はそのまんまだしな。

まぁたまたまガチ機使ってただけかもしれんし、そうでない人もたまにいるんだけどな。WマーヴにW山鹿とかいう神機体使ってるランカーが前にいて思わずGOODACって言った記憶とかもある。

ま、この間「金輪際ミサイル使わない」って宣言したのに今ミサイル搭載機使ってる私が言うこっちゃないかもしれんがな。解説記事に載せる為の、今機体構築例ってのを色々模索していてな、どー考えてもこの機体はミサイルのが合ってる、って奴が無い訳ではないのだ。作例だから私の信条より機体の完成度が優先するし。で、ここんとこの対人戦は全部それの機体テストな訳である。


と、長々と語ってしまったが、本題はフンのお話である。フンについて語ろうとすると、どうしてもそれと対戦したローマの話もせねばならず、こうなるとフンだけの記事じゃないなぁという事で題名を変えた。


さて、一大決戦でフンは敗れてしまった。これに限らず、アッティラすら決戦で敗れた事はある。

と言うのも、当時ローマ帝国の重装歩兵偏重主義が崩れつつあった。と言うのも、378年にハドリアノポリスで西ゴートに大負けしたのである。大負けも大負け、正直言って以前紹介したクレーシー(クレシー)以上の大敗だ。

ローマ帝国軍正規歩兵がボロボロにやられた戦いと言えば、ハンニバルによるトレビアの戦い、トランシメヌスの戦い、カンナエの戦いといった奴が思い浮かぶ。中でもカンナエの戦いは、投入兵力七万で死傷者六万と言われ、当時300人程度だった元老院の内80人が戦死するという大惨事であった。故に、カンナエの会戦、とかカンナエの戦い、ではなく「カンナエの殲滅戦」とすら呼ばれている。

このハドリアノポリスの戦いは、ローマ側の被害の数字だけ見ればカンナエに遠く及ばない。だが見方によってはカンナエ以上の屈辱的な敗北であった。何故なら、ハンニバルの所属するカルタゴは曲がりなりにもローマと覇権を争った暦とした都市国家。一方西ゴートはローマにとっては蛮族以外の何者でもないのだ。

その蛮族相手に、何と、皇帝が敗死したのである。ハドリアヌスの戦いは、ローマ帝国皇帝親征による決戦だったのだ。それで大敗を喫した上、皇帝も又戦死した(逃げ込んだ小屋に火を放たれたらしい)のである。しかもこの敗戦以降、ローマ式重装歩兵、即ちレギオンは二度と再建されなかった。

そして何より、この戦いは、ローマ帝国の戦争で重装歩兵が騎兵に正面切って負けた初めての戦いであった。


それまでローマが体験してきた戦争で、騎兵戦力が劣っていたが故に負けた戦いというのは確かにあった。ハンニバルとの戦争がそうである。しかしそれでも、ハンニバル戦争ではあくまで決戦兵力は重装歩兵という認識が貫かれた。どうみてもこれ騎兵のせいで負けましたよね、という戦いでも、重装歩兵あっての勝利と考えられた。

例えばハンニバル戦争最終戦、ハンニバルの命運が尽きたザマの会戦。まぁ色々途中経過をはしょると、ローマとカルタゴ(ハンニバル)の重装歩兵ががっぷり四つで組み合ってるところに背後からローマの騎兵(ローマ正規騎兵とヌミディア傭兵)が襲ってきてハンニバルが負けた。

言ってみれば、これは騎兵によるローマの勝利である。しかし、考え方としては重装歩兵同士の戦いでカルタゴがローマを圧倒していればハンニバルの勝ちだったというもので、騎兵が決戦兵力であるとは誰も考えなかったのである。しかし今回は違った。重装歩兵が主力の座から滑り落ち、代わって騎兵が台頭してくる事が誰の目にも明らかであった。

これには理由がないではない。元々、当時のローマ帝国では騎兵が増える傾向にあった。と言うのも、既に正面決戦でも重装歩兵の優位性は崩れつつあったのである。帝国の長い間の繁栄で重装歩兵の練度が下がってきていたのもあるが、それが決定的なのではない。問題は、蛮族蛮族と呼ばれていた連中が蛮族でも何でもなくなってきた事だ。

かつて、異民族、蛮族といわれる連中はロクに鎧もつけず、槍一筋、剣一振で挑んできた。まぁケルト人とかまさにそうだな。以前説明した通り、彼らは上半身にペイントを施す事で傷つかなくなるという信仰を持っていた。そういうのが相手であれば、ローマ重装歩兵は圧倒的に有利だ。何せ、胸から腹までを防御する金属製の重鎧に脛当て、更に大型の円盾と槍で武装してるんだから。

しかしこの時期、ローマ帝国に侵入してきたゲルマン人達はこういう連中とは一味違った。ちゃんとした鉄製の防具で身を固め、長剣のみならず戦斧で武装していた。有名なのがフランク族の投げ斧、フランシスカである。フンカスロウが装備してる奴だ。ロマサガとかでもお馴染みだな。

射程は10mほどで命中率も良くなかったが、斧がぐるぐる回転しながら飛んでくるのは相当な威嚇効果があり、又、盾で防御すると盾が使い物にならなくなる為、盾と槍の組み合わせが重要なローマ重装歩兵にとっては脅威だった。他にも、長柄に斧をつけたポールアックス的なものもあり、遠心力を利用して力任せに振り回せば、いかに重装備で身を固めたローマ歩兵でも一撃でもっていかれかねない

その上、ゲルマン人は騎兵も強かった。元々ゲルマン人は騎兵民族でも何でもなかったのだが、ゲルマニアには馬の産地があった。特にウクライナは、古くはスキタイ人騎兵、新しくはコサック騎兵を生み出してきた欧州騎兵の聖地の一つである。そういった馬の産地で育ったゲルマン人達によって編成された騎兵は、元々弱体だったローマ正規騎兵とは比べ物にならない強大な戦力であった。

又、正面決戦だけでなく戦略的な観点から見ても、重装歩兵は弱点を晒していた。連中は戦場でも遅いが、戦略機動、要するに本拠地から戦場への移動とかも遅いのである。この為、各所で侵入してくるゲルマン人を捕捉する事が出来なかった。こうなると、強力な重装歩兵も無用の長物である。軽快な騎兵部隊が必要だ。

そんな訳で、ローマ式重装歩兵の優位性の低下、騎兵の価値の上昇により、騎兵部隊の増強が行われているところだった。ここに来ての、ハドリアノポリスの大敗である。ローマがギリシャに代わって地中海の覇権を握った時から五百年以上に渡り必勝のドクトリンだった重装歩兵戦術が崩れ去ったのである。


379年、新たに東ローマ皇帝に就任したテオドシウス一世は軍事改革に乗り出した。そう、フン族が初めてローマ帝国を襲った年に死んだあの皇帝である。可哀想な紹介の仕方だが、基本的には彼が作り上げた軍隊がフン族を東ローマ帝国から撃退したのであり、その功績は賞賛されてしかるべきである。

彼は騎兵隊増強の路線を継続した。但しそれまでと違ったのはゲルマン人をローマ帝国軍に編入したというところである。ゲルマン人傭兵を雇ったというよりは、フランスの外人部隊みたいに、正規の部隊に外人を入れた、という感じだ。

そう、フンの脅威からローマ帝国を救ったのはゲルマン人なのである。無論ローマ人正規部隊も勇敢に戦ったが、ハドリアノポリスの敗戦以降新規の部隊を編成したりはしていないらしく、ゲルマン人兵士の力がなければ到底フン族の撃退など叶わぬ夢であったろう。ゲルマン人はローマを滅ぼしたが、ゲルマン人はローマを救ったのである。

これには、「これからは騎兵の時代だ!」という意識と「ローマ人を戦力として期待するするのはもう無理だ」という考えがあった。前者は判るな。ローマ式重装歩兵の優位性の低下、騎兵の価値の上昇、そして決定的なハドリアノポリスの敗戦。これを戦訓とし、騎兵を主力とする考えが生まれそのまま中世の騎士の時代へと繋がっていくのである。

私が以前に解説してるからこそ、諸君は「重騎兵の突撃でも堅固な重装歩兵の陣列は崩せない」と知っているが、それは当時常識ではなかった。むしろ、それこそタギネーの戦いで敗れた重騎兵大好き民族東ゴート王国の連中からしてみれば、いかな歩兵の陣列でも重騎兵の突撃で崩す事が出来るという考えこそが常識であった。

この常識が信じられた期間というのは、歴史上かなり長い。この時期から中世にかけての西欧ではこれが常識だったしな。中世の終わりにスイス傭兵隊が密集槍方陣を考え出して衰退する。つうかその後騎兵突撃自体が衰退する。しかしポーランドやスウェーデンの影響によって復活した重騎兵は、しばしば槍衾(と言うか銃剣衾)を展開する歩兵の陣列に、正面から無謀な突撃を何度も敢行している。七年戦争のミンデンの戦いでは、西欧最強の騎兵、フランス近衛騎兵がイギリス戦列歩兵に正面突撃してお亡くなりになられている。

まぁそんな訳で、当時は「騎兵こそ最強!」というのは最先端の軍事常識だった訳である。一時期あった、戦闘機の「ミサイル万能、機関銃イラネ」みたいなもんだと思えば良い。

一方、「ローマ人を戦力として期待するのはもう無理」というのは説明しなければならん。ローマがまだ帝国でも何でもなかった都市国家の頃は、ローマの重装歩兵はローマ市民(と言うか中産階級、大抵は自作農)であった。と言うのも、ローマの軍隊は徴兵制でだったのだが、徴集の際には制限(所得いくついくつ以上、みたいなの)があって、中産階級でない場合は兵役が免除されていたのだ。

金持ち(っていうほどでもないが)だけが徴兵されるのも変な話と思うかもしれんが、さもありなん。当時のローマは兵役をこなした者のみ市民権が与えられるという制度だったのである。しかもこの市民権は本人だけしかもらえず、子供が受け継ぐ事はできない。だからみんな必死に戦ったのだ。

ところが、ハンニバル戦争などを戦う頃になると外征に次ぐ外征で戦争、戦争、また戦争。んでしかも、ローマ軍団兵は大多数が農民。故郷には帰れず農地は荒れ放題。一応出征中は給料が払われるのだが、純粋な日本人への生活保護ぐらいしか出ない(朝鮮人への生活保護みたいには出ない)ので、没落してしまう自作農が続出した。

そこで、ユリウス・カエサルの義理の父親ガイウス・マリウスが改革に着手。志願制に変更した。結果、貧乏人が給料目当てに流入、一方中産階級は農耕に専念できるというので喜んだ。が、兵役をこなしたからと言って無産階級が市民権を得られる訳ではなかった。市民権は、一種の特権となったのである。これでは、以前と比べて戦意も練度も下がって当然だ。

その後、アウグストゥスが非市民に「ローマの兵隊になれば市民権あげますよ~」という制度を制定+宣伝。お陰で再び強力な軍隊が出来上がった。出来上がったが、この市民権、以前と違って世襲、つまり一回兵役をやれば孫子の代は兵隊にならなくても市民になれるというものだった。結果、元の木阿弥になる。

この頃というのは元の木阿弥になった後である。まぁ何が言いたいかは判ってもらえるだろう。

更に、ローマの人間は馬に慣れ親しんでいない。これは、これから騎兵を主力として軍隊を再建しようという時に重大な問題であった。長い時間をかけて訓練すれば、馬に乗った事もない様な人間でも立派な騎兵として育てられる。しかしこれは相当の苦労が必要である。一年中武芸の稽古だけやってりゃいいとまでは言わんが、終生そういうのが仕事の江戸時代の武士ですら、鎌槍で騎馬戦訓練やってたら馬の目を潰してしまったなんて事があったぐらいである。

新帝テオドシウス一世に、ローマ人に時間をかけて騎兵技術を仕込んでいく、なんて悠長な事をやってる時間的余裕は全くなかった。ゲルマン民族の脅威は、現在進行形のものとして目の前に迫っていたのである。


故に、テオドシウス一世は最初っから騎兵として優秀な連中を採用するという手っ取り早い手段に出た。即ち、ゲルマン民族の雇用である。意外に思うかもしれんが、ゲルマンとて戦争したくてローマ帝国に来たのではない。前回話したとおり、ゲルマン民族大移動の発端は、彼らの故郷ゲルマニア(現ドイツ、ポーランド、ウクライナあたり)までやってきたフン族からの避難であり、言ってみれば彼らは難民なのである。

ハドリアノポリスの戦いにしたって、西ゴート族がローマ帝国を切り取ろうと侵略してきた、なんて戦争ではない。フンによって東ゴート難民が西へ移動させられ、西ゴート族は玉突き事故の理論でローマ帝国の領土まで移動しないと話にならない状況に追い込まれた。そこで西ゴート族が、

1:ローマ帝国内への移住
2:代償として一部の男子をローマ帝国兵にする

という事を提案したのである。例の戦死した皇帝ウァレンスはこれに同意。過疎地に送れば農業生産力が上がるし、先述した通り当時のローマ帝国軍は弱体化が著しかったからな。しかし、いざ移住となって問題が発生した。当初10万人が移住すると申告されていたのだが、他の部族が便乗してきたので30万人移住してきたのである。

しかも悪い事に、移住してから最低一年は経たないと自分達で食べ物を作れない。当たり前だな、米の二期作でもしない限り作物を植えてから育つのに一年はかかる。なので、その一年間はローマ帝国がこの30万人を食わせなければならなかったのだがどうみても物資が足りる訳がありません本当に(ryとなって、結果西ゴート+αの皆さんが暴徒化。総勢30万人が、しかも戦争できる武装を持ったまま暴徒化したのである。

で、皇帝親征になった訳だ。この展開から判るとおり、ゲルマン民族は戦争したくて来た訳ではないし侵略者でもなんでもないので、住むところと食べるものを確保できればOKなのである。勿論そうでないゲルマン民族もいたし、ウァレンスと西ゴートの様に提携が結ばれなかった場合は、これはもう略奪したり攻撃して占領し、そのまま居座ったりするしかないがな。

ゲルマンは、基本的に元が農耕民族である。肥料を使わず、三圃制もなし、ついでに言えば欧州ってのは基本的に土地が痩せてると農耕民族としては結構アレなのだが、それでも農耕が基本であった。故に農耕できるなら定住さえできれば良い。そんな訳で、ローマ帝国は、ゲルマン人を臨時のパートタイマーではなく正社員としてゲルマン人を軍隊へ迎え入れたのである。

この成果はすぐに現れた。後に大帝とも称されるテオドシウス一世は、当初ローマ帝国の東を治めていた。この当時、まだローマ帝国は、「東ローマ帝国」「西ローマ帝国」という形では分裂していない。しかし事実上分裂していた。デカすぎるから。テオドシウス一世の前任者、つまりハドリアノポリスで戦死したウァレンスは東側担当の皇帝で、ウァレンスが崩御した頃、西側はグラティアヌス帝が担当していた。

そのグラティアヌスが、テオドシウス一世を次期東側担当皇帝に指名したのだな。この東側担当、西側担当というのは上下関係はなく、どちらも皇帝である。担当地域が違うだけの共同統治者だ。その共同統治者グラティアヌスの皇位を、マグヌス・マクシムスなる者が簒奪。彼は息子を皇帝につけ、西ローマ帝国の正規軍団をもってイタリアに侵攻する。

皇帝就任までは黙認していたテオドシウス一世も、流石にこれは看過できず、出陣。西ローマ帝国はまだローマ式重装歩兵軍団だったので、西の簒奪者のローマ式重装歩兵vs東の正統後継者のゲルマン人騎兵隊という大変熱いカードとなった。まぁ西は西でちゃんと騎兵隊も持っていたし、東も東でちゃんと歩兵隊を持っていたが、それぞれ主力は重装歩兵と騎兵であった。

結果は、大帝テオドシウス一世の圧勝。ハドリアノポリスで崩壊していたローマ伝統の必勝戦術は、ローマ帝国の名の下に完全に粉砕された。これ以降、西ローマ帝国(本当はテオドシウスが死んでから正式に分裂するが、もう事実上分裂してるしめんどくさいのでこう書く)も、軍事力はゲルマン人に頼る様になる。

しかし、これこそが西ローマ帝国の終わりの始まりであった。確かに、ゲルマン人を雇用する事により、東西ローマ帝国の軍事力は飛躍的に強化された。まぁ蛮族相手に苦戦してた訳で、その蛮族を戦力に使ったんだから当たり前だが。しかし、彼らゲルマン人はローマに同化しなかった

例えば軍隊なら、かつてのローマ市民は自分達の市民権の為に戦っていた。しかし、軍隊には忠誠ってもんが必要である。じゃあ彼らは誰に忠誠を誓っていたかと言えば、それはローマという国であった。彼らは、ローマという国の為に戦っていたのだ。愛国心って奴だな。しかしゲルマンはちょっと違う。

彼らが忠誠を誓というのは、国家に対してではない。各部族の首長に対してである。又、ローマというものに対する考え方も違う。高い文化文明を誇るローマに対し憧れとかもあったろうが、ローマ市民が生まれも育ちもローマで「俺が、俺たちがローマだ!」だったのに対し、ゲルマンは余所者である。

まぁ、アレだ。

このローマって国乗っ取れりゃ美味しいだろーなー程度のノリだった訳である。無論そこまで大胆な事を考えていた奴も少なかったろうが、「俺はローマ出身じゃないんだから、ローマの言葉も歴史も文化も勉強して、ローマ人よりローマ人らしい人間になろう」なんて殊勝な奴は、まぁいなかった訳じゃなかろうが大多数ではなかった。彼らの忠誠は、昔と変わらず自分達の部族の族長に向いておった。

そして西ローマ帝国は、そういうゲルマン人達に軍事力を完全に依存してしまった。その悪影響はすぐに現れた。先程、ローマ帝国の西部担当皇帝グラティアヌスが簒奪者マクシムスによって殺害されたと述べたが…あー…えーと、だな。実は、西側はグラティアヌスが生きていた頃から、弟ウァレンティアヌス二世も一緒に統治していた。つまり、テオドシウス一世就任直後で言えば

ローマ帝国全体:グラティアヌスとウァレンティアヌス二世、テオドシウス一世の三人が共同統治
ローマ帝国西側:グラティアヌスとウァレンティアヌス二世が担当
ローマ帝国東側:テオドシウス一世が担当

という状態だった訳である。んでグラティアヌスが死亡。簒奪者マクシムスをテオドシウス大帝が打倒した後、ウァレンティアヌス二世が単独で西側担当皇帝になった。が、彼の治世の後半からして、ゲルマン人の後見を受けてのものだった。

西ローマの軍隊はマクシムスの反乱時に壊滅的な打撃を受けた事もあって、東ローマと同様ゲルマン人主体の軍隊になった。しかし何も考えず取り込んだのがいけなかった。ここにA、B、C、Dという四つのゲルマン人部族がいたとして、こいつらが西ローマの軍隊の主力を構成しているとする。で、Aの兵力が一万五千、B、C、Dの兵力が五千。しかも、B、C、Dの部族の首長はAの首長を支持しているとする。

こういう場合、Aの首長こそ事実上の皇帝。最早西ローマ帝国は、そこまで来てしまっていたのだ。以前イェニチェリとオスマン・トルコの記事(前編後編)で述べた通り、軍隊を動かせる者こそ本当の実力者である。法律上は皇帝にその権力があるが、↑の様な状態だと、実質的な兵権はAの首長にある。つまり、皇帝が皇帝として振舞いたければAの首長の支持が不可欠なのだ。

これは、最早国として末期症状と言える。ウァレンティアヌス二世(例の、簒奪者マクシムス打倒後単独西側担当になった人)が急死した後、当時の西ローマ帝国で「A」にあたる男、フランク族出身のアルボガステスは傀儡皇帝を立て、事実上西ローマを支配した。これを簒奪であるとしてテオドシウス一世が征伐軍を発し、394年、アルボガステスと傀儡帝エウゲニスは敗死する。

そしてこの戦役後の帰還前の冬営中(当時の軍隊は、冬は動けない。彼の本拠はコンスタンティノープルで、戦いが行われたのは九月、場所はイタリアとスロヴェニアの国境あたり。なのでミラノで冬を越そうとしていた)、テオドシウス一世は崩御。それが395年1月。

フン族が東ローマに攻撃を仕掛けてきたのは、こういう状況でであった。

26 コメント

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Unknown (2の18乗)
2011-07-28 01:34:01
ローマ帝国の崩壊もフンの歴史の一部なんですね|ω・`)

イュニやマムルークのとは違って悲壮感がありまする・・・・
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Unknown (霧島)
2011-07-28 02:58:04
西ローマ帝国はゲルマン人の大移動によって滅び、東ローマ帝国はそれの影響を受けてビザンツ帝国として脱皮していきました。その引き金を引いたのがフンであり、しかも西ローマの滅亡には、ある意味ゲルマン人と同等かそれ以上の役割をフンが果たす以上、当時のローマ帝国がどうなったか説明しないと駄目かなぁと。

オスマン・トルコやマムルーク朝もあれはあれで色々面白いんですが、いかんせん私が勉強不足だからなぁ
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Unknown (gin)
2011-08-05 18:58:40
たまたま目にしたんで言わせてもらうと

>ライール脚にモタコブR102両背ミサイルBFF分裂連動が量産
>使い込めばお手軽Aランク中堅

正直言ってる意味がわかんないです
詳しくは書きませんが、
量産強アセンというならAP47049アセン、アリャ脚量産、アクセル軽二でしょう?

マシミサ軽だかマシライ軽だかは知りませんがそれは実力があれば十分対応できる範囲ですよ。
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Unknown (霧島)
2011-08-06 03:09:26
ハイハイワロスワロス

個人的にはふわふわ腕グレ四脚とか、Wレザライ格納Wレザライタンクも量産強機体だと思うけどあれらはテンプレ強機体とは呼べんかね?
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Unknown (Unknown)
2011-08-06 05:10:28
ずいぶんと喧嘩腰なんですね。

でも残念ランクの中でも、マシライだけで上位ランカーになってる人、アルギュロスを使って勝率9割超えてた人、実弾タンクで神と呼ばれる人、そんな人たちもいるんですけどどう思いますか。

あなたの腕が足りてないんじゃないんですか?

例えばWレザタンク。強アセンでもなんでもないですね。相性が噛み合わないとキツイだけで。

あなたが何使ってるのかは知りませんが、レザが衝撃武器じゃないので重二なら地形や中距離でレルグレやバズグレでAP勝ちして引く。

軽二ならもっと簡単です。固められることがない+バズより威力低いのでマシライやWライでも張り付けば簡単に落とせます。

中二は武器によるのでなんとも言えないですけど。

もちろん相手が自分より上手ければ上記の通りにはいきません。

対腕グレ四脚なども説明したいんですけど長くなりますね。

俺が負けたアセンは全部強機体!
俺より強いアセン使うのは卑怯!
俺の方が上手いんだから勘違いすんなよ?

あなたの脳内はこんな感じに見えます。
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Unknown (霧島)
2011-08-06 05:11:44
はいはいワロスワロス

2chさらしスレにお帰りください
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Unknown (Unknown)
2011-08-06 05:37:14
今度部屋あったら行かせてもらます
対戦すればいろいろわかるでしょうしねw
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Unknown (霧島)
2011-08-06 05:39:00
元ランカー様に「これマジ鬼畜機体www」って言って図面渡された機体に強アセンでも何でもないとか言ってる時点でお里が知れる、としか
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Unknown (Gilgamesh)
2011-08-06 06:13:25
元ランカー様…ねぇ…
fAにおいてはほとんど意味をなさない称号ですよね。

自分も一応ランカー()でしたし、あまり更新してませんが今のサブアカも今のところ勝率は10割です。

その上で意見してるつもりでしたがもう何言ってもダメなんですね。

では失礼します。
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Unknown (霧島)
2011-08-06 06:24:03
10割ワロタ 煽るなら晒しスレの中でだけにしとけ、な!!
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