先日、『ホリエモンの宇宙論』の書評に関して、少々書き込みをしました。これについて、批判するだけでなく、前向きな提言をしたいと思います。
結論。書評子(筆者)と異なる世代、異なる性別、異なる思想信条、異なる成育暦の人を、校正校閲者にする。
ホリエモン氏は、30代です。1972年生まれだそうですから、今年、39歳でしょうか。記事では、「(40年以上前の)人類の月面着陸時に、子どもだった」と書かれており、そこに「事実誤認ちゃうか」と気づいたわけです。
ぼくは、漠然とですが、次のような知識がありました。「ホリエモン氏は僕より少し若い。ぼくらはアポロ月面着陸をリアルタイムで見ていない」。この二つの事実から、「よって、ホリエモン氏がアポロ月面着陸時に、子どもだったはずがない」という結論を得られます。
皆さんは、何か情報を覚えるとき、ある基準を定め、その基準から、いくら上か、いくら下か、を手がかりにしませんか。例えば、「ホリエモン氏は、僕より3つ若い」というように。長老の話を聞くときは、「僕の爺さんより3つ上だ」とか、「昭和10年生まれということは、昭和20年の敗戦時は10歳で、学校の先生のテンコウを経験し、大人不審に陥っているかもしれない」とか。逆に、若者の話を聞くときは、「平成元年生まれなんだ。そのとき、おれは大学生だったが、彼ほどしっかりしてなかった」とか。
たぶん、書評子も、校正校閲者も、ホリエモン氏(現38~39歳)と世代が離れている。だから、「時代の寵児」となり、あれだけ世間の注目を浴びた彼の年齢を、自分と関連付けて覚えられなった。
ところが、もし、筆者と校正者が、異なる世代だったらどうでしょう。筆の勢いで、高齢の筆者が「ホリエモン氏は、アポロ月面着陸時に子どもだった」と書いても、ホリエモンと同世代の校正者は「違う」とピピピンと来るはずです。
こと活字の校正校閲に限らず、仕事の実施とチェックでは、異なるもの同士のコンビがいい、という話でした。